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収蔵品紹介
銀象嵌<ぞうがん>で飾られた刀
銀象嵌とは、鉄製品の表面に溝を彫り、細い銀線をはめ込んで文様〈もんよう〉をつくる工芸技法です。古墳時代にはこの技法で飾られた剣や刀が見られ、6世紀後半頃に最も流行します。流行するといっても、有力者しか入手できなかったものらしく、岡山県下では9点しか発見されていません。
長年の間に銹〈さび〉でおおわれ、発掘時には銀象嵌文様の存在が分からないことが多いのですが、クリーニングをしていくうちに、白く輝く模様が浮かび上がってきます。
センターの収蔵品では、西山〈にしやま〉2号墳(岡山市栢谷〈かいだに〉)、平瀬〈ひらせ〉2号墳(岡山市平瀬)、平岩〈ひらいわ〉古墳(赤磐市石〈いし〉)、道上〈みちのうえ〉古墳(新見市哲西町上神代〈かみこうじろ〉)からの出土品4点があります。刀の鍔〈つば〉や柄頭〈つかがしら〉(手で握る部分の端に付ける装具)などに、銀象嵌でハート形や鱗〈うろこ〉形、渦巻き文様などが施されています。曲線を多用した独特な文様で、当時の人々の精神世界を垣間見るようです。
尾上 元規 「銀象嵌で飾られた刀」『所報吉備』第44号 2008年3月発行より転載(一部改変)
平岩古墳の柄頭
平岩古墳の柄頭(高さ4cm)
道上古墳の鍔
道上古墳の鍔
鹿角製品<ろっかくせいひん>
岡山市中区沢田の百間川河川敷内にある百間川沢田遺跡の発掘調査では、縄文時代晩期の川底に形成された貝塚の中から、鹿の角を加工して造られた鳥形短剣状鹿角製品や指輪状鹿角製品が出土しています。
鳥形短剣とは、鹿角が枝に分かれた部分を利用して製作されており、短い方の枝を鳥の嘴<くちばし>に見立て付けられた名前です。縄文時代中・後期に関東や東北地方で見つかっており、晩期には鹿角製の腰飾りと共に西日本でも出土しています。
百間川沢田遺跡の出土品では、鹿角の幹の側を厚さ6〜7mmほどに台形に削り、中央に開けられた半円形の窓と頂部の間には、紐を通す穴が穿たれています。また、短い方の枝の先端に十文字に刻み入れています。剣の身にあたる部分の先端は良く研磨され鋭く尖らせるものの、刃を造り出していないことから短剣としてではなく、腰飾りとして使われたと考えられます。
指輪状製品の大きさは、長さ30mm、幅が22.5mm、厚さは8.5mm、重さが2.64gです。輪の内径は、16.5〜16.7mmで指輪であれば11号のサイズになりますが、全国的にも類例が無く、実際に指輪であったかは分かりません。ただし、この2点の近くからは鹿角製管玉も出土していることから、特定の人が身につけた装飾品と考えて良さそうです。
弘田 和司 「百間川沢田遺跡出土の鹿角製品」『所報吉備』第52号 2012年3月発行より転載(一部改変)
鳥形短剣状鹿角製品
鳥形短剣状鹿角製品
指輪状鹿角製品
指輪状鹿角製品
関連リンク
・古代吉備を探る「大地からのメッセージ(4)縄文の芸術」
彩文土器
この彩文土器が出土した井戸が発見されたのは、百間川原尾島(はらおじま)遺跡という弥生時代集落の中心部です。ふつうの井戸に比べるとひとまわり大きな丸い穴(直径1.5m)で、その上面にはすでにおびただしい弥生土器が現れていました。
このような遺構を掘る場合、われわれはまず、どのような記録を残していくかを考えます。 記録とは、出土状態の写真撮影や埋まった状態を断面図などに残す作業です。 発見してから半月間、天候や湧き水と格闘しながら、少しずつ掘り下げ、深さ1mあまりの底近くに到達しました。そこには何点かの完全な土器が横たわっており、鮮やかな彩文土器も姿を現したのです。
貴重な赤色顔料で描いたS字状の渦文(うずもん)は、優美な直口壺(ちょっこうつぼ)の存在感をいっそう際だたせています。お祭りなどの酒宴で使われた、中心的な土器と考えられます。お酒を入れて、人々の杯(さかずき)を満たしたのでしょうか。
岡田 博 「百間川原尾島遺跡出土の彩文土器」『所報吉備』第37号 2004年9月発行より転載(一部改変)
井戸の掘り下げ作業
井戸の掘り下げ作業
彩文土器
彩文土器(高さ:27cm)
卜骨
星座に血液型、おみくじにタロットカードなど、現代社会において占いは日常の一部と言っていいくらい普及しています。しかし、動物の骨を使った占いは、現代の日本ではみられないのではないでしょうか。ところが、弥生時代には動物の骨を使って占いをしていたようです。それは『魏志倭人伝』にある「骨を灼〈や〉いて卜し、以て吉凶を占う」という記述から分かります。さらに占い(骨卜〈こつぼく〉)に使用した動物の骨が遺跡から出土することもあるのです。
岡山市北区足守川加茂B遺跡では弥生時代の卜骨〈ぼくこつ〉が8点出土しました(貝塚から7点、穴から1点)。シカとイノシシの肩甲骨〈けんこうこつ〉を利用したもので、表面には小さなくぼみや穴が並び、亀裂がはいったものもあります。くぼみは熱を受けて焦げていることから、そこに熱を加えることでできる穴や亀裂のはいり方で吉凶を判断したのでしょう。ただ、それらをいくら観察しても、当時の人が吉と判断したか凶と判断したか、現代の私たちには推し量ることはできません。
卜骨
岡山市足守川加茂B遺跡(弥生時代後期)
分銅形土製品
分銅形土製品〈ふんどうがたどせいひん〉は、弥生時代中期中ごろから後期前半(約2,200年前から1,900年前)に瀬戸内海や山陰を中心として使われた遺物です。現在のところ900点以上が出土しており、そのうち4割弱が岡山県で見つかっています。江戸時代以降にはかりの錘〈おもり〉として使われた分銅に形が似ていることからこの名前が付けられました。
マツリの道具ではないかと考えられていますが、具体的な使用方法については分かっていません。表面には刺突や櫛描などの文様を施したり、顔を表したりします。サイズは5cmにも満たないような小型品から、10cmを越えるようなものまで確認できます。全体的に丸く作る場合もあれば、四角くまとめることもあります。文様や顔の表現、サイズや形などに地域色や時代性がみられ、さらに使い方も反映しているかも知れません。
分銅形土製品
岡山市加茂政所遺跡(弥生時代後期前葉)
関連リンク
・古代吉備を探る2「フンドウガタドセイヒン-吉備のはじまり-」
特殊器台・特殊壺と特殊器台形埴輪
特殊器台・特殊壺は弥生時代後期の終わり頃(約1,800年前)の墓から見つかる土器です。岡山県を中心として広島県東部、島根県、奈良県などで出土しています。特殊器台・特殊壺は、それ以前に使われていた壺と器台から変化したものであると言われており、それまでの器台に比べると大型で、表面に赤い顔料が塗られ、文様もたくさんつけられています。特殊壺は大形の壺ですが、底に穴が開いており、実際に用いることはできません。これらの特徴から、特殊器台・特殊壺は、当時の葬式で用いられた特別な土器であると考えられています。
古墳時代初頭(約1,750年前)になると、特殊器台の口縁や脚などが縮小し、文様の少なくなったものが古墳上で使われるようになります。これを特殊器台形埴輪と呼び、円筒埴輪のルーツであると言われています。
特殊器台・特殊壺と特殊器台形埴輪
壺と器台 倉敷市上東遺跡(弥生時代後期中頃)
特殊器台 新見市西江遺跡(弥生時代後期末頃)
- 特殊器台形埴輪 倉敷市矢部堀越遺跡(古墳時代初頭)(倉敷市教育委員会所蔵)
関連リンク
・古代吉備を探る「特殊な壺と器台」
盾持ち人形埴輪
埴輪は古墳時代に用いられた、古墳を飾る土製品です。埴輪には様々な種類がありますが、盾持ち人形埴輪は人をモデルにした埴輪です。正面に盾を持ち、上に人物の頭部がのるデザインが一般的です。警備をする兵士の姿を表していると思われます。
古墳時代中期(約1,600年前)に関西地方で出現し、古墳時代後期(約1,500年前)には全国に広まります。岡山県内では赤磐市の土井遺跡で見つかっています。土井遺跡では古墳時代後期の埴輪を焼いた窯の跡が見つかっており、この盾持ち人形埴輪もここで焼かれたものです。
焼かれた埴輪は窯から古墳に運ばれたと見られますが、この埴輪は運ばれることなく、窯の近くで見つかりました。細長い筒の上に冠を付けた頭部をのせて、台形の盾を体の前に表しています。
盾持ち人形埴輪が出土した様子
赤磐市土井遺跡の埴輪窯近くで出土した盾持ち人形埴輪(古墳時代後期)
遠くを見つめる盾持ち人形埴輪
盾持ち人形埴輪の上部
陶棺
陶棺は古墳時代後期から飛鳥時代を中心として使われた焼き物の棺〈ひつぎ〉です。その多くは古墳の横穴式石室から見つかっています。遺体をおさめる身とその蓋からなり、身の底には円筒形の脚複数が付く特徴を持ちます。
蓋の形状から亀の甲羅に近い形態の「亀甲形」と家の屋根を模した「家形」の大きく2種類に分類できます。また、大きさは遺体を伸展状態で埋葬するため2m前後のものが通常ですが、火葬骨をおさめるための長さ1mにも満たないような小型の陶棺も見つかっています。
陶棺はこれまで九州から東北地方にかけて約700点出土しており、岡山県で見つかった陶棺は全国出土数の約80%を占めています。県内でも特に美作に多く、その出土数は344点(69%)と群を抜いています。岡山県を代表する遺物の1つと言っていいでしょう。
弥上古墳の陶棺
赤磐市弥上古墳(古墳時代後期)
各県における陶棺の出土点数と割合
陶棺の出土点数と割合(陶棺の数は村上幸雄「石棺と陶棺」『吉備の考古学』福武書店1987年による)