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芝田稔

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(2024年4月)

芝田 稔(しばた みのる、1916年大正5年〉12月12日 - 2007年平成19年〉2月10日 [1] )は、日本の中国語学者。関西大学名誉教授。

生涯

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大阪府 南河内郡 長野町(現・河内長野市)出身。北京大学文学院国文学系卒業。関西大学文学部助教授、教授。1989年定年、名誉教授。

子供は二男二女、長男は芝田啓治(元教員、元河内長野市長)[2]

著書

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共著

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翻訳

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  • 『湖北秋収暴動経過の報告 中国共産党史研究の一資料』(三上諦聴石川忠雄共訳 関西大学東西学術研究所 1961年)
  • 『第四次全国労働代表大会に提出せる上海総工会の報告書 中国共産党史研究の一資料』(石川忠雄、三上諦聴共訳 関西大学東西学術研究所 1962年)
  • 中国共産党編『1922年より1926年にいたる中国共産党五年来の政治主張 中国共産党史研究の一資料』(三上諦聴、石川忠雄共訳 関西大学東西学術研究所 1963年)
  • 海燕編『抗日軍政大学の動態 中国共産党史研究の一資料』(三上諦聴、石川忠雄共訳 関西大学東西学術研究所 1965年)
  • 黄峯編『中国第八路軍行軍記 中国共産党史研究の一資料』(三上諦聴共訳註 関西大学東西学術研究所 1971年)
  • 馮玉忠編『中国現代史 革命と建設の基本問題』(鳥井克之共訳 関西大学東西学術研究所 1987年)

脚注

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  1. ^ 芝田稔氏死去」『47NEWS共同通信社、2007年2月10日。オリジナルの2015年1月23日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ 『現代日本人名録』

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