コンテンツにスキップ
Wikipedia

花村元司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 花村元司 九段
1952年
名前 花村元司
生年月日 (1917年11月18日) 1917年 11月18日
没年月日 (1985年05月25日) 1985年 5月25日(67歳没)
プロ入り年月日 1944年(五段編入)
棋士番号 39
出身地 静岡県 浜松市
所属 将棋大成会
日本将棋連盟(関東)
師匠 木村義雄 十四世名人
弟子 吉田利勝池田修一野本虎次武者野勝巳森下卓深浦康市窪田義行
段位 九段
棋士DB 花村元司
戦績
一般棋戦優勝回数 3回
通算成績 626勝601敗(0.5102)
順位戦最高クラス A級(16期)
2022年2月13日現在
テンプレートを表示

花村 元司(はなむら もとじ、1917年 11月18日 - 1985年 5月25日)は、将棋棋士。棋士番号39。静岡県 浜松市出身。木村義雄十四世名人門下。史上初の「(女流棋士も含め)将棋と関連した機関に在籍した経験を持たずにプロ入りした」将棋棋士で、この快挙は小山怜央が編入試験でプロ入りを決めるまで以降79年間出ていなかった[注 1]

経歴

[編集 ]

真剣師時代

[編集 ]

小学校卒業後、鋳物工の見習いとなるが、15歳のときにミスで大やけどを負って入院中に将棋と出会う[1]

プロになる前は、賭け将棋で生計を立てていた元真剣師という異例の経歴を持ち、真剣師時代には「東海の鬼」「コマ落ち名人」「下手名人」などの異名をとった[2] 囲碁も得意で囲碁の真剣師もしており[3] 、そのほか博才が高く花札もかなりの腕前があったとされる。この時期は、真剣での収入で将棋道場を持ち、高級な和服を着こなすなどで、後に「プロにならないほうが儲かったかもしれない」と述べるほど、金銭には恵まれていた。しかし、道場は通っていた警察官から賭博での手入れを示唆され、逃げ出すように閉鎖のやむなきに至り[4] 、その後1年もしないうちに補充兵として南支に送られ、マラリアを4度発症するも1年2ヶ月後に帰国を果たした[5]

プロ編入試験

[編集 ]

升田幸三に対し、角香交じり(角落ちと香落ちで交互に対戦すること)で徹夜で勝負して勝ち越し[6] 、さらに香落ちの手合いで指し分けとなった[6] 実力を買われたことや、後援者たちの推挙を受けたことで1944年に異例のプロ五段試験の実施が決まる。花村はこの試験で、和田庄兵衛奥野基芳小堀清一大和久彪といった当代の新進気鋭のプロ棋士を相手に六番勝負で4勝2敗という結果を上げて[7] 合格し、プロ棋士となった[注 2]

棋士として

[編集 ]

大山康晴中原誠には大きく負け越ししているものの、通算成績は棋戦優勝3回、A級通算16期。特に1977年度には60歳でA級への復帰を果たした。これは2018年現在でも全クラスを含めた最高齢昇級記録であり、A級在籍記録としても大山の69歳4ヶ月、加藤一二三の62歳2ヶ月に次ぐ最高齢記録である。しかし、タイトルは取ることができず、生涯4度の挑戦の中で、大山には名人戦と王位戦でストレートで2度敗北し、残りは九段戦で塚田正夫に2度挑戦しているが、0勝3敗、2勝3敗で敗北している。

1985年5月25日、現役のまま67歳で死去。死因は肺がんだった[8] 。師匠の木村義雄とは晩年連れだって競輪場に行くほど親密な間柄であり、木村は「とてもよい弟子だが、たったひとつ悪いことをした。師匠より早く死んだことだ」と述べ、とても悲しんだという[注 3]

棋風

[編集 ]
  • 元真剣師らしく実戦派の棋士と知られ、当時、大人しい定跡通りの手を指す棋風が多い中にあって、あえて定跡を外した難解な力将棋に持ち込むことで高い勝率を挙げた。また終盤の力があり、花村は「終盤の入り口で2:8の差なら五分、3:7なら俺の勝ち」と豪語していた。こうした棋風から「妖刀使い」の異名を持ち、「花村流」はプロ棋士に恐れられた。一方で「ハッタリ将棋」と揶揄する向きも存在したが、それこそが自身の勝負観の表れであるとしてむしろ本人はその言葉を歓迎していたという。
  • 楽観派だった背景には戦中のマラリアの経験もあり、石田和雄によれば「戦地でマラリアに罹って頭髪を全部失っても『命と引き換えなら安いもんじゃ』と笑っていた」という[8]
  • アマチュア相手の駒落ち将棋を得意として灘蓮照とならんで有名であった。

人物

[編集 ]
  • 元真剣師のイメージにそぐわず、清潔な人物だったという[9]
  • 経歴とは裏腹に、ファンを大切に考えており、揮毫を一枚一枚丁寧に書く事を心掛けていた[10] 。これは花村が「こちらはたくさん書いても、受け取る側は一枚一枚だから」と考えていたためであり[8] 、その心構えは弟子たちにも引き継がれている。
  • 「ものすごいヘビースモーカーだった」と弟子の森下が述懐するほどの愛煙家で、「自宅から将棋会館まで、電車で行くと禁煙で耐えられないから、タクシーを使っていた」という[10]
  • 酒は飲まず、下戸であった[11]
  • 競輪好きで、公式戦の対局中も盤側にスポーツ新聞を持ち込み、午前中や相手が長考に入ったときには競輪の検討をしていたほど。「勝負勘を鍛えるのは将棋が強くなるためにもいい」として、競輪以外のギャンブルも一通り嗜み、弟子にも推奨していた[8] 。ただし森下など、弟子によってはギャンブルを禁じる場合もあった[8] 。また競馬にはほとんど関心を示さなかったという[8]

弟子

[編集 ]

棋士となった弟子

[編集 ]
名前 四段昇段日 段位、主な活躍
吉田利勝 1957年10月1日 八段
池田修一 1969年4月1日 七段
野本虎次 1969年4月1日 八段
武者野勝巳 1979年3月22日 七段
森下卓 1983年9月21日 九段、タイトル挑戦6回、A級在籍10期、一般棋戦優勝8回
深浦康市 1991年10月1日 九段、王位3期、A級在籍7期、一般棋戦優勝10回
窪田義行 1994年4月1日 七段

(2023年4月1日現在)


プロとなった弟子は7人おり、弟子思いで有名だった。定跡を外した得意の戦法が大山にはまったく通用しなかったことから、弟子の中でも特に才能を見込んだ森下には正統派の将棋を手とり足取り教え込んだ[12] [13] 。将棋界で、師匠が弟子を文字通り技術指導するのは珍しい[14] 。また、早くから親元を離れて上京した弟子の学校生活を気にするといった、優しい師匠であった。

花村門下で悲願だったタイトルは、その後、深浦が獲得する。

昇段履歴

[編集 ]
昇段規定については「将棋の段級」を参照
  • 1944年00月00日 : 五段(異例のプロ編入試験に合格)
  • 1948年04月01日 : 六段
  • 1950年04月01日 : 七段(当時の順位戦B級昇級)
  • 1952年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級)
  • 1976年04月20日 : 贈九段(将棋会館落成式表彰)
  • 1985年05月25日 : 現役のまま死去

成績

[編集 ]

タイトル戦登場

[編集 ]
挑戦4、獲得0

棋戦優勝

[編集 ]

将棋大賞

[編集 ]
  • 第5回(1977年度) 敢闘賞

在籍クラス

[編集 ]
竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[15]
(出典)竜王戦
出典[16]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1946 1 C116 7-7
1947 2 C119 7-5
1948 3 C1 2-2
1949 4 C1 8-0
1950 5 B1 7-5 第2期九段戦 予選敗退
1951 6 B107 10-2 第3期九段戦 二次予選敗退
1952 7 A07 4-4 第4期九段戦 番勝負敗退
1953 8 A06 6-4 第5期九段戦 本戦敗退
1954 9 A04 5-3 第6期九段戦 番勝負敗退
1955 10  A04  10-3 第7期九段戦 本戦敗退
1956 11 A01 5-4 第8期九段戦 本戦敗退
1957 12 A04 3-6 第9期九段戦 本戦敗退
1958 13 A08 1-8 第10期九段戦 本戦敗退
1959 14 B102 8-4 第11期九段戦 三次予選敗退
1960 15 A09 5-4 第12期九段戦 本戦敗退
1961 16 A06 4-5 第1期十段戦 三次予選敗退
1962 17 A05 3-7 第2期十段戦 二次予選敗退
1963 18 B102 6-5 第3期十段戦 二次予選敗退
1964 19 B104 6-8 第4期十段戦 二次予選敗退
1965 20 B109 10-3 第5期十段戦 三次予選敗退
1966 21 A10 4-4 第6期十段戦 三次予選敗退
1967 22 A07 4-5 第7期十段戦 三次予選敗退
1968 23 A06 4-6 第8期十段戦 三次予選敗退
1969 24 A07 4-4 第9期十段戦 三次予選敗退
1970 25 A05 1-7 第10期十段戦 三次予選敗退
1971 26 B101 4-4 第11期十段戦 二次予選敗退
1972 27 B103 4-7 第12期十段戦 三次予選敗退
1973 28 B110 5-8 第13期十段戦 二次予選敗退
1974 29 B111 6-7 第14期十段戦 二次予選敗退
1975 30 B107 7-6 第15期十段戦 二次予選敗退
1976 主催者移行問題により中止 第16期十段戦 予選敗退
1977 36 B105 8-3 第17期十段戦 予選敗退
1978 37 A10 3-6 第18期十段戦 予選敗退
1979 38 B102 3-9 第19期十段戦 予選敗退
1980 39 B201 6-4 第20期十段戦 予選敗退
1981 40 B206 5-5 第21期十段戦 予選敗退
1982 41 B209 6-4 第22期十段戦 予選敗退
1983 42 B207 2-8 第23期十段戦 予選敗退
1984 43 B221 5-5 第42期十段戦 予選敗退
1985 44 B213 休場 1985年5月25日 死去
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

[編集 ]
[icon]
この節の加筆が望まれています。 (2024年9月)
公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1946 0. [17]
1947 0. [18]
1948 0. [19]
1949 0. [20]
1950 0. [21]
1946-1950
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1951 0. [22]
1952 0. [23]
1953 0. [24]
1954 0. [25]
1955 0. [26]
1956 0. [27]
1957 0. [28]
1958 0. [29]
1959 0. [30]
1960 0. [31]
1951-1960
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1961 0. [32]
1962 0. [33]
1963 0. [34]
1964 0. [35]
1965 0. [36]
1966 0. [37]
1967 0. [38]
1968 0. [39]
1969 0. [40]
1970 0. [41]
1961-1970
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1971 0. [42]
1972 0. [43]
1973 0. [44]
1974 0. [45]
1975 0. [46]
1976 0. [47]
1977 0. [48]
1978 0. [49]
1979 0. [50]
1980 0. [51]
1971-1980
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1981 0. [52]
1982 0. [53]
1983 0. [54]
1984 0. [55]
1985 0. [56]
1981-1985
(小計)
通算 1227 626 601 0.5102
1985年5月20日死去

その他表彰

[編集 ]

著書

[編集 ]
  • 将棋入門シリーズ 5 将棋実力テスト 花村 元司 (著), 升田 幸三 (著) 鶴書房, 1960
  • 新将棋入門 「鬼手」と「妙手」の徹底的練習 日本文芸社 1968
  • よくわかる駒落ち 花村元司 著 東京書店 1970 (将棋初心者講座 ; 7)
  • 花村実戦教室 花村元司 著 日本将棋連盟 1973
  • 花村流実戦将棋 : 鬼手・妙手入門 花村元司 著 土屋書店 1976
  • 日本将棋大系 4 二代伊藤宗印・三代大橋宗与 / 花村元司 著, 筑摩書房 1979
  • ひっかけ将棋入門 : たちまち強くなる 花村元司 著 ベストセラーズ 1979 (ワニの本. ベストセラーシリーズ)
  • すぐに役立つ将棋・棋力テスト 花村元司 著 棋苑図書 1989
  • よくわかる駒落ち 花村元司 著 東京書店 2001
  • 鬼の花村・将棋指南 花村元司 著 日本将棋連盟 2012 (将棋連盟文庫)
    • 「花村実戦教室」と「ひっかけ将棋入門」の合本

参考文献

[編集 ]
  • 鈴木啓志『東海の鬼 花村元司伝』日本将棋連盟、2012年。ISBN 978-4-8399-4203-8 
  • 東海の鬼 花村元司九段棋魂永遠記(1986年、花村京子・一門による私家版)

脚注

[編集 ]

注釈

[編集 ]
  1. ^ なお日本将棋連盟傘下の機関に在籍せずプロ入りした将棋棋士では、この2人のほかに日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属からプロ入りした女流棋士の渡部愛がいる。
  2. ^ この後、プロ棋士には奨励会を経ることが制度化されたこともあり、2005年の瀬川晶司までアマからプロへの編入は行われなかった。真剣師からプロ棋士への打診は1980年代における小池重明の例があるが、小池の素行不良を理由に最終的には試験自体が取りやめとなった。なお、花村は1981年に小池と対局して勝利している。瀬川の件を受けて翌2006年からプロ編入制度が設けられたものの、瀬川を含め受験資格を得たのは奨励会退会者だけであったが、2023年には奨励会未経験者の小山怜央が、編入試験で3勝1敗の成績を挙げ、花村以来79年ぶりに奨励会在籍経験なしでプロ棋士となった。
  3. ^ 木村は翌1986年に死去した。

出典

[編集 ]
  1. ^ 「東海の鬼 花村元司伝」pp.50-51
  2. ^ 「花村流実戦教室」P.209
  3. ^ 「花村流実戦教室」P.210
  4. ^ 「東海の鬼 花村元司伝」pp.70-73
  5. ^ 「東海の鬼 花村元司伝」pp.73-74
  6. ^ a b 「花村流実戦教室」P.211
  7. ^ 「東海の鬼 花村元司伝」p.93
  8. ^ a b c d e f ""賭け将棋の鬼"からプロに...「命と引き換えなら安いもんじゃ」"元奨励会の筆者"とベテラン棋士が知る元真剣師・花村元司の意外な素顔(片山良三)". Number Web - ナンバー. 2024年9月8日閲覧。
  9. ^ "森下卓九段にインタビュー。師匠花村元司九段の知られざる魅力について聞いてみた(2)|将棋コラム|日本将棋連盟". www.shogi.or.jp. 2024年9月8日閲覧。
  10. ^ a b "森下卓九段にインタビュー(3)師匠花村九段が、電車を使わなかった驚きのワケとは?|将棋コラム|日本将棋連盟". www.shogi.or.jp. 2024年9月8日閲覧。
  11. ^ 山田史生「将棋名勝負の全秘話全実話」(講談社アルファ文庫)P.137
  12. ^ "1000局もの指導対局で培った直感力。森下卓九段に聞いた、師匠花村元司九段との思い出(1)|将棋コラム|日本将棋連盟". www.shogi.or.jp. 2024年9月8日閲覧。
  13. ^ "asahi.com :第24回朝日オープン将棋選手権本戦第13局 - 将棋". www.asahi.com. 2024年9月8日閲覧。
  14. ^ "アマは「棋楽」、プロは「棋魂」......花村元司九段の教え | NHKテキストビュー". web.archive.org (2014年12月27日). 2024年9月8日閲覧。
  15. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  16. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
  17. ^ [1] [名無しリンク ]
  18. ^ [2] [名無しリンク ]
  19. ^ [3] [名無しリンク ]
  20. ^ [4] [名無しリンク ]
  21. ^ [5] [名無しリンク ]
  22. ^ [6] [名無しリンク ]
  23. ^ [7] [名無しリンク ]
  24. ^ [8] [名無しリンク ]
  25. ^ [9] [名無しリンク ]
  26. ^ [10] [名無しリンク ]
  27. ^ [11] [名無しリンク ]
  28. ^ [12] [名無しリンク ]
  29. ^ [13] [名無しリンク ]
  30. ^ [14] [名無しリンク ]
  31. ^ [15] [名無しリンク ]
  32. ^ [16] [名無しリンク ]
  33. ^ [17] [名無しリンク ]
  34. ^ [18] [名無しリンク ]
  35. ^ [19] [名無しリンク ]
  36. ^ [20] [名無しリンク ]
  37. ^ [21] [名無しリンク ]
  38. ^ [22] [名無しリンク ]
  39. ^ [23] [名無しリンク ]
  40. ^ [24] [名無しリンク ]
  41. ^ [25] [名無しリンク ]
  42. ^ [26] [名無しリンク ]
  43. ^ [27] [名無しリンク ]
  44. ^ [28] [名無しリンク ]
  45. ^ [29] [名無しリンク ]
  46. ^ [30] [名無しリンク ]
  47. ^ [31] [名無しリンク ]
  48. ^ [32] [名無しリンク ]
  49. ^ [33] [名無しリンク ]
  50. ^ [34] [名無しリンク ]
  51. ^ [35] [名無しリンク ]
  52. ^ [36] [名無しリンク ]
  53. ^ [37] [名無しリンク ]
  54. ^ [38] [名無しリンク ]
  55. ^ [39] [名無しリンク ]
  56. ^ [40] [名無しリンク ]

関連項目

[編集 ]

外部リンク

[編集 ]
日本将棋連盟所属 引退棋士および退会者
1930年代
引退者
1940年代
引退者
1950年代
引退者
1960年代
引退者
1970年代
引退者
1980年代
引退者
1990年代
引退者
2000年代
引退者
2010年代
引退者
2020年代
引退者
退会者

引退棋士 全168名(日本将棋連盟所属、棋士番号割当者〈(注記)番号なし、人数に含めず〉、うち故人101〈下線表記〉)、退会者2名。
詳細は将棋棋士一覧を参照
 
将棋大賞
東京記者会賞 受賞 1回
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
第8回(1982年)より創設
敢闘賞(旧) 受賞 1回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
第32回(2005年)で廃止、第33回(2006年)より新たな敢闘賞を創設。前年度の活躍が対象。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /