流動の導引
評価: +8

クレジット

翻訳責任者: EastGRASSWALL EastGRASSWALL
翻訳年: 2025

原題: Channeling Flows
著作権者: DrMagnus DrMagnus
作成年: 2017
初訳時参照リビジョン: 14
元記事リンク: https://scp-wiki.wikidot.com/channeling-flows

評価: +8

……エーテルと、他の…何かを適切に利用すれば、達成できるはずだ。タクウィン。真なる錬金術にして、人の手で造られし生命。後は最後の要素にして、最後のピースが何かを突き止めるだけなのだが。生命の輝き。その構成が、私には理解できない……

──ジャービル・イブン・ハイヤーンの個人日記より抜粋

アルトゥーロの手が彼の前で円を描き、指は硬直してわずかに震えていた。集中により眉毛が寄せ合い、額には汗が浮かんでいた。「感じる...そんな気がする。」

ルスラフは部屋の端にある作業台に寄りかかった。その表情は奥深いものだった。「それは空調ですね。」

アルトゥーロは目を開き、肩を落としながらルスラフとアデベヨに目を向けた。「え?流れが1つも無いんですか?僕が感じた気がするのは──」

ルスラフは手を上げた。「現在、この研究室内にエーテル流は一切ありません。先に述べた通り、空調です。」彼は期待を込めて、更に少し肩を落とした若年者に目を留めた。

アルトゥーロは少しの間考え、ようやく不器用で不完全な数音節をその口から発した。「"Aeronatum et karasishui et muram"です。"et muras"ではありません。第七の言語は、玩具ではありません。その様な扱いをしない様に。」アデベヨの声が、部屋の向かい側から響いた。

アルトゥーロは頷き、第七の言語を再度用いる形で、空調を通して涼を齎した風のエーテルへの感謝を述べ、ローブを肩にかけ直した。

ルスラフは肯定的に頷いた。良い兆候だった。指導の試みにおける最初の数回の内は、師匠達の厳しい叱責に腹を立てていた少年も、その進歩を真に表していた。彼が1歩前に進み、牧杖を掲げると、重き冷鉄がその手中でほんの僅かに振動した。「風のエーテルは気まぐれです。新たなことなど、何もありません。更に集中してみるのです。」

アルトゥーロは再度目を閉じ、指を広げつつ両手を前へゆるく伸ばした。彼は、異なる言語──第六の言語と呼ばれた──を用いて絶えず呟いた。呼び掛けと呼び出しの言語であった。今度の発音はより正確なものであり、流れが痙攣した様に動き始め、研究室の方へと引き寄せられた。

ルスラフも、今度ははっきりと感じ取れた。おそらく後少しで、サイトの図書館からの流れが充分に近づくようだった。彼は自らの背後に隠した手で少しジェスチャーをし、若き者への補助となる支援と拘束の為、第四の言語で表現される言葉を心の中で発した。

アルトゥーロの目がぱっと開くと、彼のローブが空調とは何の関係もない微風で僅かにはためくのが見えた。「Et mesh mento aengh kn'kc ka!sem.」音節が安定に流れ始め、ルスラフの顔にはゆっくりと微笑みが浮かんだ。

やったぞ。遂に彼は、流れを引き寄せた。彼が小さなコインを1枚持って前進し、少年の前に差し出した時、少年は詠唱を終えると共に、脱力していた。ルスラフの手中でコインが僅かに振動し、彼は手を前に伸ばして少年の肩をポンと叩いた。「おめでとう、我が弟子よ。貴方がエーテルの習得を証明したことが、充分に感じ取れます。もはや貴方は、素人ではありません。貴方と言う1人の賢者を、第一環として正式に歓迎します。」

アデベヨは大股で前進し、少年の他方の肩に手を置いた。「おめでとう、ジェヌオモ君。君の事を誇りに思います。」

アルトゥーロは頷き、自身の作業台の前にある腰掛けに腰を下ろした。この時点では、その場に彼自身の装置は何も置かれておらず、ほとんど綺麗な状態だった。置かれた道具類は、以前の師から贈られたビーカーと、所狭しに書かれた文で直ぐいっぱいになった小さな日記だけだった。彼は、2人の長老から言われたことを全て手記に残した。

「長老方、ありがとうございます。御二人のご指導により、ここまでたどり着けたんです。」彼は視線をコインに移した。「そのコインで何をなさるんですか?風のエーテルが含まれているんですよね?」

ルスラフは頷いた。「ええ。より複雑に浸透させてから使える他、直接的に使うことも出来ますね。」

アルトゥーロは首を傾げた。「直接的、ですか?」

ルスラフは微笑んだ。「錬金術の応用は、力の移動のみに留まりません。より低い状態へと移動させることも出来るのです。貴方が移動させた力をこのコインに浸透させる際、そのいくらかが風として表れたことは、分かりますか?」アルトゥーロは同意し、頷いた。

ルスラフは、コインをアデベヨに手渡した。「この召喚は、貴方の方が適任ですね。水か火であれば、私がやりますが...」アデベヨは前進し、コインを掴んだ。

「もちろんですよ、長老。ご覧あれ。」彼がコインを両手のひらの間に置き、第二の言語を発すると、その唇から音楽のように滑らかな音節が流れ、両手からゆっくりとした微風が吹き出した。微風は強まり、強き風が長老の手の間からしばらく吹き出し続け、やがて巨大な突風と化し、散らばった紙を数枚巻き上げて部屋の向こう側へと吹き飛ばした。

アルトゥーロは畏敬の念に打たれながら、ルスラフの側に立った。「ま...魔法ですか?!」

アデベヨは深く、心のこもった笑い声をあげた。「違いますよ、ジェヌオモ君。錬金術です。二流の魔術師も、何らかの方法でエーテルに触れてはいます。当人達はそれを知りませんがね。素人であっても、周囲に火や風を放つ事は出来ます。建設的に活用するには、賢者の付き添いを要しますがね。」

ルスラフはアルトゥーロをドアの外へ連れ出し、今しがたかつての弟子と共有することになった、このオフィスへと案内した。「心配は要りませんよ、アルトゥーロ。時間を掛け、学びを積めば、貴方にも習得出来ます。」


......召喚の応用は、些細なものである。誰であっても、火の嵐を周囲に解き放ち、同様にそれらを鎮圧することが出来る。だがそんなものは、素人の所業に過ぎない。真なる力は、創造し、浸透し、変性への道を発見する。これらこそが、錬金術の基礎なのだ。火の玉に関しては、"魔法使い"達に任せることとしよう......

──ペレネレ・フラメルが著した錬金術の応用に関する論文より抜粋

「ディアギレフ長老?」アルトゥーロは本から顔を上げ、躊躇いながら声を発した。

はい、何でしょう?」ルスラフは手記から顔を上げず、手にしたペンでゆっくりと走り書きを続けた。

アルトゥーロは立ち上がり、手にした本を蔵書内にあるもう1つの書見台に置いた。彼らがいたそのセクションは、レベル4指令により立ち入りが禁止されていた。その発令者は、ルスラフだった。彼は過去50年間、自らとアルトゥーロ、アデベヨ、そして、おそらく自らよりも高いクリアランスを持つ者達を除く全員を、このセクションから締め出していた。

弟子がいることで、身の回りを清掃する手間を省くことが出来たが、同時に多くの質問に対して適切に答える必要もあった。「この本に、エーテルの活用方法が記されているのですが、その種類が5つを超えているんです。この内容は、合っているのでしょうか?」

いくつかの質問は、取り分け適切な答えの用意が難しかった。「困難な質問ですね。その本が書かれた当時で言えば、そうです、5つを超えた数のエーテルが存在しました。もちろん、基礎となる5つこそ、他より純粋な存在でした。火と土のエーテルは、金属のエーテルの殆どを構成しました。風や水、その他のごく僅かなエーテルも同様です。」

「であれば...何があったのでしょう。貴方もアデベヨ長老も、5つのエーテル以外に関して、何も仰りませんが。」アルトゥーロはルスラフの向かいにある席に座り、埃を払ったばかりの机の上に、自らの手帳を置いた。その小さきノートには、後4、5ページ分の余白しか残されていなかった。

ルスラフは、この弟子にはもっと適切な書物を提供すべきだと、心に留めた。あるいは少なくとも、どうにか適切な書物を作るべきか。「アルトゥーロ...説明が難しき事もあるのです。貴方に技法の神秘、それらの全てを真に知る準備が出来ているかどうかでさえ、私は確信していません。」

アルトゥーロは顔はさらに引き締め、歯を食いしばった。「僕が貴方の門下に入る際、貴方は僕の如何なる質問にも偽りなく答えてくださると仰いました。何故真実を話してくださらないのですか。」

ルスラフはため息をつき、小声で呟いた。「話しましたとも。真実とは大変に長く、そして難解なものです。手短に話すと、はるか昔、私とアデベヨ、そして他の多くの錬金術師達が…何か重要なことをした、と言うことです。錬金術そのものを変えた何か。それにより、エーテルの使用や感知と言ったことが、著しく難しきものとなりました。」

アルトゥーロは目を細めた。「貴方が...したのですか?何故です?何故わざと、錬金術をより困難なものにしたのですか?」ルスラフは、若き学徒から怒りが込み上がっているのが分かった。錬金術の習得は若き者にとって容易なことではなく、彼がサイトに来てからの6ヶ月間は、もどかしき日々で満ち溢れていた。

「要されたからです。貴方が、少なくとも一人前な技法の習得者となった時、その理由を話すと、約束しましょう。今は、それで事足りるはずです。」ルスラフはその太き眉をしっかり保ちながら、若き者と目を合わせた。

少し前であれば、アルトゥーロは長老を捲し立てたかもしれないが、彼は深呼吸の後に頷き、自らの机に戻った。「ご指導に感謝いたします、長老。」

静寂の中、長き一刻が過ぎた。ルスラフは息を付きながら立ち上がり、自らの机の後ろにある本棚まで静かに歩いた。彼は流れに潜む最暗の者らDarkest Entities of the Aetheric Currentsと題された薄い本を取り出した。彼は若き者の机まで歩み寄り、重々しく向かいに座り、本を開いた。「何を見ているのです?」

アルトゥーロは、第五の言語──知識そのものの言語であった──の概念を描写した、狭きルーン文字で書かれた本を見ていた。「全然...読めないんです。すみません、長老。まだまだ、第五の言語を習得しきれていないんです。」

ルスラフは頷いた。「ふむ、訳してみましょう。」彼は数ページめくり、金色に縁取られた本の上を指でなぞった。「これは緋色の王ですね。それが誰か、または何かを知っていますかな?」

アルトゥーロは首を横に振った。「この緋色の王については、何も知りません。」

ルスラフは再度頷き、声を小さくした。「ふむ、では、もう1つ聞きましょう。何故知らないのか、分かりますか?」

アルトゥーロは少し後退しながら、首を横に振った。「分かりません、長老。」

ルスラフは後ろにもたれかかり、その目を閉じた。「その答えは、先の貴方からの質問に繋がります。遥かに、遥かに遠い昔、私達は大いなる封印を用い、緋色の王と、その他の多くの者らを封じました。それは...大変難しき所業でした。多くの錬金術師が、その試みの中で命を落としました。さらに多くの術師達が反旗を翻し、彼らは大いなる封印の制定に関する円環の集いthe Circlesの決定を認めませんでした。これにより、円環達の派閥間で、戦争が起こることとなったのです。」

アルトゥーロの目が、ゆっくりと大きく開かれた。「戦...争?錬金術を用いて、ですか?」

ルスラフは、頷きながら続けた。「ええ、そうです。この封印がまだ無き頃は、恐ろしきことが直ぐにも起こり得ました。緋色の王もその内の1つでした。しかし封印により、今や緋色の王は手中へと収まるようになったのです。」

アルトゥーロは、その身を少し乗り出させた。「ですが、どのように?どのように実現させているのですか?」

ルスラフは本を閉じ、首を横に振った。「ここまでです。貴方はまだ、それを聞ける段階にありません。今はこの話で事足りるでしょう、我が弟子よ。」

アルトゥーロは自らの手帳を見下ろしながら、頷いた。「分かりました。ありがとうございます、長老。率直に話していただけたことに、感謝いたします。」

ルスラフは立ち上って本棚まで戻り、手にした本を戻した。彼は、その背表紙に視線を留めた。流れに潜む最暗の者ら ─ ヘンリー・パーシー卿。ルスラフは、かの争いを振り返りながら、わずかに目を細めた。

それは、紛れも無く暗黒の日々であったのだ。


…...ルスラフが妄想まみれの阿呆であることは、明白だ。大封など、作り話にして酷き思い付きに過ぎぬ。奴の長老としての地位すら、常々疑わしいものだ。長老ハイヤーンがその称号を授け、円環達が偉大なる師への敬意からその願いを尊重したことは把握している。だが、正直に言おう。奴は無名であり、素人であり、事実に反する馬鹿げた仮説を吐き出しているに過ぎぬのだ...…

──西暦1693年に尊敬されし賢環の集いthe Esteemed Circle of The Wiseへ送られた手紙より抜粋

ルスラフは手にした紙巻きタバコを深く吸い、表面上は煙に似た姿を取る暗き蒸気のような物質で、自らの肺を満たした。アデベヨがルスラフの力を借り、一晩の内に擬似タバコを創り上げたのだ。錬金術の煙草が齎す刺激効果により、彼はエーデルの流れを肉眼で見ることが出来た。その光景は、美しきものだった。

アデベヨはサイトの背後に位置する積雪の谷を見渡し、自身のタバコを深く吸った。「決して見飽きることがないですね。貴方はどうです?」

ルスラフは頷き、少しほほ笑んだ。「私もです。この美しさに飽きることなど、あり得ましょうか?」

彼らがねじれ舞った流れに見入っていると、少しばかりの時間が経った。あちこちに在る火のエーテルの小さき細流が、サイトの玄関へと続く橋を越えた遠き道に沿って滑り流れていた。「ジェヌオモ君に何を教えましょう?彼も、かの争いに興味を抱くはずです。そして、もし教えぬのであれば、彼が味方に付くであろう者は──」

ルスラフは手を挙げた。「分かっていますとも。可能なことです。我々が為すべきことを為しましょう。若き者を知恵への道に沿って導くなど、色々と。第六環には連絡しましたか?」

アデベヨは頷き、もう一服し、エーテル流の燃え盛る球体たる月を見上げた。「ええ。彼らは我々に付いています。貴方は──」彼の声が一瞬途切れた後、再び発された。「貴方は、我々が正しきことを為したと思いますか?」彼は自らの視線を、サイトを出入りする下階の人々に向けた。その内の何人かの周囲に、エーテル流の最も微かな痕跡が流れているのが見えた。彼らはインスピレーション、あるいは突発的なエネルギーの破裂を体験していたのかもしれない。

ルスラフは躊躇いなく頷いた。「分かっていますとも。ハイヤーン長老は何を為すべきかについて、大変理解されていました。私が望むか否かに関わらず、彼の意志を実行するつもりでしたよ。」

アデベヨがルスラフの方に目を向けると、彼の身体からは輝くエーテル流が灯台の如く溢れていた。彼に目を向けるたびに、星の如く輝いていたのだ。「それは...何です?衝動強迫、ですか?」

ルスラフは肩をすくめた。「どう述べれば良いのでしょうか。これは、私の一部です。常に私と共にあります。ハイヤーン長老が私に生命──所謂、タクウィン──を吹き込んでくださって以来、ただ...知っているのです。何を為すべきか、そして何を維持しなければならないかを。大いなる封印は私にとって、単なる目標ではありません。人生における、目的です。」

アデベヨは頷き、再度空を見上げた。「羨ましくなりますよ...その目的の明確さが、時折と。自分が為すべきことについての、その澄み切った知識が。」

ルスラフはタバコを最後まで吸いきり、その吸殻を駐車場の床に踏み付けた。「これは恩恵であると同時に、呪縛です。私は常に、自分が為すべきことを知っています。しかしそれは、その知り得たことを為す義務を常に課されていると言うことです。そこには殆ど...自由がありません。」

アデベヨは腕を伸ばし、ルスラフの肩を軽く叩くと、その重きブーツで雪を砕きながら、サイトに向かって歩き出した。ルスラフが再び空へと視線を向けると、エーテル流が奔流の如く彼の中を流れていった。

…...ヘンリー卿、大層な無礼を承知いたしますが、ディアギレフ長老はあらゆる点で、貴方様に匹敵するほどの適任者です。彼と良き関係を築く方法を、学ばれる必要があるでしょう。ルスラフ・ディアギレフが技法のあらゆる側面を習得していることにより、ハイヤーン長老の空席を埋めるべく、彼を第七環に昇進させる請願が承認されたのです。師の逝去は円環達に深刻なものと受け止められており、また我々全員が、師が残されたその座をルスラフに提供出来ることを、光栄に存じているのです...…

──ヘンリー卿への返信より抜粋

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脚注
. 訳注: 原語表記は"Adebeyo"。前作(平衡の発見)において、同人物の名は"Adebayo(アデバヨ)"と綴られているが、スペルミスか否かは不明。
. 訳注: 原語表記は"Da."で、以降もルスラフがアルトゥーロとの会話内でこの表現を度々用いている。同意や返事の際に用いられる、やや砕けた間投詞と思われ、訳語には文脈に基づいた表現を当てている。
ページリビジョン: 3, 最終更新: 30 Aug 2025 10:42
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