一般部門 基礎教育局作成『概述:日本における正常性・異常』
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クレジット

タイトル: 概述:日本における正常性・異常
著者: Mishary Mishary
作成年: 2024

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「異常」の誕生(先史時代)

At the beginning of the civilization, "Abnormalities" are gold and flood. —Peter Mehigan

原初、異常とは金と洪水であった。 —ピーター・メヒガン

『正常性の長城 (The Normalcy Wall)』で知られるメヒガンの言葉は、文明史における「異常」の起源を良く表しています。金に代表される豊かな資源や技術、洪水に代表される生活を脅かす災害。或いは人類に際限ない争乱を招いた金属と、肥沃な土壌をもたらす洪水。人類に多大な益と害を与えるこれらこそが、人類社会にとって最初期の「異常」であったとメヒガンは語っています。一方では高度な技術や資源を独占し、他方では災害と惨禍へ対処し秩序を形成するものが原始社会の指導者でした。或いは、有益な「異常」を独占し有害な「異常」に立ち向かえるものが、人類最初の指導者となったともいえます。

今「異常」という用語を使いましたが、当時は今日のような「異常」「正常」の区別はありませんでした。そもそも科学的な立場から言えば、本来「異常」と「正常」の間に境界はありません。「異常」な事物や現象も極論自然界を構成する一要素であって、現代超常科学的な意味での「異常」は正常性維持、即ち人類とその社会を秩序だったものとする為に便宜上形成された枠組みです。

現代、「異常」が何であるかを策定し「正常」と「異常」の別を保つのは、正常性維持機関と各社会の代表者です。しかしヴェール虚構保護協定の成立以前には、社会の指導者やその支配下にある組織がその役割を果たしていました。先述した通り、「異常」を支配する者が社会の有力者になったという事情もあります。

中国神話に於いて夏王朝の創始者である禹は、黄河の治水と相柳の討伐を行い、舜から禅譲を受けて夏王朝を創始しました。古代、優れた人物が災禍を打ち破り災害を鎮めることによって英雄や王となった事例は枚挙にいとまがありません。このような英雄神話群には、人類文明初期における「異常」と「正常」の分化プロセスがあらわれています。

人類文明以前から存在した超常文明もまた、人類文明と対立し高度な技術を有しているという点で「異常」でした。東アジアにおいてはダエーワ文明や伏羲・女媧などが特に中国大陸において人類と衝突し、これらを克服することで人類文明が形成されました。


「異常」の定義の相違のため、また「正常化」及び「異常化」のため、この時代の異常に関する秘匿基準は他の時代と比べおおきく異なっています。現代異常と見做されている事項の内、その公開が正常性の維持に困難を生じると判断された事項が秘匿の中心となっています。

歴史的な削実定偽政策の結果、伝説化・物語化された形態で正常に取り込まれている「異常」が多数存在していることに留意しましょう。一般社会において先史時代の異常に関する言及を発見しても、それが直ちにヴェール破綻要因であると見做すことは、却ってヴェール維持のコストを増大させる恐れがあります。同時に、一般的物語と相違する言及を行うことは、交流者に悪印象を与えて自身の一般社会性を失わせたり、「正常性維持情報保護規定」に違反したりすることに繋がります。

倭国的異常観の形成(古墳〜飛鳥時代)

南越北燕と謂う中華文明辺境から日本列島へ入った制異の技術は、鬼道という形で結実したのである。 —柳原堅『古代日本大異常史』

大規模集落の形成と共に先史古代的「異常」は専ら祭祀・統治階級の支配下に置かれる事となります。また大陸から先進的な異常観・異常技術が常異入り混じったかたちで渡来し、次第に受容されていきました。長い歴史を持つ中国ではすでに「異常」に関する概念が醸成されており、これを導入することが統治を行う上で有効であったためです。日本列島への大陸的「異常」の輸入は、主に東シナ海を通じて輸入された江南系のものと、朝鮮半島・中国東北部から輸入された華北系のものに二分されると考えられています。これらと、すでに日本列島に定着していた観念・技術がまじりあい、独特の「異常」観念が形成されていきました。

大和政権による統一の過程で日本的「異常」の形成や独占が一層進展します。しかし古墳時代の倭国では有力氏族の存在や国家体制の未熟さのために匿非匿や常非常の区別が依然として希薄で、各氏や諸部がそれぞれ独自に「異常」を取り仕切るという状態が続いていました。

古代大和政権における最大の異常機関が、三蔵の中の1つである斎蔵です。大王の名の下に忌部によって管理されたこの蔵には、大陸伝来の文物や古来大和王朝内に伝わる秘宝などが収められていました。蘇我氏は内蔵や大蔵と併せた三蔵の検校者としての地位を背景に力を伸ばし、また仏教などと共に大陸の異常資産を輸入したことで他氏族を圧倒しました。

その過程で最大の障壁となったのが、物部氏です。同じ軍事氏族でも大伴氏が人軍を討つのに優れていたのに対し、物部氏は鬼軍のような当時「異常」と見なされていた兵力との戦闘に優れていました。筑紫国造磐井が新羅と結んで反乱した磐井の乱では、物部麁鹿火が筑紫の山塊を巨鬼と為して磐井の「かふご」の鬼軍を破っています。

蘇我氏と物部氏は倭国の異常観を大陸に合わせるか、それとも敢えて独自の異常観を維持するかを巡って衝突しました。決定的な破局の切欠となったのが仏教、すなわち「蕃神」を巡る議論でした。両者の対立は最終的に丁未の乱を引き起こします。当初は呪部・神鬼を擁する物部氏方が優勢だったものの、大陸派・仏導入派の厩戸王らの支援もあり、この戦いは蘇我氏方の勝利に終わりました。以降仏教は概ね「正常」へと組み込まれていき、また物部氏や中臣氏の「異常」組織は多くが解体されるか再編され、多くは斎蔵の下に統合されます。

推古朝下で蘇我氏と厩戸王は倭国の大陸化を進めます。斎蔵の代表者が遣隋使に加わり、当時成立間もない異学会と接触しています。

魏晋南北朝の混乱により中華王朝内で形成されていた集権的な対異常機構は崩壊していました。しかし589年中華統一を果たした隋の文帝の下で、後の異学会の原型となる異常機関が形成され、正常異常の別が再定義されました。

斎蔵としては、統一された中国大陸の「異常」を司る異学会の異常観に倣い、またその技術を輸入することによって倭国の異常制御を進歩させる狙いがありました。実際に遣隋使や遣唐使によって多数の文物や識者が倭国へ持ち込まれることとなります。

蘇我氏の政権が乙巳の変によって打倒された後もこの動きは継続し、数度遣唐使が派遣されました。異学会による集権体制に倣い、白雉督責と称される「異常」の集権的な再定義も進められます。しかし、隋代から行われていた中華帝国の朝鮮半島進出政策により東アジアの政治構造に変化が生じたことで、古代東アジア有数のオカルト戦争でもある唐倭戦争(唐新-倭戦争)が勃発します。

唐が新羅と結んで百済を滅ぼした後、この再興を目指す百済・倭連合軍とこれを迎え撃つ唐・新羅連合軍が衝突します。しかし先進的な技術を有する唐・新羅の前に百済・倭軍は大敗を喫しました。

大和政権側はこの敗北を受けて北部九州〜瀬戸内海〜近畿に及ぶ防衛網を構築します。唐軍は高句麗を攻略する裏で日本列島にも侵攻したものの、この防御網と倭側の決死の抵抗、そして補給の問題によって筑紫で戦線が停滞し、最終的に和議が結ばれました。

その後も唐・倭間にはしばしば緊張があったものの、全体として友好関係が結ばれ、遣唐使の派遣も続けられます。これらの一連の事件を背景として、倭国では国家体制の大規模改革が断行されることとなります。「異常」と斎蔵もまた、改革の対象となります。


先史時代同様、古代においても歴史的な削実定偽政策の結果、伝説化・物語化された形態で正常に取り込まれている「異常」が多数存在しています。最大の事例として、唐倭戦争(唐新-倭戦争)は白村江の戦いとして正常化されています。対馬・筑紫における衝突は、その異常性のため完全に秘匿されています(世界正常性総意理事会決議1953-164)。

玉牆体制と蒐集院・陰陽寮体制(奈良〜室町時代)

国を同じくせずと雖も、 祗だ相似て志を同じくす。天地の玉牆は千里の目を遮る。 —異学会『東瀛異学』玉牆之誓言

唐倭戦争ののち、斎蔵など倭国の正常性維持機関は異学会への結びつきや追従を進めていきます。異学会主導で東アジア全体の連帯の下削実定偽が進められて旧時代の事実の神話化が進み、玉牆体制が成立しました。

倭国改め日本は唐の制度に倣って律令制中央集権化を進め、その結果斎蔵など既存の組織は解体され、陰陽寮へと改組されました。陰陽寮には斎蔵の機能を継承する、異常物品管理のための蒐集院がおかれました。全国各地に正倉が置かれ、各国郡に置かれた国正・郡正の監督の下、「異常」と「正常」の国家による一元的支配が行われることとなります。

奈良時代から平安時代の初頭、これらの努力によって玉牆体制は頂点に達し、地域的なヴェール体制が構築されました。

しかし唐の衰退とともに東アジアの国際秩序は次第に崩壊していくこととなります。日本に於いても律令制は次第に崩壊し、中央集権に依拠する玉牆之制に綻びが生じていきました。ただし院宮王臣家らの権門勢力にとって「異常」独占体制の崩壊は不都合なものでした。彼らはしばしば政争や一族繁栄の手段として「異常」を用いてきていたためです。権門勢力は正倉などの異常関係組織の私有化・占拠を行うようになり、各地の正倉は独立性を増していきました。

しかし平安時代後期、1044年ナラカ勢力が平安京を襲撃した甲申の禍などの災禍が頻発するに至って、「異常」と「正常」の切り分けを求める動きが強まることとなります。これと並行して、災禍の被害を避けるため蒐集院は白河や陰陽寮地下などへ移されました。

白河上皇に始まる院政の中で陰陽寮の一機関であった蒐集院は独立し、各地の正倉を統括する正常性維持機関となりました。白河の本院を頂点とし、各地の有力な正倉を別院として地域管理の拠点とする蒐集院が形成されました。ただし一部の重要な異常物品は陰陽寮の下に残りました。

古代末期から中世初期にかけて成立した蒐集院・陰陽寮体制は、朝廷の内部機関である陰陽寮と、在世(一般社会)権力から距離を置く最大の異常組織である蒐集院の協力によって正常性を維持しようというシステムでした。この体制において「異常」とは、専ら野放しにすることで社会・集団に損害を生じる勢力や存在でした。平安時代既にこの考えは醸成されていましたが、蒐集院・陰陽寮体制下でこの考えが浸透しました。

蒐集院・陰陽寮体制は中世を通して継続します。最大の異常組織である蒐集院が表向きは寺社勢力として振る舞いつつ、その能力を盾に一般社会権力との距離を一定に保ち続けたことが、この体制が長期にわたって成功した要因の1つであると考えられています。


陰陽寮は史学上は専ら非異常な組織として知られています。蒐集院などの諸組織及びその関係者等は「国際人類虚構保護協定」によりその存在が秘匿または改竄されています。

西洋的異常観の到来と江戸幕府の統治(戦国〜江戸時代)

神異の事、けしておごるへからず。大僧正にならひ院、法師らと共に以てこれを抑ふへし。
—神君神異ノ事御遺訓

元寇などを挟みながら長らく続いた蒐集院・陰陽寮体制に変化をもたらしたのは、南蛮人、即ち西洋人の到来でした。南蛮人は銃とキリスト教だけでなく、西洋的な異常観をも持ち込みました。当初蒐集院などの正常性維持組織は銃の封じ込めを図りましたが、この試みは早々に失敗します。日本の超常組織は、南蛮人の勢力拡大を抑制しつつ、彼らの異常観に対する知見を深めていきました。南蛮人には西欧に於ける宗教対立を背景にアジアへ布教を拡大したローマ・カトリック宣教師が多く、その「異常」に対する振る舞いは厳格な教権主義異常論に基づくものでした。これは既に日本で醸成されていた異常観と大きく衝突するものであり、両者の共存が図られたものの、最終的に世俗権力によるキリスト教弾圧という形で排除されることとなります。

但しこれは、近世の日本において西洋的異常観の影響が皆無だったというわけではありません。一部の南蛮人や、新教系の紅毛人らは西洋における制異術や当時萌芽しつつあった科学主義的異常観を日本へ持ち込みました。

戦国時代の最終的な勝者となった徳川家康天海らと協力して近代的な体制を構築しました。家康は蒐集院の本院を京都から江戸に移させ、江戸・幕府中心のヴェールシステムを形成します。世俗的政治権力の下での異常支配の復活や異常物品の積極的な保存には、先述した西洋的異常観の影響が多分に見られます。家康・天海らは自らの死骸をも利用して「異常」の寡占・隠匿を謀り、長期的な成功を収めました。蒐集院・陰陽寮体制下の保守的な異常観をある程度継承し、江戸幕府の体制に及ぼす影響力を1つの基準としたことが幕府の異常観の特徴です。

天海の死後は寺社奉行とその下位組織である鬼神改役が発足し、蒐集院と共に「異常」の抑制を行うようになります。また禁教令の徹底や所謂「鎖国政策」の実施によって国外からの物品や知識の流入がある程度抑制されたことで、意図せぬ「異常」拡散が逓減されました。

しかし江戸幕府の政権が長期化するにつれ、その体制には歪みが生じていきます。第8代将軍となった徳川吉宗は鬼神改役を改組して神異方を置きました。神異方には強い捜査権が与えられ、各地の異常物品や異常現象を調査することが許されました。とはいえ諸藩の権限との衝突を回避するため、天領の外では、実質的に幕府の附属機関となったものの依然として地域との結びつきを持つ蒐集院によって代行されるのが普通でした。

蘭学の隆盛と共に、神異方では次第に長崎から流入した西洋的異常観・制異論が導入されていきます。鎖国政策には国外から膨大な情報・物品が渡来することを防止しましたが、この数少ない流入物に対し常異の判断を下すことが制異の観点から非常に重要でした。医学分野を端緒として西洋科学が日本に定着し始めたことは、幕府に「異常」定義の再考を迫ることになります。時代の流れとして西洋学問の流入を押し留めることは出来ず、幕府も次第に西洋的制異論を取り入れるようになります。これによって、日本でも科学・非科学(理・非理)による「正常」・「異常」の別が生じることとなります。神異方を務めた楽山吉軍が『整常論』を草すなど、19世紀前半には幕府内でもある程度西洋的制異論が受け入れられていました。

しかし西洋列強の外交的圧力により幕府は開国を余儀なくされます。その結果日本国内の資源や資産が常異を問わず流出するとともに国外「異常」が大量に流入し、江戸幕府による「異常」秩序は崩壊しました。幕末の動乱を経て明治維新が発生し、急速に近代化が進められることとなります。


寺社奉行下の幕府の正常性維持機関については、「国際人類虚構保護協定」によりその存在が秘匿または改竄されています。その関連人物や事件についてもヴェール維持のための改竄等が行われていることに十分留意してください。

日本の近代化(明治〜昭和時代)

日本は其の原始的の粗放を全く棄てねばなりません。超正常の事物は、科学と謂ふレンズを通して、帝国の目的に適はさなければならないのです。 — 岡倉港一郎


王政復古により成立した明治新政府は、国内の問題へ早急に対処しなければなりませんでした。その中で国内の治安を維持する為にも「異常」の定義と制限は危急の課題でした。差し当たっては伝統的な陰陽寮や土佐藩系の九十九機関を利用する形でこれに対処したものの、場当たり的な対処に留まりました。

1868年、明治政府は陰陽寮や蒐集院の代表者からなる日本呪法使節団を欧米へ派遣します。使節団は欧米列強諸国の正常性維持機関に学び、その理論や手法を日本へ持ち帰りました。その核となっていたのは公知可能な科学的手法によって説明可能か不可能かを1つの判断基準とする近代西洋科学的異常観と、人類進歩のために国際協調によって常異の境界を共有して異常を隠蔽・制限しようとする近代科学ヴェール主義です。この「ヴェール」という概念が日本に定着したのも、この時です。類似の概念である玉牆は既にあったものの、古代・東洋的観念であるこれと近代西洋的なヴェール概念を区別するため、使節団は"Veil Protocol"を「帷計劃」と翻訳しました。これ以降日本では「帷」或いは「ヴェール」という呼び名が定着し、今日も「ヴェール」と呼ばれています。なお今日の欧米圏では「ヴェール」という呼び方以上に、「マスカレード」「虚構」という呼称が一般的です。

1870年、先の使節団が持ち帰った知見を元に、陰陽寮は近代西洋科学的異常観に基づく組織となり、在野の陰陽師など非公式な異常勢力は規制されることとなります。歴史的に権力からの独立性を保ってきた蒐集院もまた新政府の実質的な外部機関となります。

陰陽寮は神祇省、太政官、宮内省と所轄官庁を変えながら業務を遂行し、1885年の官制改革によって帝国怪事院として独立した政治組織となりました。また1888年には帝国怪事院の内部部局である調査掛が調査局に改められました。調査掛は元来国内の異常を把握・管理するため、異常の疑惑がある事物を調査・収集するための部局でした。西欧列強の基準を元に概ね異常の定義が策定・実行されたこのタイミングで、国内の異常事例を総覧する『白澤圖圖書集成』の編纂事業が開始され、その一大事業を実施するため改組が行われました。

この『白澤圖圖書集成』が完了したのち、補編として植民地についても調査・総覧が行われました。これらの総覧は近代日本における制異の集大成であった一方で、純粋な近代西洋科学的異常観への依拠が徹底されず近代日本的価値観による異常観が強く反映されたものであることが指摘されています。

20世紀初頭、近代科学ヴェール主義実現のための国際協調によって帝国怪事院は解体されて知性人類及総意保護財団(人類・総意保護財団、SCP財団)に吸収されました。怪事院の内部部門であった調査局が異常事例調査局として独立し、日本における正常性維持機関として機能するようになります。調査局は日本が列強化していくにつれ、次第に国際協調性を失い自国利益最大化のための「異常」定義や利用を行うようになります。

第一次世界大戦によって発生した国際協調ムードにより調査局は同盟オカルト連合に加盟します。しかし日本の国内情勢が悪化するとともに再び自国優先主義の傾向を強め、調査局は軍と接近して「異常」の積極的な軍事利用を行うようになります。1932年には日本の国際連盟脱退に連動する形で同盟オカルト連合を離脱しました。またこの間に日本国内に存在した知性人類及総意保護財団の部門を閉鎖・押収し、「異常」の独占姿勢を顕わにしています

総力戦体制の形成を目的とした国制改革によって異常事例調査局は異常事例調査庁へ改組されます。当時発生していた日中戦争を背景に超常技術の応用が一層進められ、第二次世界大戦への参戦後も続きました。しかしながら二度目の世界大戦は連合国側の勝利に終わり、日本は連合国の占領を受けることとなります。


一般社会において、陰陽寮は1870年に閉鎖されています。帝国怪事院や異常事例調査局などの組織、人員は「国際人類虚構保護協定」により全面的な隠蔽・改竄措置が行われています。

国際ヴェール体制の確立(昭和時代〜現在)

While the rest of mankind dwells in the light, we must stand in the darkness to fight it, contain it, and shield it from the eyes of the public, so that others may live in a sane and normal world. —The Administrator

人類が健全で正常な世界で生きていけるように、他の人類が光の中で暮らす間、我々は暗闇の中に立ち、それと戦い、封じ込め、人々の目から遠ざけなければならない。 —管理者

第二次世界大戦の終戦によって連合軍占領下となった日本では、既存の正常性維持機関・超常組織が解体され、その人員・資産は人類・総意保護財団(SCP財団)や世界神秘連合(GOC)などの国際的正常性維持機関に吸収されました。

二度の世界大戦を経て超国家・全球的な正常性維持機関が成立したことで、人類史上初めて完全な国際ヴェール体制が形成されました。SCP財団とGOC、常異勢力の代表者による世界正常性総意理事会が設定され、「国際人類虚構保護協定」など国際ヴェール体制の諸原則が規定されました。異常段階規定によって秘匿・公知の原則的優先度も定義され、以降「正常性」は更新を続けながらも約1世紀にわたって保持されています。

ヴェールの円滑な維持と正常性の更新のためSCP財団は内部部局として一般部門を再編しました。一般部門はその成立以来、一般社会の観測と正常性の更新に関する資料の作成、財団職員の一般社会との交流を可能とする為の教育など多分野にわたってヴェール維持のために貢献しています。


現代、国際ヴェール主義に基づくヴェール体制が維持されており、世界正常性総意理事会の合意によって規定される「異常」は一般社会において認知されていません。正常性維持機関やその他の超常組織もまた「国際人類虚構保護協定」などの国際規定に基づき秘匿され、超常社会の住人と一部の代表者を除き超常組織として認知が不可能な状態にあります。

本書の目的

一般社会と関係する行動をする上で、何が異常で何が異常でないかをよく身につけておく必要があります。本稿は、将来正常性維持に身を捧げようという学生を対象に、主に日本における「異常」観念及び正常性の形成史と、各時代に置ける秘匿事項の傾向について概述したものです。

なお、歴史的事実及びその解釈は、個人及び社会集団のアイデンティティや利益と深く関係する話題です。一般社会や利益関係組織との交流においては、その取り扱いに注意しましょう。一般部門は最新の正常性に依拠する異常史や一般社会で広く認知・許容されている歴史観に関する資料を作成しています。

—Bureau of Fundamental Education, Sapiens and Consensus Protection Foundation Department of Normality
2024

ページリビジョン: 5, 最終更新: 14 Mar 2024 11:58
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