1290年頃の絵巻に見られるSCP-1420-JP-1群の描写。
アイテム番号: SCP-1420-JP
オブジェクトクラス: Keter
特別収容プロトコル: SCP-1420-JPはサイト-81██の特殊収容柩内部で冷凍保存されています。特殊収容柩内部はSCP-1420-JPの蘇生を防ぐために常に-196°Cに維持されています。また、収容下にある15体のSCP-1420-JP-1個体と研究用に保存されている標本は同サイトの冷凍コンテナ内に収容されています。不測の事態による冷却システムの異常が認められた場合、冷却剤を用いて冷凍コンテナ内の温度を維持してください。SCP-1420-JPの蘇生及び収容違反の発生が確認された場合、職員の退避の完了に関わらず30分以内にサーモバリック爆弾を用いた航空爆撃による鎮圧措置が実行されます。
SCP-1420-JPに関連した歴史的事実の一般社会への露呈を防止するため、SCP-1420-JPに関連した全ての歴史的発見は回収、隠蔽され、一般社会に開示されている歴史と矛盾しないものに改竄されます。発見者等の関係者に関しては改竄に即した代替記憶の刷り込み、記憶処理を行ってください。
説明: SCP-1420-JPは、異常な生物学的性質を持つ敵対的な日本人男性です。蒐集院から引き継がれた資料によればSCP-1420-JPは"花山法皇"本人であるとされています。SCP-1420-JPは外見上枯骸であるように観察されますが、神経系と内臓機能は全て生体組織と同様の状態にあります。非活性状態のSCP-1420-JPは一切の呼吸、栄養供給を必要としません。
非活性状態のSCP-1420-JPに後述のSCP-1420-JP-1が直接接触した時、接触面を融合させる形でSCP-1420-JP-1と一体化し栄養の供給を受けます。栄養の供給を受けたSCP-1420-JPは数分で活性化します。活性状態のSCP-1420-JPは通常の生体と同様の外見へと急速に回復します。この状態のSCP-1420-JPは摂取したあらゆる有機物を栄養として利用することが可能です。SCP-1420-JPは異常な代謝能力を有しており身体の変形や既存器官の機能の変更、新器官や部位の生成を行うことが可能です。これら身体的変異には、軽度の物では数秒、重度の物では数十分程度の時間を要します。SCP-1420-JPの活動は脳組織の75%を破壊する、又は栄養供給を断つ事によって抑制することができます。また、SCP-1420-JPを1,000〜3,000°Cの熱に暴露させる事で活動を停止させることが可能です。これらの要素によって生命活動の継続が困難になるとSCP-1420-JPは急激に身体表面から水分を発散し非活性状態に陥ります。この際の身体の損傷は活性状態に移行する際の栄養供給によって回復します。
SCP-1420-JP-1は異常な身体的特性を有している攻撃的な有機実体です。SCP-1420-JP-1はサーキック・カルト由来の生物ではありますが多種多様な形態を有する為、正確な分類は困難でありSK-BIOへの分類は保留とされています。SCP-1420-JP-1の基本的な形態は人型から大きく変形しており、ほとんどの場合で攻撃機能に特化した器官を有しています。SCP-1420-JP-1は無性生殖が可能であり、十分な栄養が得られる環境であれば2時間程度で成熟したSCP-1420-JP-1個体を産出します。これらSCP-1420-JP-1はSCP-1420-JPを防衛する目的で活動していると考えられており、SCP-1420-JPが非活性状態に移行した場合には積極的に栄養を供給します。SCP-1420-JP-1はSCP-1420-JPと同様に異常な代謝能力を有していますが、脳組織の70%の破壊、又は1,000°C〜3,000°Cの熱に暴露させる事によって完全に無力化することが可能です。
SCP-1420-JPとSCP-1420-JP-1は共通して間脳視床後部の松果体に著しい変異が認められます。身体の変形においてもこの部位の変異が損なわれることはありません。松果体はSCP-1420-JPとSCP-1420-JP-1の間で未知の方法による外部伝達に用いられていると考えられています。SCP-1420-JP-1はSCP-1420-JPからの外部伝達によって指示された命令に従うことが確認されていますが、知性を有している様子は観察されていません。
SCP-1420-JP及びSCP-1420-JP-1の肉体に見られる宗教的紋章
SCP-1420-JP、SCP-1420-JP-1にはサーキック・カルト(Sarkic Cults)に関連する宗教的特徴が多く認められます。SCP-1420-JPの起源にはPoI-93が関与していると考えられており、歴史的文献の中には花山天皇がPol-93と直接接触した事を示唆する描写が数多く見受けられます(各情報は異常関連史隠蔽部門により検閲されました)。また、中華人民共和国で発見された北宋時代の書物からは花山天皇自身がPol-93の招致を試みたと思われる漢語の直筆文が多数発見されています。これらの文書は私貿易を目的とした商船によって北宋へと運び込まれていたものであると考えられており、宋王朝における有力なサーカイトがPol-93と花山法皇との中継ぎとして機能していた可能性があります。
SCP-1420-JPの攻撃的な性質は歴史上の寛和の変に起因する物であると考えられています。当初、SCP-1420-JPの攻撃目標は藤原家又は一条天皇の血縁者に限定されていましたが、蒐集院による武力鎮圧を経て以降無差別に攻撃を行うようになりました。SCP-1420-JPは戦闘時の損傷、劣化部位等の再生、再構築等により脳神経は著しい変質を遂げており、人間的な社会性は喪失しているように観察されます。一方、SCP-1420-JPは戦闘時に周辺環境や資源を積極的に活用することや、戦略的にSCP-1420-JP-1を指揮することが確認されており、脳構造は変化しているものの高度な知性を維持しているものと考えられています。現在のSCP-1420-JPは非常に危険であり、対話による説得の試みや活性状態での収容継続は困難です。
補遺1: SCP-1420-JPは1948年に蒐集院から財団に引き渡されました。SCP-1420-JPは西暦1053年から1948年までの895年間、蒐集院の収容下にあったと考えられています。多くの資料は既に紛失しておりどのようにして蒐集院がSCP-1420-JPを長期間収容下においていたのかは不明です。
SCP-1420-JPの起源は大陸文化圏から持ち込まれた古代サーキック、又は北方からもたらされたプロト-サーキックの思想が関係しているとされています。SCP-1420-JPとサーキックとの関係は収容当初から指摘されており、蒐集院独自の解釈を含んだ上で研究が成されていました。以下は現存する蒐集院の資料、及びSCP-1420-JPを示すと思われる伝承や民話、歴史的遺物等の調査結果を踏まえて異常関連史隠蔽部門が作成したSCP-1420-JPが蒐集院の収容下にあった際の時系列表です。
年月日 | 事象 | 概要 |
---|---|---|
986年7月31日 |
退位。出家後に花山寺に入門。 |
歴史上の寛和の変。 |
995年4月10日 |
花山法皇が藤原隆家らに襲撃される。 |
長徳の変、又は花山院闘乱事件。蒐集院の記録によると花山法皇はこの事件を機にサーキックへの入信を決意したとされています。 |
995〜1000年頃? |
PoI-93と接触? |
複数の文献において花山法皇とPoI-93との直接の接触が示唆されています。 |
1008年3月17日 |
花山法皇が自らの死を偽装。SCP-1420-JPへと変化。 |
歴史上はこの際に崩御したとされていますが、いくつかの口伝や歴史的遺物は花山法皇が自らの死を偽装していたことを示しています。また、蒐集院の記録上ではこの際に初めてSCP-1420-JPとしての異常性が発露したとされています。 |
1016年6月11日(?)〜1018年4月1日(?) |
平安京周辺の村落で不可解な集団失踪事件が報告される。(資料-1420-JP-C-006参照。 ) |
行方不明者は何らかの方法によってSCP-1420-JP-1に変化したものと考えられていますが、SCP-1420-JPにSCP-1420-JP-1を生成しうる能力は存在しません。サーキシズムに精通した協力者の存在が示唆されています。 |
1044年2月2日 |
SCP-1420-JPが数百から数千のSCP-1420-JP-1と共に平安京を襲撃。 |
この際、蒐集院が主導となり朝廷と蒐集院、召集された仏僧らによる武装勢力が組織されました。これら勢力による戦闘は13日間に及び多数の犠牲者を生みました。戦闘は大規模な物となりましたが、近畿地方の一部の口伝と僅かな文書、蒐集院の記録を除いてこの戦闘を扱った記録は存在していません。なお一般社会に存在していた口伝と文書は異常関連史隠蔽部門により回収され、一般社会に開示されている歴史と矛盾しない物に差し替えられました。 |
1044年2月15日 |
SCP-1420-JP、SCP-1420-JP-1群が蒐集院によって封印される。 |
具体的な手法は不明ですが、蒐集院はSCP-1420-JP、SCP-1420-JP-1群の封印に成功しました。対象は蒐集院によって建立された衄皇寺の地下に封印施設と共に埋設されました。 |
1293年5月19日 |
鎌倉大地震が発生。封印施設が破壊されSCP-1420-JPとSCP-1420-JP-1群が復活。 |
震災の発生により寺院が全焼。封印施設が損傷した為SCP-1420-JPの活性化を招きました。蒐集院の工作により朝廷と幕府による連合武装勢力が結成、交戦しました。97日間の戦闘を経てSCP-1420-JP、SCP-1420-JP-1の再封印に成功しました。 |
1293年8月24日 |
SCP-1420-JP、SCP-1420-JP-1群が蒐集院によって再封印される。 |
蒐集院はSCP-1420-JP、SCP-1420-JP-1群の封印に成功しました。対象は幕府によって建立された████寺の地下に封印施設と共に埋設されました。幕府はSCP-1420-JPを研究することで軍事力の補填を図ろうとしていたとされていますが、蒐集院が抑止力として機能していた事が判明しています。 |
以下は蒐集院から回収された資料の中でSCP-1420-JP-1の起源に触れられている資料の一つです。この資料は現在、資料-1420-JP-C-006に指定されておりデジタルアーカイブ化された上で保管されています。
注意
以下は蒐集院内で書写されることによって継承され続けてきた文書であり、一部脚色や誇張と思われる表現が存在します。その為この文書は公的な記録文書としてでは無くSCP-1420-JPに関する歴史的資料として扱ってください。また、資料としての参照性を高いものとするために文書は現代語訳されている事に留意して下さい。
D-1420-JP-C-006
デジタルアーカイブ化済み
資料概要: 資料-1420-JP-C-006は蒐集院内で継承され続けてきた歴史的文献です。原本の執筆者は当時の蒐集院硏儀官である朝野義峯であるとされ、資料-1420-JP-C-006は平安京周辺の村落で発生していた不可解な集団失踪事件の調査に当たった際に個人的に記録していた日誌であると考えています。
長和五年 [文書の破損により解読不能]
調査初日
行方知れずとなったのは三十余人で残った者はいない。これで合計は百 [文書の破損により解読不能] となる。
院からの達しにより我らは件の村落を調べる事になった。朝廷から遣わされた検非違使の者共を合わせて十人での調査となる。
調査二日目
(報告があった)家々を回ってみると、所々に人体の一部が点在している。その数、五十七つ [文書の破損により解読不能] 獣が食べたとしてもこの量を食べ残すとは考えにくい。
幾つかを検めたところ、不自然な肉の塊が発見された。それらの肉は断面が溶けたようになっていて、引きちぎられたり噛みちぎられた様な物とは異なっていた。
また住処の方も不自然であり、土壁を内側から突き破ったような穴や地面を掻きむしったような跡、指の数が十以上ある血の足跡などが見られた。見るからに異常な様子である。付き人を遣わして院にこの様を知らせることに決めた。明日朝、書状を手にした付き人が此処を立つ予定だ。
調査三日目
今朝、物部殿がしたためた書状を手にした付き人が院へと向かった。何事も無ければ明日の夜には戻ってくるだろう。
更なる報告として幾つか周りの村を調べて回った。更に二百余人が行方不明となっている事が分かった。これは神隠しの類いなのだろうか。共通しているのは消えた者達は皆身分の低いものであるということだ。明日以降、主な調査は今日発見した村で行う。
調査四日目
朝方、山中から叫び声のようなものが聞こえた。声はすぐに止んだが、このような環境であるだけにとても気味が悪い。検非違使の者共は皆、獣の嘶く声であろうと言うが我はそう思わない。念の為、明日より夜間は警備を行う事に決めた。
調査五日目
院に遣わした付き人が朝方になっても戻らない。物部殿は道に迷ったのではないかと言うがそうとは思えない。とりあえず明日まで待つことにするが、それでも戻らない場合は新たに付き人を院に遣わすつもりだ。
また、今晩から検非違使の四人が二人ずつ毎夜交代して辺りを見てまわる事となった。昨晩の声の正体がただの獣であることを願う。
調査六日目
付き人は今日になっても戻らなかった。仕方なく物部殿の付き人が書状を持って院に参上する事になり、日が登ってすぐに小屋を立った。
村で見つかった肉片が腐敗し、これでは穢れも酷いだろうという事で祈祷師である阿部殿の指示でそれらを集めて焼いた。
夕刻、朝方に発った付き人が何かを手にして戻ってきた。聞けばそれを拾ったので驚いて引き返して来たのだという。物部殿は咎めようとしたが、それを見て驚き慄いておられた。付き人が持ってきたのは人の顔の皮であり、内側は今日焼いた肉片と同じように溶けたようになっていた。皮を広げてよく見てみると、それは以前遣わした付き人のように思われた。なんでも、此処から山二つ越えたところに同じように皮が散らかっているのだという。物部殿の付き人はそれと一緒に落ちていた衣服が付き人の物だと気が付き、恐ろしくなって逃げ帰って来たのだという。その話のせいで夜の警備にあたる検非違使達が恐ろしがるので、今晩から祈祷師や我々のような硏儀官も交代で警備に同行する事となった。
調査七日目
昨晩の警備にあたった祈祷師達が花山院殿を目撃したと報告した。朝廷への報告は先の例もある事から保留とした。花山院殿の死から数年。この怪異に死後の法皇殿が関係しているとなれば混乱は避けられないと思われる。死霊なのか妖なのかは分からないが、今はまだ調査が必要だ。
調査八日目
今晩の警備には我も同行した。山中の巡回中に検非違使の者と硏儀官二人が消息を絶った。朝方になって三人の死骸が見つかったが何れも不自然な死に様だった。死骸の傍らに臟はらわたが山のように寄せ集められていたが、死骸には一切の外傷が無かった。穢れを恐れない阿部殿によって死骸は検められたが死骸には臟が無く、やはり臟は彼らの物であると考えられた。明日以降の夜間の警備は一旦取り止めとする。
調査九日目
皆で話し合い、検非違使の三人が物部殿の付き人を護衛しながら書状を持って院に参上する事となった。出発は明日朝。念の為に京への道筋も変更した。遠回りにはなるがその方が安全だと考えられるからだ。幸い、この山小屋の近くには人の消えた件の村落がある。家々の中には収穫物や備蓄があるので食糧には困らない。院からの指示を受けるまでは此処に留まる事とする。
調査十日目
夕刻、朝方に遣わした筈の検非違使の者が一人、傷だらけで戻ってきた。小屋に入るなり倒れ込み、口から血を吐き出した。賊にでも遭ったのではないかと思われたがどうにも様子がおかしい。酷い熱に魘されているようだが、時折口にする言葉の意味は分からない。物部殿と阿部殿が一日中祈祷をし続けたが、効果は見られなかった。他の者がどうなったのかは分からないがこの様子では生きているとは期待できないだろう。
調査十一日目
今朝になり、検非違使の者の体中の皮が剥がれ始めた。体を動かす度に滑るようにして皮膚が落ちていく。昼間には全身の皮が残らず脱落した。硏儀官による検めの為に血に染まった衣服を剥ぎ取ると、肉の顕になった背中に深く刻まれたような紋章が見つかった。それは以前から報告されていた欲肉教の紋章であるようだ。穢れを封じるため、阿部殿の指示によってこの者は小屋の外へと引き出され近くの断崖に放られた。我々六人はこれから如何にするかを考える必要がある。
調査十二日目
このまま化生なる物を恐れていては何にもならないという事で、特別目的も無く皆で山小屋の周囲を探ってみた。どうやら我々の住処は何者かに観察されているらしく、辺りの濘等に奇形の足跡が多々見受けられた。昨日、検非違使の者を落とした崖から下を覗き込んで見る事もした。崖の下に死骸は無く、代わりに山の方へと伸びる血の跡が見えた。どうやらあの者は化生なる物の仲間となったと見える。何が原因かは定かでは無いが、恐らく行方知れずとなった者共も皆あれと同じ経過を辿ったのではないだろうか。
調査十三日目
朝方、阿部殿が消えていた。閂が外されていて弓も一丁減っているため、物部殿は自ら外へと出ていったのだと思われた。
日がすっかり昇りきった頃、阿部殿は小屋に戻られた。何をしていたのかと聞いても一向に答えない。ただ生気の抜けた様な顔をしては首を横に振るだけだ。力のあるお方であるから物に憑かれたとは考えられない。一体何があったと言うのだろうか。
調査十四日目
昨晩の事、目を覚ました我が櫺子れんじの方を見やると何者かと目が合った。思わず叫び出しそうになったが、すぐには声が出ずその場で固まってしまった。
雲が晴れたせいか、月の明かりがその者を照らした。その者は奇妙な風貌の黒い頭巾のようなものを被っていた。我は隣で眠る阿部殿を起こそうとしたが、既に阿部殿は全身から血を滴らせて我の横に立っていた。その顔は櫺子の方を向いていて、黒い頭巾の者が意味のわからない言葉を発するとその場で大きく体を変形させた。皮膚が辺りに撒き散らかされ、二本も三本も腕が生える。化生なる物となった阿部殿は壁を壊して外へと出ていってしまった。
小屋は壊れてしまい、これ以上の間此処に留まることは出来ないだろう。残された我々は意を決して京へと戻ることに決めた。無事に戻ることが出来るとは限らないがもはやこれ以上の調査は不可能だ。この文書は公式の記録ではないが、此処での出来事を我の目線から書き綴った唯一のものである。これから先は書いている余裕が無くなると思うが、念の為これを持っていく。無事に京に着くことが出来ればこの記録は我が院にとって大いに役立つこととなろう。
補遺2: 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害が原因となり収容サイト-81██が停電、SCP-1420-JP-1群が収容設備を破壊しました。SCP-1420-JP-1群は特殊収容柩に殺到、SCP-1420-JPの蘇生を招きました。██研究顧問らによるSCP-1420-JPへの対話が試みられましたが結果は失敗。サイト-81██は壊滅しました。財団はサイト-81██を放棄、航空自衛隊の協力の下サイト-81██へのピンポイント爆撃を実施しました。その際、衝撃波による破壊と2,500〜3,000°Cの熱によるSCP-1420-JP及びSCP-1420-JP-1の無力化が期待出来ることからサーモバリック爆弾が採用されました。以降、サイト-81██では収容違反時にサーモバリック爆弾が使用されることが決定しています。
また、攻撃開始までに新たに産出された24体のSCP-1420-JP-1個体がサイト-81██から脱しました。これらの個体はSCP-1420-JPによる攻撃命令を受けたものと考えられ、近隣の市街を襲撃しました。急遽召集された複数の機動部隊員による特設攻撃部隊が交戦、全個体を無力化しました。最終的な死者は機動部隊員を含む164名であり、これらは震災による死者として処理されました。なお、無力化された個体群は標本としてサイト-81██で保管されています。この事案後、生存が確認されたSCP-1420-JP-1個体は研究用の15体を残して全て終了されました。