県立千葉高等学校 政治・経済授業「自己決定権(1)」

カテゴリー: 法教育実践, 高等学校, 取材日記 タグ:, , 2013年 3月 21日

「高校教諭と憲法学者の往復書簡」の実現授業の第3回をお伝えします。2013年2月26日(火)13:15〜15:05(全2時間)、県立千葉高等学校2年生の政治・経済授業で「自己決定権」についての授業が行われました。この授業は、往復書簡(10)憲法6「自己決定権」(2013年1月17日掲載)に対応するものです。今回のレポートは、「自己決定権(1)」として1時間目の模様をお伝えします。

〈授業〉

2年D組 41名(男子21名、女子20名)
13:15〜14:05 場所:第1会議室
教科:政治・経済
単元:民主主義の基本原理と日本国憲法
テーマ:「自己決定権その1」
授業者:藤井 剛 教諭
(テーブルが10か所に設置され、4〜5名ずつ自由に着席してよいことになっています。ほとんどの班が男女別に分かれました。
なお「民主主義」の授業同様、会議室の黒板は自由に書けるスペースが狭いので、先生は設問などを印刷した紙をマグネットで貼り付けながら、授業を進めていきます。)

〈導入―「自己決定権」の定義〉

先生:「2学期の終わりに『法教育』の授業を行いました。その時のテーマは『民主主義を考える』など政治分野でしたので、今学期は法律分野です。法律の中でも何を扱おうかいろいろ考えたのですが、今日は憲法、その中でも基本的人権の授業です。テーマは自己決定権です。中学校で人権は学んできたと思いますが、自己決定権とは、馴染みのない権利ですね。それではまず定義してください。いつものように教科書や資料集を調べ、班で話し合ってください。」(グループ討論の時間は、いずれの問いについても、生徒の話し合う声が自然に収まるまでの数分間ずつです。)

【問1】自己決定権とは?
9班:「他からの干渉・介入を受けずに、個人の人格にかかわる重要な事項を自分自身で決定できる権利。」
先生:「そのとおりです。資料集だと140ページに載っています。電子辞書だと、もう少し易しく『自分のことは自分で決める権利』と出ていますね。何を表現しようか、何の宗教を信じるかなどということを決める権利ですから、表現の自由や信教の自由などの前提となる権利、つまり、生きる上で根本的な権利であるということを押さえてください。さて、権利というからには当然憲法に書いてあるはずですね。何条ですか?」

【問2】自己決定権の憲法上の根拠は?
8班:「13条です。」
先生:「はい、13条が根拠です。問題はここからです。教科書か資料集11ページを開いて下さい。(間)開いたら13条を読んでください。(間)気がつきましたか?憲法13条は、その文言から『幸福追求権』とか『個人の尊重原理』と言われていますが、『自己決定権』という言葉が入っていません。なぜでしょうか?
これは憲法の構造、特に人権規定の構造が理解されていないと分かりません。13条は読みましたから、11条と12条を読んで下さい。(間)先ほど読んだ13条を含めて『侵すことのできない永久の権利』とか『国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない』というように、抽象的な言葉で人権が表されています。そして14条以降に、具体的な権利が書いてあります。このように、11条から13条は人権の『総論』規定で、14条から40条が『各論』規定として、思想の自由とか居住移転の自由とか、個別の人権が列挙されているのです。つまり、総則部分で、『人権は重要なものだ』ということを示したあと、その大事な人権の中でも『ここは注意してね』と、個別の条文で注意を呼びかけるという構造なのです。
このことが理解されると、憲法に書かれていない権利でも主張できることがわかります。個人には大切な権利がたくさんあります。その中でも、憲法には一部しか書けないのですから、書けなかった、あるいは憲法制定当時に認識されていなかった権利があるはずです。これで、プライバシーの権利とか肖像権とか、憲法には書いていないのに、権利として主張される理由が分かりましたね。聞いたことがあると思いますが、『新しい人権』と呼ばれている権利があります。プライバシー権、知る権利、自己決定権、平和的生存権などです。これらの権利の根拠が13条とされていることが、この説明で理解できます。つまり、人権は憲法に書かれているもの以外にもたくさんあり、さらに社会の変化によって新しく生まれてくるのです。」

〈展開1 自分で決めたいこと、決めてはならないこと〉

先生:「では、本題へ戻ります。自己決定権という権利があるとして、あなたはどんなことを自分で決めたいですか?」

【問3】自分で決めたいことは?
7班:「何を買うか、買いたいもの。」
9班:「今晩の夕食。」(笑)
先生:「そうですね。ご飯を『作る側』にまわらないと、決めることは難しそうですね。」
5班:「髪型。」
2班:「住むところ。」
10班:「職業。」
1班:「死に方。」(笑)
先生:「素晴らしい!私が予想したとおりの答えばかりですね。(笑)前のクラスでは、親とか(笑)性別との答えがありました。生まれてくるときに親や性別の選択はちょっと無理でしょうね。私は、進学先・就職先・住むところ・結婚相手などを考えました。『髪型』が出てきましたので、そのカテゴリーでは、服装・髪型・ピアスなどがあります。ただし、前者と後者はちょっと違います。後者は自己決定の範囲内かどうか、議論があるのです。(間)肯定する人は、髪型などは自己表現だから、自己決定の範囲内だといいます。否定の意見は、仮にも権利であるというからには、人が生きていく上でそれなりに重要な自由であることが必要だろう、『何を着るか』『どんな髪型にするか』は生きる上で重要なものだろうかと問いかけます。この問題については自分で考えてください。さて、次の問いです。」

【問4】自分で決めたいのに決められないことは?
4班:「家庭環境。」「恋の行方。」(笑)
先生:「実は、先ほどの答えの結婚相手とか、就職先なども相手次第ですね。」
3班:「学校長。」(笑)
7班:「性別。」
先生:「また難しいのを答えましたね。私は、飲酒・喫煙、遊泳禁止、冬山登山、治療方針、尊厳死・安楽死を考えました。最後の2つの区別はわかりますか?簡単に言うと、尊厳死は延命治療の拒否のこと。安楽死は、「治療不可能」かつ「苦痛の強い」病気で死期の迫った患者に医師が劇物を注射したりして安らかに死ぬこと。日本は両方とも認めていませんが、ベネルクス3国では、尊厳死どころか安楽死を法律で認めており、フランスも消極的に認めています。ですから、この尊厳死・安楽死の議論は、今後日本でも一般的になる可能性があります。この問題も、考えておいて下さい。さて、今日の山場です。権利を制限するにはキチンとした根拠がないといけませんから、よく考えてください。」

〈展開2 自己決定権を制限する根拠〉

【問5】制限の理由は?
6班:「社会の秩序と人命を守るため。」
先生:「そうですね。飲酒・喫煙については、自分はともかく他者加害のおそれが考えられます。具体的には、受動喫煙などですね。残りの遊泳禁止、尊厳死・安楽死などは自己加害を防ぐものです。この授業で議論している自己決定権の制限は、自己加害が中心です。国家が国民の生命を守るためというのが制限の主な理由です。なぜそこまで国家が国民の面倒を見るのですか?大きなお世話ではないですか?」
2班:「生存権の保障のため。」
先生:「現代国家は、理念として福祉国家ですね。国民の最低限の生活を保障しようとします。それならば、国家が国民の生命を守ることにでしゃばって出てきてもよさそうです。つまり、『誤った選択で国民が不幸になるのを、国家は見過ごせない』『国家は国民の幸福を守るべきだ』ということですね。このような理由で行う国家の介入を、パターナリズムと言います。もう1つ質問があったのですが、時間がなくなってきたので、先へ行きます。このような国家の介入は、誰に対しても同じように介入するわけではなく、アップダウンをつけているところがあります。どのようなところで見られますか?またその理由は?考えてください。」

【問6】国家の干渉は平等に行われているか?
5班:「自分のことは自分でできる人には、介入しない。」
先生:「具体的には、どんな人ですか?」
5班:「成人。」
先生:「20歳以上ならば、飲酒・喫煙はOKですし、選挙権がありますね。でも年齢ならば、他の区別もありますね。」
5班:「結婚年齢。」
先生:「そうですね。男性18歳、女性16歳。ところで、この男女の年齢差はどのような理由で決まったか知っていますか?明治初期に作られた旧民法制定の時なんです。その時に、お医者さんに『何歳くらいから結婚していいのか』と聞いたところ、男17歳、女14歳という答えが出て規定されたんです。それが戦後、義務教育年齢に合わせて18歳と16歳になったんです。他にも、自動車の免許は18歳、バイクの免許は16歳ですね。さらに、重い知的障害を持っている人などは、財産の処分権が制限されています。さて、年齢制限をするのはなぜですか?」
5班:「体が未発達だから。」
先生:「それで納得しますか?それ以外の理由は?」
2班:「責任がとれないから。」
10班:「知識や経験がないから。」
先生:「そうですね。まとめて『自己決定する能力がない』とまとめておきましょう。もう1つ考えられるのは、自己決定に必要な情報がないことです。クーリング・オフを学びましたよね。モノを『買う』と契約したのに、なぜあとで解約できるのですか?たとえば、その製品に関する情報が足りなかったり誤っているからですね。そのような時には、自己決定を制限できるのでしょうね。ここからは時間がないので指摘にとどめますが、いま話した、自己決定できる『能力』とは、どのようなものなのでしょうか?それは、どのように識別することが可能なのでしょうか?考えていきたいところです。」
先生:「さて、時間になりました。次回は事例をもとに、パターナリズムで自己決定をどこまで制限してよいかを考えてみたいと思います。」

〈ここまでの取材を終えて、藤井先生へ紙上インタビュー〉

――お疲れ様でした。これだけの問いを50分間でグループ討論するのは、かなり忙しかったと思います。「往復書簡(10)」の1時間目授業案の導入部分にあった「自己決定権には自律した個人が前提となっていることに気づかせる」という事項が、問6にまわされたように見えましたが、時間の不足の関係ですか?
藤井先生:「重複した問いかけになっていると思いましたので、問6にまとめました。ただし、時間があれば、人権の根本には『自律した個人』があることを確認させたかったですね。人権論の根本部分の1つだと思います。」

――予定では、問6の前にもう1つ、「国家による干渉の正当性は?」という問いが入るはずだったのですね。本人がよいと思って自己決定していることについて、なぜ国家が干渉するのか、さらに深める予定でした。能力と情報のことを問6の解説で先生が説明されましたが、発表では出なくても、グループ討論の中では話し合われていたかもしれませんね?
藤井先生:「ご覧になったように、グループで話し合いを行っている時、私は各班をまわっています。まわっている時に、いくつかの班で福祉国家の話が出ていました。また、『情報不足』の議論と『能力』の議論は、まわっている時に出ていなかったので、時間の関係もあり解説してしまいました。もう少し時間があれば、ヒントを出したりして答えを導き出せたと思います。やはり授業は、時間との戦いです。」

〈次回は「その2」として、第2時間目の紙上ディベートの授業と、授業後研究協議の模様をお伝えしますので、どうぞお楽しみに。〉

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