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漢丹線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
漢丹線
基本情報
駅数 45
運営者 中国鉄路総公司
路線諸元
路線距離 416 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 交流25kV 架空電車線方式
(漢西/漢口〜老河口東間)
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漢丹線
各種表記
繁体字: 漢丹鐵路
簡体字: 汉丹铁路
拼音: Hàndān tiělù
発音: ハンダン ティエルー
英文: Handan Railway
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漢丹線(かんたんせん)は湖北省武漢市から丹江口市を結ぶ中国国鉄鉄道路線である。

概要

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京広線の漢西駅から北西へ向かい、随州市を経て襄陽市(元襄樊市)で焦柳線と交差し、老河口東から丹江口市へ至る路線である。襄樊〜老河口東(元莫家営)間は襄渝線と共用であり、武漢〜襄樊間は襄渝線と併せて武漢と重慶を結ぶ幹線である。漢西/漢口〜老河口東間が複線 電化され、老河口東〜丹江間は単線非電化で、全線416km(漢西〜丹江間[1] )が武漢鉄路局管轄である[2]

歴史

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開通まで

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1958年9月に湖北省委員会は漢口丹江口間に地方鉄路を作る事に決定し、漢丹鉄路修建指揮部を成立させ、10月に東西両端から着工した[3] 1959年5月には民工が農繁期に入ったのと資金不足から東側の武漢〜襄樊間は工事を中断した[3] 。西側の襄樊〜丹江口間は工事を継続し、1960年 6月1日に開通した[3] 。1960年2月に資金と人手を集めて東側の工事を再開し、年末には路盤まで建設した[3] 。1961年11月には随県まで、1962年3月には唐県鎮まで建設されたが、残りの唐県鎮〜襄樊間は再び工事を中止した[3] 。1963年1月に東側は湖北省地方鉄路から国営に移管し、1965年3月に残りの区間を着工、10月には線路が敷設されて全線開通した[3] 1966年 1月1日に開通式典が行われ、襄樊〜丹江口間も国営に移管した[3]

開通後

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1973年 10月19日に襄渝線が全線開通し[4] 1978年 6月1日に正式営業開始した[5] 2002年9月に単線のまま最高速を時速140kmと速度向上させた[6] 2004年12月に武漢〜襄樊間を、2005年 7月6日に襄樊〜老河口東間の複線化工事を着工した[7] 2007年 1月28日に漢口〜新溝間が複線化された[8] 2008年 8月11日に隔蒲〜雲夢間が、8月27日に棗陽〜琚湾間が複線化された[9] 2009年6月に武漢〜襄樊間全線が複線化され[6] 7月28日に武漢〜襄樊間の電化が完成し[10] 10月31日には襄渝線の複線電化に伴い襄樊〜老河口東間が複線電化された[11] 2010年 9月13日に武漢〜襄樊間全線の踏切が全て立体化された[6] 。老河口東〜丹江間は2000年に旅客輸送を停止し、貨物輸送のみ行っていたが、複線電化する計画がある[12]

接続路線

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駅一覧

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出典

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「八縦八横」
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沿海通道
支線
京滬通道
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支線2
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黄岡経由
支線
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京哈〜京港澳通道
支線

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大同経由

張呼高速鉄道 | 集大原高速鉄道 (ウランチャブ-原平西間)

洛陽経由
京昆通道
支線
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銀海線
蘭(西)広通道
西広線
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京蘭通道
青銀通道
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沿江通道
九江経由
襄陽経由
達州経由
滬昆通道
廈渝通道
広昆通道
「四縦四横」
旅客専用線
京哈旅客専用線
京滬旅客専用線
(京哈-京滬連絡線)
杭福深旅客専用線
(東南沿海旅客専用線)
京港旅客専用線
滬漢蓉旅客専用線
青太旅客専用線
徐蘭旅客専用線
滬昆旅客専用線
都市間鉄道
300 - 350 km/h
200 - 250 km/h
西部開発の
ための新線
海峡西岸線
京台高速鉄道
昆台高速鉄道
高速化改良
在来線
動車組
和諧号
復興号
 
その他の車両

DJJ1(藍箭) | DJJ2(中華之星)

1:運営最高速度は160キロ
注1:太字は高速鉄道。斜体は旧称・通称または未成線。打ち消し線があるものは廃止。


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