開館70周年記念展示「本の玉手箱―国立国会図書館70年の歴史と蔵書―」

  • 本の玉手箱
  • 第2部 さまざまな蔵書
  • 第2章 どこかで見た本
  • 第3節 憲法の誕生

第2部第2章第3節 憲法の誕生

憲法、これも中学・高校の授業で勉強した記憶があるのではないだろうか。本節では、明治22(1889)年に発布された大日本帝国憲法、昭和21(1946)年に公布された日本国憲法にまつわる資料を数点ずつ紹介する。

長い調査旅行

100 〔立憲政体調査ニツキ特派理事欧洲派遣ノ勅書〕

明治15(1882)年3月3日【伊藤博文関係文書(その1)書類の部209】

100 〔立憲政体調査ニツキ特派理事欧洲派遣ノ勅書〕の画像 デジタルコレクション

明治15(1882)年3月、伊藤博文は勅命によりドイツ・オーストリアなどに派遣され、1年数か月の間、ヨーロッパ諸国の立憲制度の調査にあたった。命じられた調査項目は31か条に及んだ。

議会政治五十年記念の展示会の写真の画像
議会政治五十年記念の展示会の写真
【近藤英明関係文書17-2】

秘蔵資料の由来

今日、当館憲政資料室には明治の元勲らが旧蔵していた貴重な資料が多数収蔵されている。
伊藤博文がかつて持っていたこの勅書(展示資料100)もその一つである。
資料の発見は、戦前の憲政史の編纂・調査活動とも関わりがあった。そして、調査の成果が陽の目を見たのが、昭和15(1940)年に開催された議会政治五十年記念の展示会である。この勅書も展示されたが、当時の感覚では勅書の展示に躊躇があったようで、宮内省に事前照会がなされたというエピソードも伝わっている。
戦後になると、貴族院の五十年史編纂掛の一員として調査に携わっていた大久保利謙(歴史家、大久保利通孫)らは、歴史資料の散逸を恐れ、国会に請願を提出、当館創設直後に設置された憲政資料蒐集係が、現在の憲政資料室につながった。

枢密院議長・伊藤博文の直筆書入れ本

101 〔大日本帝国憲法(浄写三月案)〕

〔明治21(1888)年3月〕【伊藤博文関係文書(その1)書類の部233】

101 〔大日本帝国憲法(浄写三月案)〕の画像 デジタルコレクション

表紙右下の墨書は「博文」と読める。伊藤博文は、明治16(1883)年にヨーロッパから帰国、関係者とともに憲法草案の起草が本格化した。伊藤はこの浄書案を枢密院に持参の上、更に鉛筆で修正部分を書き加えたといわれている。

125年前の大学生のノートとは

102 講義ノート(英仏独憲法)

浜口雄幸〔筆記〕末岡精一〔講義〕〔明治25-26(1892-1893)年〕【浜口雄幸関係文書12】

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のちの第27代首相浜口雄幸の帝国大学時代のノート。講義の主は、伊藤博文の憲法調査と同時に出発し、ドイツ、オーストリアの大学で学んだ憲法学者末岡精一(帝国大学法科大学教授)。展示箇所はフランス憲法の成立を書いた箇所。左の見出し列が効いている。

GHQ側の検討過程

103 Ellerman Notes on Minutes of Government Section, Public Administration Division Meetings and Steering Committee Meetings between 5 February and 12 February inclusive

1946【Alfred Hussey Papers; Constitution File No.1, Doc. No.7】

103 Ellerman Notes on Minutes of Government Section, Public Administration Division Meetings and Steering Committee Meetings between 5 February and 12 February inclusiveの画像拡大画像

文書を保存していたアルフレッド・ハッシーは、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)側で憲法草案作成を担当した委員会の主要メンバーの一人である。展示箇所は、民政局の会議の記録。議会を一院制とする提案も記されている。

数々のサイン入り

104 日本国憲法(官報号外)

昭和21(1946)年11月3日【入江俊郎関係文書46】

104 日本国憲法(官報号外)の画像拡大画像

日本国憲法は昭和21(1946)年11月3日に公布された。展示資料は、当時法制局長官であった入江俊郎が所蔵していた、吉田茂をはじめとする関係者の署名入りのもの。

初代館長 金森徳次郎の本の中から

105 少年少女のための憲法のお話

金森徳次郎 著 吉沢廉三郎〔ほか〕絵 世界社 昭和24(1949)年【児32-K-1】

第1次吉田茂内閣の国務大臣として日本国憲法制定時に議会での答弁にあたり、のちに当館初代館長となった金森徳次郎が、挿絵を交えて少年少女向けに新憲法を解説した本。「はじめの言葉」には「なぐさみに見る漫画の本ではありません。むずかしい憲法の精神を、しんけんな気もちで書いたものです。」とある。

資料表紙画像へ(電子展示会「日本国憲法の誕生」)

金森徳次郎の文体

当館初代館長・金森徳次郎は、戦前の岡田啓介内閣で法制局長官、戦後の第1次吉田茂内閣にて憲法担当の国務大臣を務めるといった、ややいかめしい経歴を持つ。
そうした経歴から想像されるのと違い、金森の文体は、平明で読みやすい。展示資料は、その中でも子ども向けの著作にあたる『少年少女のための憲法のお話』であるが、ここでも三権分立を「プリズムをとおすと、赤黄青などの、いろいろの光線にわかれ」る太陽の光に喩えるなど、分かりやすく伝えようと工夫を凝らしたことが見てとれる。金森が数多のエッセイ執筆を依頼されていたのもうなずける。



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