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金森正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金森 正
かなもり ただし
生年月日 (1937年10月05日) 1937年 10月5日(87歳)
出生地 日本の旗 日本 三重県 四日市市
出身校 三重県立四日市工業高等学校
前職 富士電機従業員
所属政党 (無所属→)
(民主党→)
(民進党 [1] →)
(旧国民民主党→)
国民民主党
称号 藍綬褒章
旭日小綬章

日本の旗 衆議院議員
選挙区 比例東海ブロック
当選回数 1回
在任期間 2009年8月31日 - 2012年11月16日

三重県の旗 三重県議会議員
選挙区 四日市市選挙区
当選回数 4回
在任期間 1990年 - 2003年

当選回数 4回
在任期間 1975年 - 1990年
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金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本政治家国民民主党 三重県連代表。衆議院議員(1期)、三重県議会議員(4期)、四日市市議会議員(4期)、民主党旧国民民主党三重県連代表などを務めた。

勲章は藍綬褒章 2000年(平成12年)、旭日小綬章 2007年(平成19年)。

来歴

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三重県 四日市市生まれ。三重県立四日市工業高等学校卒業後、富士電機(現富士電機リテイルシステムズ)に入社。四日市市最大の労働組合である富士電機労組に加入し、組合活動に従事する。

1975年に四日市市議会議員選挙に立候補して初当選した。以後当選4回。1990年に四日市市議を辞職して、三重県議会議員選挙の補欠選挙に立候補して当選。三重県議も4期務め、2003年に政界を一旦引退した。引退後も民主党三重県連幹事長の職に留まり、県政界の実力者であった。

2009年に三重県選出衆議院議員岡田克也から要請を受け、比例東海ブロック単独(35位)で第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で立候補。比例下位であったが、重複立候補していた候補者の大半が小選挙区で当選したため、当選した。

2010年9月の民主党代表選挙では、菅直人の推薦人に名を連ねた。

2012年に民主党三重県連代表に就任した。2012年(平成24年)12月に行われる第46回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退することを表明した[2] 2014年12月に行われた第47回衆議院議員総選挙では比例下位に名簿登載されるも、落選。

2018年に所属する民進党国民民主党へ移行したが、民進党常任顧問の岡田や、県連代表だった芝博一らはこれに参加せず無所属となったため、三重県からは同党の所属国会議員が不在となり、金森が国民民主党の三重県連代表となった[3] 2020年に野党再編を巡り国民民主党が分党し、(新)国民民主党が結成された際も引き続き県連代表に就いた[4]

人物

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所属団体・議員連盟

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役職

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脚注

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第41回
(定数23)
新進党
自由民主党
民主党
日本共産党
社会民主党
第42回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
自由党
日本共産党
社会民主党
第43回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
日本共産党
第44回
(定数21)
自由民主党
民主党
公明党
日本共産党
第45回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
日本共産党
第46回
(定数21)
自由民主党
日本維新の会
民主党
公明党
みんなの党
日本未来の党
日本共産党
第47回
(定数21)
自由民主党
民主党
維新の党
公明党
日本共産党
第48回
(定数21)
自由民主党
希望の党
立憲民主党
公明党
日本共産党
日本維新の会
第49回
(定数21)
自由民主党
立憲民主党
公明党
日本維新の会
日本共産党
国民民主党
第50回
(定数21)
自由民主党
立憲民主党
国民民主党
公明党
れいわ新選組
日本維新の会
日本共産党
日本保守党
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選

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