'12-50 東海道一人歩き その6
今回は「芦ノ湖から三島まで」を投稿します
’12/11/3 (土) 晴ているが雲が多い
Photo_21時方向の芦ノ湖を出発
直ぐに杉並木と箱根関所跡になり
ここを過ぎ、旧街道を行くと箱根峠に向かう登り石畳になり
登り切ったところが箱根峠
ここからは下りばかりの石畳が暫く続きます
お断り・・・この下りでも多くの写真を撮りましたが、あまり地図にも載っていないルートなので、撮った場所の特定が出来ません
どうぞご理解下さい
左:杉並木 8:47
説明板には・・・『芦ノ湖畔の旧東海道にあり、江戸初期の1618年に箱根宿を設けた時に植えられたと伝えられる国指定史跡です。元箱根から思賜箱根公園まで約500mに400本を超える杉の美しい並木が続き、中には幹周りが4mの大木もそびえています』 となっていました
右:箱根関所跡 8:54
「関所と女性」
女性が箱根関所を通行するためには証文が必要でした。
この証文には、たとえばほくろの位置や数など通行する女性の身体の特徴などが書かれていました。
しかし人間の行うことです、たまには証文の内容を書き間違えることもありました。そうなると、箱根関所を通行することができず、証文を再発行してもらわなければなりませんでした。
江戸時代、女性の旅は本当にたいへんだったようです
左:登り石畳 9:55
きょうもまた石畳と付き合わなくてはなりません
それでも昨日の登りと比べると凸凹してますが、歩きやすそうな気がします
右:国道へ到着 10:14
この登りも20分ほどで国道に合流し ヤレヤレ
そこにチャリに乗った若者が数人、話を聞いてみるとこれから名古屋まで行く とのことです
高校生かも知れませんがお互いにエールを交換すると、若者達はチャリキッテ走り去っていきました
左:箱根峠(宮城まり子の作品) 10:40
箱根峠に来ると新箱根八里記念碑の峠の地蔵があります
峠の地蔵は2003年に出来た新しい地蔵で、8人の著名女性が書いた言葉が刻まれている。
宮城まり子・・・『私は彼等と共に泣きまた共に笑った彼等は、ただ私と共にあり私はただ彼等と共にあった』
私個人としては、この宮城まり子さんの作品が素朴だし、言葉も気に入ってます
右:旧東海道 10:49
旧街道に入るとイキナリこんな竹笹トンネルを潜らないとなりません。それも腰を屈めて
左:兜岩 11:06
豊臣秀吉が小田原城を攻める際、あまりにも急坂なのでひと休みするためカブトを取り、この石の上に置いたといわれています
右:下りの石畳 11:21
三島側の石畳は整備されているようで、昨日に比べると歩きやすく有り難い
話によると、雨が降ったり凍ったりすると滑りやすくなり、難儀するそうです
左:雲助の墓 11:55
雲助の頭役をしていた松谷久四郎(九助)の墓と言われ、終生酒を愛したことからこの墓には、前面に徳利と盃が浮き彫りにされています
右:下りの石畳 12:43
昨日の登りと比べると、この三島側の石畳は歩きやすいような気がします それとも慣らされてしまったのでしょうか?
ただ石の並べ方は凹凸が少なく揃っているような気がします
Photo右上から左下方向に下ってくると、国道に合流
ここにこの「箱根路」標識
この傍には「一里塚」があり
今回初めて見た富士に感激し
三島大社に到着します
左:箱根路 15:14
下り石畳もなくなり、一般道路を更に下ると、国道に合流しましたが、そこにこの大岩がありました
右:松並木 15:19
大岩?を過ぎると、今度は暫く松並木が続きます
この辺りは三島市の郊外になるのでしょうか、家屋も多く見えるようになりました。が、この歩道がまたも石畳。
ここまで石畳に拘る気持ちは判るような気がしますが、この風景に惹かれて散歩する人も多くなるのだおもうのですが、捻挫や転倒などの怪我などした場合は、自己責任と言うことでしょうか? チョット気に掛かりました
左:錦田一里塚 15:28
この一里塚は江戸時代は「初音ヶ原の一里塚」と言われていました。
初音ヶ原とは源頼朝がこのあたりを通ったときに、ウグイスの初音を聞いたということに因んだ地名だそうです
独り言:旧名のほうが良い名と思うけれどもなぁ
右:紅葉 15:31
今回の街道歩きで初めて見た紅葉で、これが最初で、これ以降紅葉を見ることはありませんでした(怒)
Dscn1057
東京からここまで歩いてきましたが、ここで初めて富士を見ることが出来、感激 ! 15:59
4時に近い時刻だけれど富士を見ながら一服タイム やはり美しい山だ
腰を下ろして富士を眺めているうちに
♪ 旅の空から見た富士山は
遠い故郷のあの娘(コ)に似てた
旅の空から富士山見たら
遠い故郷のあのコを思うた
を口ずさんでいました
富士というのは不思議な山で、乗り物に乗っていても、歩いていても「富士は見えるかなぁ」と思い、見えると何故かホッとしてしまいます 何故だろう?
左:三島大社 社殿 16:17
説明によると・・・
『創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。
三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。
社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました
本殿は重要文化財に指定』
右:巫女さん 16:18
神社と云えばやはり巫女さんを外すことが出来ません
余談1,
写真はないのですが、私が経験したことがないほどの下り急坂がありました。
坂の名前は「強飯(コワメシ)坂」。
現在の傾斜は12度であるが、江戸時代には平均20度で、最大は40度の急坂だった、という。
あまりの急坂で、背負った米が人の汗の蒸気で蒸されて強飯となってしまったことから、強飯坂の地名が生まれたというから想像もできないほどの急坂だったのだろう とのことです
きょうは下りですから何ともありませんが、「これを登れ」となると・・・私はゴメンです
余談2
昨日と今日にかけて箱根を越えましたが、今日は土曜のせいでしょうかハイキング姿の人と出会うことがありました
それにしても彼ら・彼女らは足が速く、とても追い付くことが出来ず ここでも口惜しい思いをさせられてしまいました
芦ノ湖スタート 8:25
三島 着 17:10 頃
歩行距離 20,5キロ (33100歩)
(但し、これには三島のドコモショップへの往復も含まれている)
【「芦ノ湖から三島まで」を終わります】
2012年12月 5日 (水) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
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