ダム写真
(撮影:ToNo)
044591 加藤敦
018833 ToNo
019833 宮島咲
026998 灰エース
どんなダム
建設当時は「東洋一のダム」と
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昭和5年に完成。堤高79.2m。アーチ曲面の美しい本格的な重力式コンクリートダム。建設当時は東洋一の高さで、東洋一のダムと呼ばれた。物部長穂の重力式コンクリートダムの設計法を適用した最初のもの。大井ダムに続いて建設された初期の大型ダムの代表的事例。玉石コンクリートが使用された。土木学会選奨土木遺産2001に選定され、平成14年6月25日に国の登録文化財に指定された。
[写真]登録文化財に指定されたことを示す銘板(撮影:ふかちゃん)
日本で初めてボーリング調査を実施
17門のラジアルゲート
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堤高が高くて、全幅に17門のラジアルゲートが並び、その姿は圧巻。インパクトが強いとも。
[写真](撮影:加藤敦)
エレベーター式魚道があった
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鮎の遡上のため、日本で初めてエレベーター式魚道を設置。巻き上げ機で籠を引き上げる。昭和6年の1日最大引き上げ数は、6505尾だったという。当時としては世界一の魚道技術だったとも言われる。この魚道は、昭和9年の洪水により被害を受け、現在は撤去されている。
船でしか行けない秘境の一件宿、大牧温泉
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ダム湖の上流には、船でしか行けない秘境の一件宿、大牧温泉がある。ダム建設前は峡谷にも村落があり、また村人達の湯治場として素朴な宿があった。小牧ダムの完成とともに村落は湖底に沈み、温泉宿一軒だけが上方に移転した。
シリーズ ダム百選 投票から
第 8 回 『 歴史を感じるダム 』
■しかく かつて東洋一といわれたダムからは80年経った今でも他に類を見ない存在感と風格を感じます。 (たきお)
河川
庄川水系庄川
目的/型式
P/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積
79.2m/300.8m/289千m3
流域面積/湛水面積
1100km2
(
全て直接流域
)
/145ha
総貯水容量/有効貯水容量
37957千m3/18858千m3
ダム事業者
関西電力(株)
本体施工者
加藤組
着手/竣工
1925/1930
ダム湖名
小牧湛水池
(こまきたんすいち)
諸元等データの変遷
【06最終→07当初】河川名[庄川→有間川]
【07当初→07最終】河川名[有間川→庄川]
【08最終→09当初】堤高[79.2→79]
【09当初→09最終】堤高[79→79.2]
ダムをうたう(31) -渡る老鶯-
老鶯や大牧小牧ダム渡る 越田のぶ英
この句は、角川文化振興財団編『北陸・京滋ふるさと大歳時記』(角川書店・平成6年)に掲載されている。
鴬(うぐいす)は春を過ぎて、繁殖のために平地から山に入っていく。老鶯(ろうおう)とは、老いた鴬でなく、夏になっても鳴く鴬こと。季語は夏である。小牧ダムの上流に大牧温泉があるが、そこは小牧ダムのダム湖から船で行く事しかできない。このダム湖を老鶯がゆったりと飛びながら山へあがっている様を詠んでいる。
小牧ダムは、庄川の富山県砺波市庄川町小牧字矢ヶ瀬に位置し、型式重力式コンクリートダム、堤高79.2m、堤頂長300.8m、堤体積28.9万m3、総貯水容量3795.7万m3、有効貯水容量1885.8万m3、水力発電用のダムであり、現在関西電力?鰍ェ管理している。施工期間は大正14年〜昭和5年、この間木材会社から、ダム建設が流木流しを阻害されるとして、反対闘争がなされた。いわゆる庄川流木事件である。
当時東洋一のダムを誇っていた。平成14年国の登録文化財に指定、平成19年経済産業省の近代化産業遺産に登録されている。重厚かつ優美なダムである。
(2013年1月30日、古賀邦雄)
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