小室哲哉

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見事な立ち土下座。頭から腰・膝までのえがくカーブのあまりの美しさは、芸術家としてのセンスを感じさせる。
自宅玄関前は違法駐車が絶えない。

小室哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本の東京都 府中市出身の宗教家、説法監修者、シンセサイザリスト。モスキートボイス。宗教法人T.Kファミリー代表。対立宗派は池田大作ファンクラブ。愛称は「うっちゃりコムロ」。「YOSHIKI使い」。 一時期は何故か中二病患者から激しく恨まれていた。

何もこわくはない[編集 ]

幼少時より異常なまでの偏食家だった小室は、1980年初頭に「マクドナルドだけで1年生活」と言う時代の斜め上を行く無謀な修行を始める。その挑戦中、実は普通にマクドナルドだけで生活するならさほど危険ではないが、わざわざコーラを1リットル飲んだり、フライドポテトの大量食いを行ったため体調を極端に悪化させる(いくら食べても太らない特異な体質が起因している)。また動脈硬化等を発症。生死の境を数ヶ月さ迷った末、ついには悟りを開いた。これを、解脱と言う。

小室は、翌年、自分が代表を勤める宗教団体TM通信(TMN)を設立。友人の木根宇都宮を幹部に迎え、自身の演奏するエアシンセサイザーにのせた説法という、斬新な布教活動を全国に展開(当初のキャッチフレーズは「金しろまる色の夢、みせてあげる」)するが、最初は軟弱な文学少女を対象にしたポエミーな教義だったため札幌あたりでしか話題にならなかった。

1986年、宗教団体TM通信の副子である渡辺美里に小室監修のもと教義させた「私革命(マイ・レボリューション)〜明日を壊せば救われる」と言う説法が多くの若い世代の心を捉え、この時期大量信者を獲得。その後(削除) 尊師が写りこんだ (削除ここまで)アニメのエンディングテーマ「野生的になれ!(Getwild)〜やさしさに甘えていたら救われない〜」と言う教義が各地で話題に。宗としての概を築く。1987年東京都に宗教法人として認可されるとともに宗教法人T.K家族と改名する。

ずっと君を見てる[編集 ]

1990年初頭よりさらに精力的な布教活動を展開する。人気アイドルを広告塔とした小室監修の革命的説法が各地で話題となる。 さらに、従来のアイドルだけではなく、新しい層への浸透も目指し、trf(所沢ランニングファミリー)を広告塔として起用。小室監修のもと放送コードギリギリのメンバーたちによるエアダンスとエアDJ「キチガイだぜまじでまじで(クレイジー・ゴナ・クレイジー)〜とりあえずアホになって踊っちゃえば救われる〜」説法を展開。バブル崩壊直後による不景気でアンニュイな気分となった若者たちの多くのハートを掴み、さらなる信者を獲得する。

説法においてはそれまでTM通信で使用していた7音階から4音と7音を抜くいわゆる「ヨナ抜き音階」というENKAなどに用いられている画期的な作風を取り入れた。同様な手法を用いたMr.Childrenと共に一時代を築く。

また自らの愛人という設定の華原朋美と沖縄アイドルユニット超猿似として活躍していた安室奈美恵の二人を女教祖とすることにより、女子学生・OLからカリスマ的な人気を集め、宗教法人T.K家族はこの頃日本最大の勢力を誇る宗派とまで上り詰める。全国のカラオケ店では、日々信者たちが小室説法を口々に祈り、不景気で落ち込んでいた日本経済に大きな影響を与える(末端のCDプレス業のおばさんとか)。

この頃、宗教観の違いにより、木根と宇都宮は脱会。もともと、大作ファンクラブの熱心な会員であった二人は昔からカリスマ的才能に溢れた小室を祈伏し小室信者すべてをファンクラブに引き込む目的での入信であったが、T.K家族はすでに社会現象と化し独自性を増していたため二人は既に為すすべがなかった。この頃から大作ファンクラブからの一方的な弾圧がはじまる。

1990年代後半、広告塔である芸能人の信者も増加する。小室本人が教義に参加するユニットglobe(野球用品のひとつであるボールを受けるミットの意。)による野球好き男性をターゲットにした祈伏による大量信者獲得、またおバカアイドルの第一人者、人気お笑い芸人、オカマ振り付け師、など様々な種類の芸能人を広告塔として利用することでその勢力はさらに増大し、日本国民総T.K家族入信計画が始まる。

経験が邪魔をする[編集 ]

若かりしころ。

1997年以後、小室は、宗教法人T.K家族インターナショナル(T.K.I)を新たに設立し、なぜかモンゴルなどの海外への布教活動を、それまで稼いだ資金の9割をつぎ込んで開始するも、それらの金の全てが闇社会に巻き上げれるという悲惨な結果になった。 また、池田大作ファンクラブからの激しい弾圧も続いた。1999年頃から信者離れが始まる。 このころから小室はプログレやトランスを作っていき、「さらに斜め上」を行くようになった。

日本国民総T.K家族入信のスローガンのもと行う強引な祈伏活動について次第に反発や被害報告もなされはじめる。また、つんく率いる宗教法人波浪企画による10代〜30代オタク層信者の増加等の反対勢力も徐々に増大。

2002年に入り、広告塔女性信者であった元妻からキーワード『養育費』と、非常にスケールの大きいカツアゲをされはじめる。また、元愛人だった華原朋美は愛人関係が終焉すると同時に教団を追放され、この頃から奇行に走りはじめマスコミの注目を集める。この行動が宗教法人としてのT.K家族、また宗教化としての小室哲哉を暗に非難する形となり、さらなるアンチ層を増大させる。

2003年、敬虔な信者である奈良のカリスマアーティストmiyocoを地区幹部とし説法を監修する。アフリカンなテイストを取り入れた24時間自宅説法が一部マスコミで評判を集めるも大作ファンクラブの陰謀によりmiyoco失脚。信者獲得は失敗に終わる。

2004年、宗教法人T.Kファミリーに改名。この頃になると特定の信者のみと行動するようになり、当時の小泉首相の支援を受けていたX教団YOSHIKIglobeに加入させるも、政教分離に反するのではないかと、モラルが問われる声が広がる。この衰退については、大作ファンクラブの呪いでは、たぶんない。オリジン弁当と開宗のきっかけとなったマクドナルドのローテーションの食事への傾倒を過激にさせ、短期間で35キロまで減量させるダイエットを成功し今の容姿となる。

壊れそうで崩れそう[編集 ]

色々と面倒な出来事もあり、最終的には大人な事情で、2008年11月、小室は二人の幹部とともに、ネバーランドへ旅立ったが、一人は何故か不起訴となった(小室が擁護したとも)。このことについて、池田大作ファンクラブは「仏罰がくだった」と痛烈批判する。その後自身の著書で俺の歌う才能は0.1くらい。と黒歴史、V2に言及した文章を発表。「やはりあの蚊の鳴くような声質は本人も気にしてたのか」と波紋を呼んだ。 そして2018年、不倫が発覚し、あっけなく引退を発表した。

関連項目[編集 ]

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