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2019年2月

2019年2月25日 (月)

テロルの決算


沢木耕太郎:著、文藝春秋 (1978
☆☆

【一人の少年の刃が社会党委員長の胸を貫いた。この一瞬に社会党混迷の種は芽生えた。
右翼少年と老政治家の運命的出会いと六十年安保の時代を描き切る六百枚の力作】



ひとの人生とはなんという劇だろうと思わされた。これを読むと運命論に傾きたくなる。



I:<<三党首演説会 (後二時、日比谷公会堂)>>



毎日、朝日を購読していたが、最近読売新聞に変えていたこと。他の二誌にはその三党首演説会の記事はなかったこと。



II:三多摩での演説会の後、浅沼議員の運転手(ベテラン)が道を間違えて迷い込んだのが多磨霊園だったこと(その翌日に刺殺され、多磨霊園に納骨されることに)。その運転手は、気味が悪かったのか、暫くそのことを話さなかったという。



IV:さらに、三多摩の演説会というのが中村高一氏の選挙応援だったこと。過去、この人物の応援演説の帰りに刺殺された議員がいた(山本宣治は神田表神保町にて七生義団の黒田保久二により刺殺)。



V:浅沼稲次郎はいつも背広の胸ポケットに硬い手帳が収まっていたというが、この日、着古したいつもの背広ではない服に着替えて出かけたこと(刺されたのはまさにその手帳の辺りであった)。


VI:決行当日、山口二矢は母親の目を気にして家を出るのが遅れたため、すでに演説会は始まっていたことが幸いした。会場入り口を面通ししていた公安も、場内に散っていた。



VII:二矢の父、晋平を 診療した医師は、二矢が浅沼稲次郎を刺した際、その刃を掴んで手のひらに傷を負った刑事を治療したことのある医師だった。



等々。合理的思考では偶然にすぎないという解釈になるのだろうけれども、これも仏法で云う、縁起というものなのか。


父、晋平は芝居で生きたかったが断念し、後に警察予備隊に入るのだが、その前に易を立てて占ってみたという。そしてでた「卦」が、「天使、剣をとる」だったという。これを彼は、国防にかかわる仕事に就くべき卦であると解釈したそうだが、剣をとることになるのは、息子であった。

彼の名前、「二矢」もふつうは「おとや」とは読めない名である。父はもともと、「芳正」とつけるつもりでいた。が、長男に割とめずらしい名をつけていたため、次男が将来僻むかもしれないという知人のことばを受けて名づけたそうである。わたしにはよく分からないのだが、姓名學的には「山口二矢」は完全な名であるという。次男且つ二月二十二日生まれというのも、「二」に縁のある命だったということだろうか。

名は体を表すというが、名前によってひとの命運は決まってしまうものなのか。名運=命運とでもいうべきか。 自ら世を去った日が二日であったことに意識的なものがあったかは兎も角、浅沼稲次郎を刺殺した日が十二日であったことはもう、名運と云いたくなる凄さである。

最後に、二矢が少年鑑別所にて命を絶った日の深夜、二矢の父はふと目を覚ました。何気なくラジオをつけると17歳の少年が鑑別所で自殺という臨時報道が流れていた、という件を読んだとき、胸を締め付けられるおもいがした。






Newtype 2019年2月25日 (月) 16時03分 書籍・雑誌:☆☆ | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)

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