館山方面にツーリングした。
本当は平群の御殿山に登ろうとしたが、前日の大嵐でヒョウが降ったりして
事前の心の準備も出来なかったので、館山方面へのランチツーリングとした。
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本当は平群の御殿山に登ろうとしたが、前日の大嵐でヒョウが降ったりして
事前の心の準備も出来なかったので、館山方面へのランチツーリングとした。
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たまには京葉道路の船橋から乗ろうとしたら船橋迄おお混み。
変わった事はしない方が良さそうだ。
順法速度で姉ヶ崎ICまで高速に乗る。
姉ヶ崎から下道で久留里街道の横田から上総アカデミアパーク
に入り、抜けて房総スカイラインから三島湖に出る。
ここから久しぶりに奥米林道をはしり410号の君鴨トンネル
脇に出て、長狭街道を横断し安房中央ダムを過ぎた辺りで山の中に
入る。
山道を2キロ位は行ったところに在る『隠れ屋敷 典膳』が今日の
点心場である。
DSC_0308
典膳と言うのは小野派一刀流の開祖の名前らしい。
その典膳の故郷がこの地なんだとか。
この料理屋自体は典膳とは無関係らしいが、その名にあやかって典膳と
したらしい。
まぁどちらかと言えば骨董趣味の屋敷で、その収集嗜好は節操をあまり
感じられないが、 人里離れて携帯も圏外のこの地は実に静寂そのもの
でそうした環境に代価を払うにはとても価値のある一軒家ではある。
席は4人までの個室。
どんなものが出るのだろうとはっきりした事も分からず予約を入れたが
DSC_0309
こうした炭で串を焼いたものをメインディッシュとした食事構成のようだ。
DSC_0310
豚の串 鶏の串 牛の串 あとはネギ・ピーマン・椎茸で各々の素材は
良いものだった。
DSC_0311
食事の後は石堂寺に参拝。
以前一度自転車で来たが、バイクで来るとなんとも有難味が無い。
多宝塔
DSC_0312
三芳の平野を眺める
DSC_0313
茅葺の薬師堂
DSC_0314
その後、今は無住となってしまったが、臨済宗建長寺派の寺院、慈雲寺に参拝。
このお寺には少し前に建長寺から派遣されて住職となった『仙さん』と
言う和尚が住して寺の復興に当たっていたが、心臓発作で他界されて
しまった。 もう13年くらいになろうか。
『高橋さん、焼けたから食べてごらん』って台所から焼けたホクホクの岩ガキ
を庭で仕事してた自分にわざわざ持って来てくれた優しい和尚はもうお浄土だ。
それ以後、多分檀家さん達がかろうじて堂舎の維持管理をされては居るのだろうが
見ての通り屋根にも庭にも草が生えて来た。
諸行無常そのものである。
棟にも草が生えている。
DSC_0315
寺庭も草が。
DSC_0316
和尚のお墓も草だらけ。
DSC_0317
お参りを済ませ、芭蕉の『夏草や・・・・・』を観じて慈雲寺をあ後にした。
次に、那古寺に向かった。那古寺の裏山に登ってみようともくろんでいた。
那古寺の多宝塔
DSC_0318
しかし、残念なことに登山コースはがけ崩れで進入禁止。
しかたなく、本堂の外廊下に腰を下ろし、涼風に吹かれて暫し館山湾
鏡ケ浦の眺望を楽しむ。
そのご、毎年行く冨浦の川奈ビワ園さんで高級ビワを購入、日没ぐらいに
き帰宅した。
変わった事はしない方が良さそうだ。
順法速度で姉ヶ崎ICまで高速に乗る。
姉ヶ崎から下道で久留里街道の横田から上総アカデミアパーク
に入り、抜けて房総スカイラインから三島湖に出る。
ここから久しぶりに奥米林道をはしり410号の君鴨トンネル
脇に出て、長狭街道を横断し安房中央ダムを過ぎた辺りで山の中に
入る。
山道を2キロ位は行ったところに在る『隠れ屋敷 典膳』が今日の
点心場である。
DSC_0308
典膳と言うのは小野派一刀流の開祖の名前らしい。
その典膳の故郷がこの地なんだとか。
この料理屋自体は典膳とは無関係らしいが、その名にあやかって典膳と
したらしい。
まぁどちらかと言えば骨董趣味の屋敷で、その収集嗜好は節操をあまり
感じられないが、 人里離れて携帯も圏外のこの地は実に静寂そのもの
でそうした環境に代価を払うにはとても価値のある一軒家ではある。
席は4人までの個室。
どんなものが出るのだろうとはっきりした事も分からず予約を入れたが
DSC_0309
こうした炭で串を焼いたものをメインディッシュとした食事構成のようだ。
DSC_0310
豚の串 鶏の串 牛の串 あとはネギ・ピーマン・椎茸で各々の素材は
良いものだった。
DSC_0311
食事の後は石堂寺に参拝。
以前一度自転車で来たが、バイクで来るとなんとも有難味が無い。
多宝塔
DSC_0312
三芳の平野を眺める
DSC_0313
茅葺の薬師堂
DSC_0314
その後、今は無住となってしまったが、臨済宗建長寺派の寺院、慈雲寺に参拝。
このお寺には少し前に建長寺から派遣されて住職となった『仙さん』と
言う和尚が住して寺の復興に当たっていたが、心臓発作で他界されて
しまった。 もう13年くらいになろうか。
『高橋さん、焼けたから食べてごらん』って台所から焼けたホクホクの岩ガキ
を庭で仕事してた自分にわざわざ持って来てくれた優しい和尚はもうお浄土だ。
それ以後、多分檀家さん達がかろうじて堂舎の維持管理をされては居るのだろうが
見ての通り屋根にも庭にも草が生えて来た。
諸行無常そのものである。
棟にも草が生えている。
DSC_0315
寺庭も草が。
DSC_0316
和尚のお墓も草だらけ。
DSC_0317
お参りを済ませ、芭蕉の『夏草や・・・・・』を観じて慈雲寺をあ後にした。
次に、那古寺に向かった。那古寺の裏山に登ってみようともくろんでいた。
那古寺の多宝塔
DSC_0318
しかし、残念なことに登山コースはがけ崩れで進入禁止。
しかたなく、本堂の外廊下に腰を下ろし、涼風に吹かれて暫し館山湾
鏡ケ浦の眺望を楽しむ。
そのご、毎年行く冨浦の川奈ビワ園さんで高級ビワを購入、日没ぐらいに
き帰宅した。
コメント
コメント一覧 (7)
私のほうは腹を壊したので、しばらく家でひっそりしております。Bさんは元気だなあ。
いろんなところで寺院にいきますが、いつも綺麗に手入れされているので
凄いなーと思ってます。でも、草が生えてしまうんですね。
最近、若い人がIターンして住職になるパターンがあるんですよね。
この立派な寺院がまた綺麗な姿になるといいですね。
おいたわしゅうございます。
高い運賃を払って南房から戻って来るのも一案かとは思いますが、家に近づくにつれて道路も人もごちゃごちゃになって来るのは勘弁マークですよね。
なんなんだろうか、育った水?のせいか、やはり南房は青い空と光る海と南風と・・・・・・・
それがないと、房州を感じないんですよね。
なんかだんだんと荒れ寺に成って行くのも寂しいですよね。
このお寺、確か檀家は数十軒の筈なんですよね。
住職やりたいって人が有れば大歓迎なのかもですが、そこは裏事情が有ります。
この寺を兼務して見ているお寺が在るはずで、ここに新たに誰かが住職で入ると、早い話が売り上げが減ってしまうので、中々寺の兼務を手放さないとか聞いた事があります。
結構欲深な僧侶も多いですからね。
今回はH君が一緒だったので、なんですが、一人で行った時はお経をあげて拙いながら菩提の冥福を祈るんですよ。
私の実家の何代前かの人は道場を構えて武芸や書物を教えていたようです。
墓石の周りにたくさんの師弟の名が刻み込んでいたのを子供心に覚えています。それにしても「典膳」の料理は鄙には稀に垢抜けていますね。二輪車は危ないですね、転んだりして新聞記事にならないよう御用心を! お元気で!
お元気そうでなによりです。
2輪を危ぶまれますが、還暦退職の挙句、世界を股にかけて遊びまわり、
挙句が中国で瀕死の重傷に遭われた安房さま故に、気持ちはお分かりいただけているものと心得ます(^^;
あの辺りは館山も外れですね。
あそこの奥は増間・・・・
太房の増間島の逸話の発祥の地。
もぅ大山の中ですね。
小野派一刀流の典膳と言うのは実は全然知りませんでした。
野牛よりも強いと言われたとか。
そんな剣豪が安房にいたなんて、この御子神典膳を探し当てて初めて知りました。
石堂寺とも因縁があるようですね。
館山の人に地元と言ったら怒られそうですが、安房と言うか房州より房総の生んだ偉人なんですね。
千葉の事なら相当に知ったつもりでいたのに、まだまだ知らぬ事の多い事か。
で、ご郷里の菩提寺はどちらでいらっしゃいますか。
そうした剣士の血筋と言うならなおの事お寺が気になるじゃありませんか。
辿ると里見氏にまでたどり着くのかもですね。
館山は別天地です。
そうした意味からも館山自動車道はなんだかなぁ〜ってよそ者は思います。
梅雨の時節、ご自愛くださいまし。