詳細
IASR-logo

ボルバキアを用いた疾病媒介蚊制御の歴史的経緯と現状

(IASR Vol. 45 p138-139: 2024年8月号)

エールリヒア科の1属を構成するボルバキア(Wolbachia)は, 主として無脊椎動物に感染する細胞内共生細菌であり, 1924年に米国のトビイロイエカと考えられるCulex pipiensで初めて発見された。その後の研究により, ボルバキアが宿主に対して"細胞質不和合"という特異な生理現象を引き起こすことが明らかにされた。蚊ではボルバキア感染雄と非感染雌との交配において産まれた卵が孵化せずに死ぬ, いわゆる細胞質不和合が引き起こされ, 卵(次代)の発生が起こらなくなる。しかし, 雌雄ともにボルバキアに感染している場合, 卵は正常に発生する。最近, ボルバキアプロファージ由来Cifタンパクが細胞質不和合を確立するために精子ゲノムの完全性を修飾することが明らかとなった1)。また2009年には, オーストラリアの研究者らによって, ボルバキアに感染したネッタイシマカ(Aedes aegypti)の体内では, デングウイルスやチクングニアウイルス, 鳥マラリア原虫といった病原体の増殖が強く抑制されるという興味深い現象が発見された2)。これらの知見を基に, ボルバキアに感染した蚊の野外大量放飼による蚊媒介感染症の制御法が考案され, 実際に野外での実証試験も行われてきた。

一般に自然界のネッタイシマカ集団でのボルバキア保有率は低く, 細胞質不和合の現象は通常は見出されない。ところが, トビイロイエカやショウジョウバエといった異種昆虫由来のボルバキアをネッタイシマカに人工的に移入させると, 細胞質不和合や病原体媒介抑制の現象が引き起こされることが示された。一方, ネッタイシマカと同様に, デングウイルスやジカウイルスの媒介に関与する近縁種ヒトスジシマカ(Aedes albopictus)は, wAlbAやwAlbBといったボルバキア種を保有している場合があり3), これらのボルバキアは宿主に対し細胞質不和合を引き起こす4-6)。ところが, これらのボルバキアを保有している日本産のヒトスジシマカコロニーを用いた実験では, 蚊体内におけるデングウイルス増殖への影響は認められなかった3)。それに対して, ネッタイシマカにヒトスジシマカ由来のwAlbBを持たせると, デングウイルスの増殖が著しく抑制されることが報告されている7)。こうしたボルバキアによる細胞質不和合やウイルス抵抗性付与といった宿主を操作する仕組みについては, いまだ不明な点も多い。

生物的防除資材としてのボルバキアの利用については, 1)ボルバキアによる細胞質不和合作用を利用して野外の蚊の個体数密度を低下させる, 2)ボルバキアによる病原体の増殖抑制作用を利用して野外の蚊集団を病原体媒介能のない集団へ置換する, という2つの目的に大別される。これまでに行われたボルバキアによる媒介蚊制御の野外実証試験について主なものをに示した8)。早くは1967年にミャンマーのオクフォ村において, フィラリアやウエストナイルウイルスの媒介蚊であるネッタイイエカ(Culex quinquefasciatus)に本蚊種由来のボルバキア種wPipを感染させ, これによる細胞質不和合によって蚊の個体数を低減させようとする試みが行われている。その後, ボルバキアの利用拡大の大きな転機となったのは, 2009年のボルバキアによる病原体増殖抑制機構の発見と, 2010年にオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)がボルバキア利用による媒介蚊制御法を低リスクと評価したことである。2011年にはオーストラリア北部のケアンズにおいて, ショウジョウバエ由来のボルバキア種wMelを移入したネッタイシマカを用いて野外蚊集団を置き換えようとする初めての実証試験が行われ, デング熱の局所的な根絶をほぼ達成している。その後の経過については, を参照してほしい。wAlbBとwMelともに他のボルバキアに比べフィットネスコストが低いデータがあり, 実際に実証試験で使いやすいと思われる。データ的にwMelの方が, wAlbBより温度の影響を受ける報告がある。こうしたボルバキア利用によるデング熱等の疾病媒介蚊対策に関して, 世界規模でのさらなる普及と推進を目的とし, オーストラリアのモナッシュ大学が中心となってワールド・モスキート・プログラムが設立され, 活動を展開している(https://www.worldmosquitoprogram.org/)。

一方, 英国のオックスフォードに拠点を持つオキシテック社が開発した致死性遺伝子を持たせた遺伝子組換えネッタイシマカの野外放飼(Release of insects carrying a dominant lethal gene:RIDL)による個体数制御も試みられている9)。最近では, ジーンドライブと呼ばれる最大100%の確率で特定の遺伝子を子孫に伝える方法も確立され10), 野外蚊の集団全体に特定の形質を急速に広めるための技術開発も盛んである。一方で, ボルバキア利用, RIDL, ジーンドライブといった新しい媒介蚊制御法の実施に当たっては, 安全性や環境への配慮はもとより, 地域住民の理解と同意が不可欠であり, いまだ課題も多いのが現状である。

参考文献
  1. Kaur R, et al., PLoS Biol 20: e3001584, 2022
  2. Moreira LA, et al., Cell 139: 1268-1278, 2009
  3. Sasaki T, et al., Jpn J Infect Dis 75: 140-143, 2022
  4. Ant TH, et al., PLoS Pathog 14: e1006815, 2018
  5. Xi Z, et al., Science 310: 326-328, 2005
  6. Joubert DA, et al., PLoS Pathog 12: e1005434, 2016
  7. Ahmad NA, et al., Phil Trans R Soc B 376: 20190809, 2021
  8. Ross PA, Acta Trop 222: 106045, 2021 doi: 10.1016/j.actatropica.2021.106045(Epub ahead of print)
  9. Waltz E, Nature 593: 175-176, 2021
  10. Li M, et al., Elife 9: e51701, 2020
国立感染症研究所昆虫医科学部
佐々木年則 伊澤晴彦 葛西真治

Copyright 1998 National Institute of Infectious Diseases, Japan

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /