木耐協も設立20年を超え、組合員から「事業承継」の話題が出てくるようになりました。アーキテクトの山本社長はオートバイの元プロレーサーという異色の経歴の持ち主。モータースポーツから建築という家業を継がれた経緯を詳しく伺いました。
勘当同然で22歳でプロレーサーの世界へ
昭和22年に創業した父親の背中を見て育ち、工業高校の建築科に進学された山本社長。友人との話題は専らオートバイで、先輩から譲り受けた「モンキー」が最初のバイクとの出会いでした。「カワサキ」の営業所で知り合った鈴鹿サーキットのレーサーとの縁で、鈴鹿で練習を重ね、継続してレースにも出場されるようになりました。高校を卒業して,22歳でバイク乗りの憧れである国際A級ライセンスを取得した山本社長。大工修行5年目の時、DUNLOPのテストライダー募集を知り、二度とないチャンスと一念発起して申し込んだところ見事合格。ただ、バブル手前の建築ラッシュの多忙な時期と重なったことで父親の理解は得られず、ほぼ勘当同然で実家を出られたそうです。 全日本選手権シリーズで優勝し、世界GPを転戦した後に、鈴鹿8耐で松本紳助率いる「Team紳助」の専属レーサーとしてプロ契約を交わすなど、10年間第一線で活躍されました。
引退後、父親の姿を見て家業を継ぐことを決意
1992年にレーサーを引退し塗装業を始めようと考えていたところ、家業を継ぐ予定だった弟が急遽父親の元から離れたため、店を畳むことも考えだした父親の姿を見て継ぐことを決意。専務として復帰後、当時珍しかったCADやパソコンをいち早く導入するなど新しい技術を積極的に導入し、代表取締役となってからも地域密着で魂のこもった家づくりを続けられています。これから事業承継される若い世代へのアドバイスを伺ったところ「経理や簿記の知識はとても大事。若いうちからPL(損益計算書)やBS(貸借対照表)に慣れておいた方が良いよ。」とのアドバイスを頂きました。