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多久茂矩

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(2016年2月)
 
多久茂矩
多久茂矩像(多久市郷土資料館蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 元禄2年12月10日(1690年 1月20日)[1]
官位 長門守
主君 鍋島光茂
肥前 佐賀藩
氏族 後多久氏(多久鍋島家)
父母 多久茂辰鍋島勝茂娘・鶴
神代常利娘・菊子
鍋島清信
茂文
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多久 茂矩(たく しげのり)は、江戸時代前期の武士肥前国 佐賀藩士。多久鍋島家(後多久氏)3代当主。

略歴

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2代多久邑主・多久茂辰の子として誕生。

正保3年(1646年)、父・茂辰が返済不能な私借銀を作ったとして請役を免ぜられたが、寛文12年(1672年)、鍋島茂紀と共に[2] 請役となり、貞享4年(1687年)に請役が1人となり諫早茂紀が請役となるまで務めた。また、雑木に覆われた唐津往還を切り開き、宿場を設ける等地域整備も行った。

実子・清信は姉川鍋島家・鍋島清長の養子となっていたため、貞享3年(1686年)、養子・茂文(鍋島光茂の四男)に家督を譲った。

元禄2年(1690年)、死去。

脚注

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  1. ^ 細川章『佐嘉藩多久領古文書に見る地域の人々』(文献出版、2000年)
  2. ^ のちに諫早茂元も任じられる。
多久鍋島家3代当主( - 1686年)
村中家

分家・支流

水ケ江家
会津龍造寺家
村田家
原田家
諫早鍋島家
多久鍋島家
武雄鍋島家
須古鍋島家

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