コンテンツにスキップ
Wikipedia

清水良策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月)
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています ご存知の方は加筆をお願いします。(2020年5月)

清水 良策(しみず りょうさく、1893年 2月27日 - 1989年 9月7日)は、日本の内務 官僚実業家県知事川崎重工業 取締役

経歴

[編集 ]

現在の石川県 七尾市出身。清水栄蔵の二男として生まれる。第四高等学校を経て、1916年京都帝国大学 法科大学政治科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り京都府属となる。

以後、京都府理事官栃木県学務部長、内務事務官、内務省土木局道路課長、同港湾課長、静岡県 書記官・内務部長などを歴任。

1932年6月、和歌山県知事に就任。1934年11月に退任し、満州国民政部総務司長に転じた。1936年6月、徳島県知事となり、次いで、宮城県知事に異動。1940年4月、宮城県知事を辞任して退官し、川崎重工業取締役に就任し、1946年まで在任。

戦後、1947年健康保険組合連合会長に就任。その他、川崎重工業顧問、新潟臨港海陸運送監査役、日宝蛭石取締役、兵庫県医療信用組合 理事、兵庫県社会保健医療協議会長などを務めた。1953年第3回参議院議員通常選挙全国区から無所属で立候補したが落選した[1]

1989年9月7日死去。享年96。

栄典

[編集 ]

脚注

[編集 ]
  1. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』544頁。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集 ]
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 日外アソシエーツ編『現代物故者事典 1988〜1990』日外アソシエーツ、1993年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。


官選
第一次徳島県
(-1876)
徳島県大参事
名東県権令
高知県令
第二次徳島県
(1880-)
県令
知事
公選
カテゴリ カテゴリ
官選
参事
県令
知事
公選
カテゴリ カテゴリ

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /