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菊地董

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菊地 董
きくち ただす
生年月日 (1941年10月29日) 1941年 10月29日(83歳)
出生地 日本の旗 静岡県 田方郡 修善寺町(現・伊豆市)
出身校 日本社会事業大学中退
前職 衆議院議員秘書
会社経営者
所属政党 社会民主党

選挙区 比例東海ブロック(静岡7区)
当選回数 1回
在任期間 2000年 2月22日 - 2000年 6月2日
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菊地 董(きくち ただす、1941年(昭和16年)10月29日 [1] - )は、日本政治家実業家。元衆議院議員(1期)。

経歴

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静岡県 田方郡 修善寺町(現・伊豆市)出身。日本社会事業大学中退。その後、佐々木更三の秘書を務め、会社を経営する[1]

1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙で、静岡7区社会民主党から立候補して落選[2] 2000年(平成12年)2月22日、前島秀行の死去により、重複立候補していた比例代表東海ブロックから繰上当選となった[注釈 1] [1] [3] 。同年6月の第42回総選挙静岡県第5区に立候補し、落選した[1] [2]

その後、(株) アジア太平洋センター代表取締役に就任した[1]

著作

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  • 『カンボジア・ベトナム関係史』くらすなや書房、1988年。
  • 『中国食養紀行』東洋医学舎、2004年。
  • 『駕籠をかついだ人々 : 自伝的回想』アジア太平洋センター、2009年。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1996年の総選挙では供託金没収となっていたが、当時は比例区との重複立候補の供託金没収者に対する復活当選の失格規定がなかったため、繰上当選となった。この規定が改正されたのは次回総選挙(2000年・第42回)からであった。

出典

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  1. ^ a b c d e 『新訂 現代政治家人名事典』169頁。
  2. ^ a b 『国政選挙総覧:1947-2016』213頁。
  3. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』235頁。

参考文献

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  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。


第41回
(定数23)
新進党
自由民主党
民主党
日本共産党
社会民主党
第42回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
自由党
日本共産党
社会民主党
第43回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
日本共産党
第44回
(定数21)
自由民主党
民主党
公明党
日本共産党
第45回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
日本共産党
第46回
(定数21)
自由民主党
日本維新の会
民主党
公明党
みんなの党
日本未来の党
日本共産党
第47回
(定数21)
自由民主党
民主党
維新の党
公明党
日本共産党
第48回
(定数21)
自由民主党
希望の党
立憲民主党
公明党
日本共産党
日本維新の会
第49回
(定数21)
自由民主党
立憲民主党
公明党
日本維新の会
日本共産党
国民民主党
第50回
(定数21)
自由民主党
立憲民主党
国民民主党
公明党
れいわ新選組
日本維新の会
日本共産党
日本保守党
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選

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