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人民網日本語版>>経済

任天堂、岩田社長の時代 氏の逝去を悼む

人民網日本語版 2015年07月14日14:29
岩田氏は1959年12月6日に北海道札幌市で生まれた。小さい時からゲーム開発に並々ならぬ興味を示し、最初はプログラムの研究にのめり込んだ。高校生の時の最大の趣味は家で各種電子部品を使ったゲームを作ることだった。82年に東京工業大学を卒業すると、任天堂傘下の研究センターのハル研究所に入社した。任天堂は1889年に山内房治郎が創業し、1929年に山内積良が跡を継ぎ、1949年に山内溥が3代目となった。このゲーム王国は一族経営が続いてきたが、2002年に大きな転換を迎えた。ハル研究所から来た岩田氏が出世の階段を上り、次の社長に任命されたのだ。岩田新社長に関する報道をみると、山内社長が自分の決めた人事を説明する次のような言葉がある。「岩田聡を選んだのは、彼の知識と任天堂のハードウエア、ソフトウエアに対する深い理解を評価してのことだ」。岩田氏は社長に就任すると、Wii、DS、Wii U、GameCubeなどさまざまなゲーム機の開発を主導し、任天堂のビデオゲーム事業を黄金期に導いた。米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は岩田新社長の人事を極めて高く評価し、「この人事は任天堂の52年に及ぶトップ人事の歴史における初の重大な転換であり、任天堂により新鮮で若々しい変化をもたらすものとなる」と報じた。最近も、「GameCube時代の任天堂とナムコ、セガとの鉄の三角同盟は、岩田氏の功績に帰するところが大きい」という声が聞こえていた。岩田氏はかつて「われわれに必要なのは次世代のマシンではなく、次世代の遊び方だ」と語り、社長就任からの10年間、この点を追求して努力を重ねてきた。ゲームの煩雑な設定を簡略化し、より多くの人が楽しめるようにした。写真は1992年4月、大画面で「スーパーマリオ」を楽しむゲーマーの様子。岩田氏といえば、任天堂の2大ヒット商品の任天堂DSと任天堂3DSを思い浮かべる人が多い。歴史に名を残すナンバーワン商品のDSは、04年に発売された第3世代携帯型ゲーム機。3DSはDSのバージョンアップ機種で、パララックスバリア(裸眼立体視技術)方式を採用し、11年に発売された。データによると、12年末までにDSは世界で1億5369万台を販売し、DSシリーズで最もよく売れた商品となった。DSの数多くの人気ソフト、たとえば「ポケットモンスター」や「マリオ」などは、DSによって世界的にヒットした。「誰でも楽しめるゲーム」という岩田氏の夢は、真に実現したといえる。任天堂Wiiはゲーム機の歴史における一つの奇跡だ。06年の発売当初は、あれほどのヒット商品になるとは誰も予想しなかった。写真は06年11月19日、米国カリフォルニア州ハリウッドで、2日間並んで米西海岸初のWiiを手に入れたジョン・マンさん(24歳)。より安く、より高いコストパフォーマンス、より楽しいゲーム体験を。GameCubeの後継機種としてうち出された家庭用ゲーム機の主力商品Wiiは、コードネームの「レボリューション」と同じように、ゲーム機の革命となった。写真は08年5月8日、英国のウィリアム王子がマーティン・ジェームズ君とWiiで遊ぶ様子。王子はこの日、子ども達のイベントを訪問し、社会的弱者の家庭と子ども達を激励した。これまでにない遊び方を提供したWiiは、世界で1億台以上の売り上げ記録を達成した。「ウォール・ストリート・ジャーナル」のジャミン・ウォーレン論説委員は当時、「世界的な爆発的売れ行きは、口やかましいゲーマーたちからも高く評価されていることを示している。......Wiiで長く遊ぶと、Wiiを振り回すのに相当疲れることに気付くだろう」と述べた。写真はエレクトロニック・エンターテインメント・エキスポで新型家庭用ゲーム機Wii Uを発表する岩田氏。岩田氏は谷間も経験している。従来のターゲット層に固執するあまり、09年以前には数々の新商品を発売しながら、会社の業績は全体として傾き始めていた。ゲーマーたちの寝返りにより、任天堂の発展は危機に陥ったのだ。写真は会社の戦略会議に臨む岩田氏。だがどのような困難があろうとも、岩田氏が率いる任天堂は着実な歩みで「過渡期」をくぐり抜け、黒字を維持してきた。とはいえ黒字ばかりを追求するのは、長期的な戦略とはなり得ない。このような背景の下で、モバイルゲームへの参入や「クオリティオブライフ」(生活の質)プロジェクトが機に乗じて進められるようになった。岩田氏は11年3月2日、サンフランシスコで行われたゲームデベロッパーズカンファレンスで基調講演を行った。岩田氏はモバイル化に一貫して反対してきたが、最終的にはこの新たな転換を受け入れ、長らく期待されたモバイルへの進出に着手した。だがそれからほどなくして、岩田氏の健康は下降線をたどっていった。ゲームのモバイル化は岩田氏が完成させることのできなかった事業であり、心残りだ。
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7月13日はゲーム愛好家たちにとって悲しみの日となった。任天堂がこの日、岩田聡社長が11日にガンで亡くなったと発表したのだ。享年は55歳。「岩田聡は自分の人生をかけて『骨の髄までのゲーマー』の神髄を説いてみせた」という声がある。岩田氏は社長に就任してから、Wii、DS、Wii U、GameCubeなどさまざまなゲーム機の開発を主導し、任天堂のビデオゲーム事業を黄金期に導いた。(編集KS)

「人民網日本語版」2015年7月14日

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