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毛利就言

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毛利 就言(もうり なりこと、宝暦4年9月26日(1754年 11月10日)[1] - 安永5年8月23日(1776年 10月5日))は、長州藩一門家老である大野毛利家の6代当主。

父は毛利広圓。母は毛利政苗の娘(毛利重就猶子)。子は毛利親頼。幼名は武次郎。通称は彦次郎。元服時に藩主の毛利重就より偏諱を受け就言と名乗る。

生涯

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宝暦4年(1754年)、長州藩一門家老大野毛利家5代広圓の長男として生まれる。明和7年(1770年)、広圓の死去により家督を相続する。しかし、7年も経たない頃の安永5年(1776年)8月23日に没し、大照院境内に埋葬された。法名は大要院三應了玄。享年23と若くしての死去であったが、嗣子はおり、幼少の嫡男・安次郎(のちの親頼)が家督を相続している。母は享和3年(1803年)に没している。

脚注

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  1. ^ 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.93。

参考文献

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安土桃山時代まで
江戸時代
明治以降

分家・支流

徳山家
長府家
清末家
右田家
厚狭家
吉敷家
阿川家
大野家
五郎男爵家

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