諫早茂真
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永13年1月1日(1636年 2月7日) |
死没 | 寛文12年8月6日(1672年 9月6日) |
別名 | 豊前 |
墓所 | 長崎県 諫早市西小路町天祐寺 |
主君 | 鍋島勝茂、光茂 |
藩 | 肥前 佐賀藩 |
氏族 | 諫早鍋島家(諫早氏) |
父母 | 諫早茂敬 |
兄弟 | 茂真、茂季、茂清 |
妻 | 鍋島直弘娘 |
子 | 茂門 、茂元ら |
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諫早 茂真(いさはや しげざね)は、江戸時代前期の武士。肥前国 佐賀藩士。諫早鍋島家(諫早氏)4代当主。
出自
[編集 ]龍造寺隆信の又従兄弟家晴の曾孫。藩主鍋島氏の旧主君龍造寺氏の一族で、鍋島氏を憚って諫早氏を称す。家紋は「上り藤」。代々藩主の偏諱を受け「茂」の字を拝領している。
龍造寺氏一族として、藩内で大名並みの知行二万六千石と強い影響力を持つ。3代・諫早茂敬の生母は鍋島直茂三女・彦菊。
略歴
[編集 ]寛永13年(1636年)諫早邑主・諫早茂敬の三男として誕生。慶安5年(1652年)2月、家督相続。承応元年(1652年)藩政を司る請役家老となる。
万治3年(1660年)3月、鍋島直朝を補佐して長崎警備を務めた。寛文3年(1663年)霊元天皇 即位の礼のため、藩主光茂の名代として上洛した。
寛文12年(1672年)8月6日死去。享年37。菩提寺の天祐寺に葬られた。家督は嫡男・茂門が相続。正室は白石鍋島直弘の娘で、元禄9年(1696年)に没した。
系譜
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 長崎県史: 藩政編