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肉体関係もあり? 『ワイドスクランブル』の「アイドルの闇営業」特集が物議 "買春では"の声も - リアルライブ
この業界から反社を一掃するのはおそらく無理だろう。
そもそも原則を云々するならば、反社勢力を一網打尽にしないことが問題ではないのか。
反社の存在を認識していながら放置しているなら、存在を認めているのとかわりないではないか。
蜥蜴の尻尾切りみたいなまねを今後も続けるだけだろう。
火と汐 松本清張:著 文藝春秋 (1976
☆
【京都の夏をいろどる大文字の夜の雑踏にひそかに交された愛の営みと、同時に催された三宅島へのヨット・レースとの間の完全犯罪の謎を追求する本格推理小説の傑作】
清張は短編がいい。長編もいくつか読んだが、短編に比べると余計な描写が多くなるせいか、中だるみしてきてしまう。
本書は四篇収録されていて、中編と云ったほうがいいかもしれない。
まずまずおもしろく読ませてもらったものの、ご都合主義的な展開に苦笑してしまって、感心するにはいたらかった。
これは清張だけに限らず推理小説の宿命かも分からないが、現実にはあり得ないような偶然が多すぎるのだ。
偶然渦中の人物と遭遇するとか、発見してしまうとか、あの日あの時あの場所で偶然目撃してしまった、あのひとと偶然出会うとか。まさにここに収録されている「山」がそれであるが。
この「山」という話、はじめはおもしろく、引き込まれていったのだが、失踪した姉の妹が「偶々」書店で見かけた、雑誌の表紙に描かれた「山」を見て、この山は姉の失踪に関係があるに違いないという、あり得ない直観が芽生えてしまったことから、解決に繋がるのである。
笑ってしまうではないか。
そもそも清張というひとは、トリックで読ませる作家ではない。それより、事件の裏にある動機、人間劇を描くほうに比重がある作家だとおもう。読んでいて引き込まれるのもその部分である。
故にそういう作風のひとが、変にトリックに凝ると大失敗を犯すという例が「火と汐」である。これも浮気相手の夫人が傍からいなくなっていることに気づき、おとこが彼女になにが起こっての「失踪」なのかに悩みつつも、とりあえず彼女の荷物をもって自宅に引き上げたまではよかったのだ。
だが、種明かしがはじまってからはまるで感情移入できなくなってしまった。こんな手間のかかる犯行できるわけないとおもうのだ。
一方で、弁護士として著名になるきっかけとなった事件の容疑者の正体が明らかになり、弁護したことを後悔することになる「種族同盟」は、人間劇に重点がおかれていることにより、成功したといっていい。
これぞ清張節といった作品のほうがおもしろい。
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