暴威

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暴威(ぼうい、BOØWY)とは、東京都 新宿を中心に広まったロックバンドを装った宗教団体である。

暴威のトレードマーク
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概要[編集 ]

活動は1980年代。しかし20年以上経った現在でも、公に(削除) ファン (削除ここまで)信者と名乗る者は多い。 「新宿絽布堂(しんじゅくろふどう)」と言う小さな寺院を中心に「戯倶(ぎぐ)」と呼ばれる講演活動をして、日本全国に信者を増やした。 なお「経の録音」やら「活動演習」と言う名目で、テレビによる活動は殆どしなかった。

略歴[編集 ]

1981年 [編集 ]

  • 6つの設備と人物で、新宿絽布堂にて活動開始(但し開始当時、高橋まことは未加入)。なお当時は群馬県 高崎市の設備や人物が中心だった為、当時の母体団体美院愚』の策略により、「群馬暴威」と名乗る恐れもあった。
  • 経の録音中に初代僧侶である木村マモルが教団を去り、後任として高橋まことが入信。

1982年 [編集 ]

  • 経収録集第一弾『道徳』を発表するも、当時は全く売れなかった。
  • 10月、2名が脱会。以降は教団解散まで、前述の4設備/人物での活動となる。

1983年 [編集 ]

  • 経収録集第二弾『即席愛』を発表するも、こちらも当時は殆ど売れなかった。
  • 一方で戯倶には徐々に信者が増え始める。
  • 現在でも数多く出回っている未許可の戯倶映像および読経録音集は、この時期の物が多いとされる。

1984年 [編集 ]

  • 全国への戯倶活動を開始。一部地域からの供物は、村で収穫された野菜や酒だった。

1985年 [編集 ]

  • 経収録集第三弾『暴威』を発表。前年の全国活動もあって、当時そこそこ売れた。

1986年 [編集 ]

  • 経収録集第四弾『只の英雄』を発表。前年の全国活動もあって、当時それなりに売れた。
  • 大きな玉葱の乗った大寺院にて初の戯倶。「ライブハウス武道館へようこそ!」
  • 経収録集第五弾『鼓動の感情』を発表。めっちゃ売れた。この頃「にわか信者」が急増する。

1987年 [編集 ]

1988年 [編集 ]

主な幹部[編集 ]

解散時[編集 ]

氷室京介(ひむろ きょうすけ)[編集 ]

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  • 担当:読経
  • トレードマーク左。
  • 創始者で、暴威のカリスマ的な存在。
  • 通称:「ヒムロック」
  • 寺西修(てらにし おさむ)」という名前はタブーである。
  • 本堂の正式名は、彼から「鶯坊(うぐいすぼう)」と名付けられた。
  • 昔の彼は名前を「氷室介」とし、また彼の熱狂的な信者を「氷室狂」と揶揄する事もある。
  • 1988年に経「天使」を発表し単独活動デビューを始めた。

布袋寅泰(ほてい ともやす/(削除) ぬのぶくろとらやす (削除ここまで))[編集 ]

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  • 担当:電気琵琶
  • トレードマーク左2番目。
  • 全長187mを誇る。
  • 髪を大仏ヘアーではなくトサカの様に立てている。
  • 主に黒地に白線幾何学模様を塗装した電気琵琶を腰で弾き、戯倶の際はめっちゃ動く。
  • 1988年に第1経収録集『琵琶律動』で単独活動デビューを果たした。
  • 風の谷のナウシカ』の王蟲の鳴き声の正体。

松井恒松(まつい つねまつ)[編集 ]

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  • 担当:低音琵琶
  • トレードマーク右2番目。
  • 通称「つねまっちゃん」
  • 寺院を守る不動明王
  • 現在は松井常松に改名。
  • 腕以外は殆ど動かさず、直立不動で低音琵琶を持つのが特徴。
  • 主に黒く血塗られた低音琵琶を愛用し、阿吽の吽の面構えを一心不乱に貫き通す。
  • 現在の交通整理のロボットの原型である。

高橋まこと(たかはし まこと)[編集 ]

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  • 担当:木魚
  • トレードマーク右
  • 通称「まこっちゃん」
  • 新宿絽布堂の僧侶。
  • タモリと酷似している。
  • 幹部唯一の福島県出身者。
  • を唱える声が非常に大きく、木魚を叩く力が強すぎる。
  • 大半の戯倶では、「いいえ、ニューヨークです」の合間に二度、信者にバチを振舞う。

途中脱退[編集 ]

木村マモル[編集 ]

  • 担当:木魚
  • 高橋まこと僧侶の前任。
  • 1981年5月脱会

深沢和明[編集 ]

諸星アツシ[編集 ]

  • 担当:電気琵琶
  • 1982年10月9日脱会
  • BOØWY脱会1年後に宗教活動を引退。

その他[編集 ]

西湖蓮男(さいこはすお)[編集 ]

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  • トレードマーク右上枠外
  • 経収録集第六弾「精神病質」の表紙にのみ登場した謎の幹部。
  • 詳細は不明だが、彼が幹部になった事が、団体解散の引き金になった事が有力視されている。

団体解散後[編集 ]

各幹部[編集 ]

  • 氷室京介創始者と布袋寅泰尊は、共に単独で活躍している。特に布袋尊は、江頭2:50等にテーマ曲を提供している事で有名。
  • 松井常松明王は布袋尊の傘下に入り単独活動。稀に布袋尊の公演にも参加する。現在は布袋尊の傘下より独立し、単独にて活動。
  • 高橋まこと僧侶は他の僧侶の傘下に入るなどして単独行動。

元信者[編集 ]

似すぎ...ってぇかパクリすぎ。その1

カラオケ等で、未だに元隠れ信者を見掛ける事が出来る。特徴は以下の何れかである。

  • マイクは右手で少し上に傾け、下側は親指と小指・上側はそれ以外の指で挟み込む。左手は大きく動かす。非常に高い確率で見掛ける。
  • 電気琵琶ソロの際、異常にエアギターが上手い。もちろん腰で弾く様に。大半は1987年の戯倶「暴威の場合」DVDの動きを参考にしている。こちらも非常に高い確率で見掛ける。また所持品に、黒地に白線幾何学模様を施す事も特筆すべき事である。
  • 低音琵琶奏者は「(削除) WORKING MAN (削除ここまで)労働者」を選曲し、低音琵琶では直立不動でダウンピッキング。暴威関連のオフ会なんかで見掛ける。
  • 経が始まる直前に「ワン、ツー、スリー、フォー!!」とシャウトする。タイミングが肝心なので、滅多に見掛けない。

代表曲[編集 ]

第3経収録集『暴威』収録経。講演の定番経であった。
第3単独経。歌詞に「焦点外れの我儘美女」とある通り、映像経ではかなり焦点外れとなっている。
  • 美・武流 新たな法典「栄都美意途」の基本と謳われる。他のプロ信者も経を真似る様になった。

悪い感覚が弾けない [編集 ]

悪い感覚」とは、経収録集第三弾「暴威」で発表された経の一つ。解散から20年以上経った現在でも電気琵琶奏者にとっては越えられない大きな壁であり、この経に挑戦するも挫折してしまう信者は少なくない。これが、理想と現実だ。 [フレーム] [フレーム]

関連項目[編集 ]

似すぎ...ってぇかパクリすぎ。その2

「律!!私の代わりにBOOWYを執筆して!! 」「じゃ、添削どうすんだよ」
私がやるから!!」「それじゃテンプレ貼付どうすんだよ」「それも私がやるから!!」 (Portal:スタブ)

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