高校教諭と労働法学者の往復書簡(5) 「非正規雇用を考える」
カテゴリー: 河村先生から荒木先生へ, 往復書簡 タグ:正規雇用, 非正規雇用 2013年 8月 1日
『高校教諭』は、広島市立基町高等学校教諭の河村新吾先生、
『労働法学者』は、東京大学大学院法学政治学研究科教授の荒木尚志先生です。
(右上の文字サイズを「中」にしてご覧ください)
残暑の候 今夏は記録的な暑さや「経験のない大雨」など自然の力を感じざるを得ない年でした。お元気でお過ごしでしょうか。うららかな春の日差しでペンを走らせていましたがとうとう最後のお便りになりました。
さて今回は荒木先生が先月号でご賢察のとおり、現代社会の労働問題の本丸である非正規雇用の問題に挑戦してみました。ここでは非正規雇用の問題を各省庁のデータを逐次示して客観的に読解させることよりも、丸ごと非正規雇用問題の全体像が分かるものを簡単に提示して、生徒自身に労働法を通しての社会の中で生きる力を表現させたいと思いました。特に今回の往復書簡で荒木先生に気づかされた「労働法で考える、労働法を考える、それらの前提として労働法を知る」という視点と教科書の巻末資料には記載されていないけれども重要な労働法の条文を手掛かりとして労働法の存在意義を学べる、いわば総復習編のような指導案を作成してみました。最終号での質問は次のとおりです。
新学習指導要領では、公民科現代社会において「幸福・正義・公正」という視点で現代社会を読み解くことが提示されました。非正規雇用問題に引き付けると、使用者(企業)の幸福と労働者の幸福が対立、または正規労働者の幸福と非正規労働者の幸福が対立、という構図が想定されます。しかしその構造に疑問をもつのです。前者についていえば生徒の圧倒的多数は労働者の立場しかないこと、後者についていえば連帯すべき労働者を対立させることへの違和感がその理由です。別の対立を新学習指導要領では期待しているのかもしれませんが、今回の指導案では「幸福・正義・公正」という視点をとりませんでした。
一方、今回の指導案では「望ましい雇用モデル」を生徒に要求しませんでした。それは非正規雇用を考えることで「望ましい雇用モデル」を生徒自身の課題として持ち続けてほしいからです。即答を要求すれば、非正規雇用差別禁止ルールを生徒は提示するかもしれません。最近読んだ本の一節「すべての規範の消極より積極に進むは進化の常態である注1」に法教育の在り様を直観しました。つまり非正規を差別しない(消極)ことよりも非正規と共生できる(積極)ことを生徒に要求したいのです。法教育は社会には問題があることを前提にして、良き社会のために法の果たす役割を探究して積極的な提案を要求し続ける教育です。時間のかかる教育なのです。では次の指導案を吟味してみてください。
法教育指導案
テーマ:「非正規雇用を考える」
教材:「正規と非正規、何がどう違う?」
対象学年:高校1年生
対象領域:公民科現代社会
本時の目標:現代日本では、正規と非正規の格差が社会問題となっている。労働法で考えること、労働法を知ること、さらには労働法を考えることを通して非正規雇用も含めた日本の雇用システム全体における法の役割を考えさせ、いわゆるワーク・ライフ・バランスの意味を生徒に自分自身の言葉で表現させる。
・「正社員以外臨時職員、パート労働者、登録型派遣、契約社員、...」これらは総称して何といわれていますか
・非正規雇用には正規雇用ではないという程度の定義しかなく曖昧です
・働く期間はどうでしょうか
・働く時間はどうでしょうか
・勤続年数とともに変化するものは
・勤務地や職務内容はどうでしょうか
(間接雇用なので派遣元から賃金をもらうことを説明する)
○しろまる(1)具定例についてどの選択肢が正しいですか、資料の労働基準法37条1項を参考に答えてください
・非正規雇用、非典型雇用、非正規労働、...
(パートとかアルバイトといったものは会社側の呼称にすぎないことに気づく)
・始業から終業まで(9〜17時など)
・賃金や役職(昇給と昇格)
・転勤したり異動したりする
(1)有期(2)パートタイム(3)間接
・家族を養うには、正規雇用に比べて非正規雇用は不安定で賃金に格差があるから
○しろまる次の板書をする。
正規雇用
厚生年金と健康保険
(2つとも保険料は本人・事業主の折半)
非正規雇用
国民年金と国民健康保険
(2つとも保険料は本人全額負担)
⇒国民年金に上乗せした形で厚生年金を受け取る
・非正規雇用の場合も一定の条件の下に割増賃金請求権がありましたが、保険料を使用者側が半額負担する場合は非正規雇用についてもありそうでしょうか
「路面電車やバスで広島の交通を担っている会社での実話です」
(労働組合の執行委員長談では、接客マナーが向上、事故件数の減少、住宅取得、結婚の増加などの変化がみられたという)
・現代の課題を読んでみよう
○しろまる各班でA〜Cの提案から一つを選んで、労働者の立場でメリット・デメリットを議論してみよう
○しろまる各班の発表を聞いてみよう
「家計を支える立場では正規雇用が理想だけれども、そうでない立場例えば高齢者で短い時間だけ働きたい人であれば非正規雇用も魅力的です。」
「正規雇用であっても、勤務地を限定して単身赴任を避けたい人や業務内容も限定して変更したくない人もいるかもしれません。」
(何人か指名して発表させる)
【本日のまとめ】の4の法の役割とは何か、各人自由に記述してみよう
(後日印刷をして配付する)
1労働法で考える
使用者と労働者が合意をしていても公正な第三者からみれば社会正義に合致していない場合があり、労働基準法などの労働法で( )される。
労働者にどのような権利があるのかを知るためには( )よい。
社会変化の中で雇用形態が多様化し、ワーク・ライフ・バランス=( )の確立が求められている。
・((広島の場合)今日も利用した)
・B 雇用の安定 公正な処遇
・読む
(提案例)
・Aの場合、メリットとしては待遇がよくなり仕事へのモチベーションを上げることができるが、デメリットとしては専門的な資格技能だけに特化して仕事をすることができない
・Bの場合、メリットしてはフルタイムなので確実に賃金が上がるが、デメリットとしては都合のよいときだけ働くことができなくなる
・Cの場合、メリットしては正社員になりたい希望をかなえることができるが、デメリットとしては正社員を希望せず他の活動と両立することができなくなく
・社会正義に合致するように修正、労働者が保護、使用者側が規制、労働者と使用者が対等に対話できるように整備、...
I 基礎知識の確認
正規雇用の働き方の特徴
勤続年数とともに能力を高め役職を高め賃金を高めることができる。
非正規雇用の働き方の特徴
勤続年数にかかわらず同じ働き方同じ賃金で、能力を高める機会がない。
II 労働法で考えてみよう(割増賃金規制)
(1)具体例
ある大学生がコンビニエンス・ストアで、時給1,000円で1日8時間のアルバイトをしていた。バイトのシフトの関係で1時間早くから働いてほしいと店長より頼まれ働いた。仕事が終わったバイト代は9,000円で、1時間早く働いた時間に割増賃金はついていなかった。そこで大学生は店長に訳を聞くと「君は非正規雇用だから仕方ないんだよ」といわれた。(1大学生は納得して働いたのだから割増賃金を請求できない 2大学生は1日8時間を越えて働いたのだから割増賃金を請求できる 3大学生が割増賃金を請求するなら、それは合意した内容と異なるので店長は雇用契約を解消できる)。
(2)労働基準法37条1項
労働時間の延長又は休日労働 → 割増賃金の発生
⇒割増賃金を使用者側に課すことによって、(A)ことができる
(3)発展問題
近所のスーパーマーケットでパート・タイマーをしていたお母さんが、店長から「パート(非正規雇用)だからゴメンネ」と言われて解雇されてしまった。期間の定めを合意して雇われておらず長年勤めていただけにお母さんはショックを受けた。(1お母さんは非正規雇用だから諦めるべきだ 2期間を定めない無期雇用であるから解雇権濫用法理が適用されるかもしれない 3解雇権濫用を訴えるのなら、最低賃金よりも多く払った賃金分を店長はお母さんに請求できる)。
III 広島電鉄
⇒2009年3月の春闘により、正社員の賃金の引き下げと引き換えに定年は60歳から65歳に延長され、賃金体系も一本化された
⇒A( 雇用の安定 公正な処遇 多様な働き方)は減少したが
B( 雇用の安定 公正な処遇 多様な働き方)は前進した
⇒C その結果、広島電鉄の労働者の中では( )
(三井正信『基本労働法I』(成文堂、2012年)82頁を参考に作成)
IV 非正規雇用を考えてみよう
現代の課題
「労働法の規制は、個人の選択をサポートするとともに、選ばれた雇用モデルが社会正義の観点から許容され得る、バランスのとれたものであることが要請されよう。」(荒木尚志『労働法〈第2版〉』(有斐閣、2013年)729頁)
提案
A:期間の定めがある契約社員は、雇用の安定がなく、労働条件も正社員よりも低いので、正規雇用として無期労働にすべきである。
B:パート労働者は、非正規雇用で不安定だから、正規雇用としてフルタイム労働にすべきである。
C:派遣先(仕事)があるときに働く派遣という働き方は、非正規雇用で不安定だから、正規雇用として派遣先の会社で直接雇用すべきである。
○しろまる各班の発表を聞き、メモをとろう
○しろまる現代の日本社会は、正規雇用か非正規雇用かという二者択一が中心である。今後は多様な働き方を尊重し、ワーク・ライフ・バランスの確立が求められている。
【本日のまとめ】
1労働法で考える
使用者と労働者が合意をしていても公正な第三者からみれば社会正義に合致していない場合があり、労働基準法などの労働法で( )される。
2労働法を知る
労働者にどのような権利があるのかを知るためには( )よい。
3労働法を考える
社会変化の中で雇用形態が多様化し、ワーク・ライフ・バランス=( )の確立が求められている。
4法の役割とは何か(自由記述)
資料
労働基準法37条1項
使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率(注:時間外労働については2割5分、休日労働については3割5分)以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。ただし、当該延長して労働させた時間が一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
労働契約法16条
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
社会保険庁(注:2009年廃止後は同庁の業務は特殊法人の日本年金機構に引き継がれている)
社会保険庁から各都道府県保険課(部)長あて内かんとして厚生年金保険の適用基準を「通常の就労者の所定労働時間、所定労働日数の概ね4分の3以上」とした。(昭和55年6月6日)
(注:内かんとは運用事項を定めた内部的な事務連絡文書のこと、しかし事実上、法令と同等の効力をもつ。)
実際の授業では90分取れない場合がほとんどですので、教材II(労働法で考えてみよう)で一旦区切って、後半はその後授業をしようと考えています。
最後になりましたが現場の法教育実践の悩みに4月から耳を傾けてくださったことに改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
再会を楽しみにしてひとまずペンを置きます。
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