最近の記事
トラックバック
- ご無沙汰です (つぶやき手帳)
- 第十二回高校生福祉文化賞エッセイコンテスト 第4分野 最優秀賞 「永遠にゼロ」 (政治II)
- 自民党議員100人落選キャンペーン (弱い文明)
- アクティブミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)による公開質問状 (つぶやき手帳)
- 「自由と壁とヒップホップ」公開へ (弱い文明)
コメント
- kuroneko on 平和に帰る
- tera_death13 on 拡張機能を公開します
- tae on 「ハンセン病文学全集」を図書館に!
- うに on お別れ
- kuroneko on お別れ
- うに on お別れ
- hagure on お別れ
- tae on お別れ
- tae on 50年を受け継いでいく
- kuroneko on アメリカとキューバが国交再開へ
関連リンク等
携帯URLをメールで送る
2011年12月31日
原発に年は暮れ行く
インド南端で建設中のクダンクラム(Kudankulam または Koodankulam)原子力発電所です。
原発は、最南端のカーニャクマリ岬から北東に20キロほど行った、何百台もの発電用の風車が立ち並ぶ平原の端の浜辺にありました。
原発の敷地へは、かなりの距離のところから立ち入り禁止になっています。私が行った時には、座り込みなどはなく、州政府の人が検問をやっていました。その人は英語を話す人で、「誤解しないでくれ、あなたを入れないのは、私が原発に賛成だからというわけではない」と言っていました。
写真は、反対派の拠点となっている、原発の敷地から数キロの漁村から撮りました。ここでは、漁師の人たちや活動家の人たちと話すことができました。漁師の人はタミル語しか話さず、こちらが言葉を解さないのに延々とまくしたて、通訳をしてくれたガイドの人の英語も今ひとつで、話の1%ぐらいしか分からなかったのですが、「私たちは灯油のランプで生活しているのに、だれのための原発だと言うのだ」「中央政府はタミル人の安全のことなど考えていない」と言って怒っていました。
活動家の人は、7年前のアチェの地震に伴う大津波がその村も襲ったと言い、原発の敷地が海面からわずか5メートルしか高くないので、福島のようなことが起こるのがとても心配だと話していました。
2人とも、クマールさんという反対運動の指導者が当局に拘束されるようなことがあれば、住民は立ち上がるだろうと強調していました。逮捕の危険が迫っているということなのかどうかは聞けませんでした。州政府が脱原発の立場を取ってきたことは評価しており、その姿勢の変化を危惧しているようではありませんでしたから、おそらく一般論としての話だろうと思います。
2012年が、クダンクラムの原発計画が中止になったというニュースを聞く年になりますように。
2011年 12月 31日 午前 01:14 | Permalink | この月のアーカイブへ
コメント
この記事へのコメントは終了しました。