大照院
この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です。
審議の結果、該当する投稿以降の全ての版またはこのページ全体(すべての版)が削除される可能性があります。問題箇所の適切な差し戻しが行われていれば、削除の範囲は問題版から差し戻し直前の版までとなる可能性もあります。適切な差し戻しが行われていないと考えられる場合は、この版の編集や引用はしないでください。著作権上問題のない自分の投稿内容が削除される可能性のある方は、早めに控えを取っておいてください(詳しくはこちらの解説をお読みください)。
該当する投稿をされた方へ: ウィキペディアでは、著作権上問題のない投稿のみを受け付けることになっています。他人の著作物を使うときをお読み頂いた上で、審議にご協力をお願いします。自分の著作物を投稿されていた場合は削除依頼を出されたらをご覧ください。
審議が終わるまで、このお知らせを除去しないでください。
(以下、著作権侵害の可能性がある箇所を取り除いた内容を暫定的に表示します。)大照院 | |
---|---|
所在地 | 山口県 萩市椿4132 |
位置 | 北緯34度23分43.5秒 東経131度23分8.9秒 / 北緯34.395417度 東経131.385806度 / 34.395417; 131.385806 座標: 北緯34度23分43.5秒 東経131度23分8.9秒 / 北緯34.395417度 東経131.385806度 / 34.395417; 131.385806 |
山号 | 霊椿山 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 南禅寺派 |
創建年 | 明暦2年 |
開基 | 毛利綱広 |
札所等 | 中国三十三観音霊場第20番 |
文化財 |
本堂、鐘楼門、庫裏、書院、経蔵、木造赤童子立像(重要文化財) 萩藩主毛利家墓所(国の史跡) |
公式サイト | 大照院 |
法人番号 | 2250005004424 ウィキデータを編集 |
大照院の位置(山口県内) 大照院 | |
テンプレートを表示 |
大照院(だいしょういん)は、山口県 萩市にある臨済宗南禅寺派の寺院である。中国三十三観音霊場第二十番。
歴史
[編集 ]延暦年間(8世紀末 - 9世紀初)に月輪山観音寺という前身寺院があったというが、創建の事情は定かでない。その後鎌倉時代末期に建長寺の義翁和尚が大椿山歓喜寺と改め、臨済宗の寺院とした。その後荒廃したが、萩藩2代藩主毛利綱広が亡父の初代藩主秀就の菩提寺とするために承応3年(1654年)から明暦2年(1656年)にかけて再建し、その時秀就の法号にちなんで霊椿山大照院と改めた。
寺は延享4年(1747年)に火災に遭い、現存する本堂等は、その後6代藩主宗広によって再建されたものである。
境内の萩藩主毛利家墓所は国の史跡で、初代(萩での藩主の代数は輝元を初代とせず、秀就を初代として数えている)秀就、2代綱広、4代吉広、6代宗広、8代治親、10代斉煕、12代斉広と2代から12代までの偶数代の藩主と夫人や藩士の墓石があり、墓前には藩士が寄進した石灯籠が600数基ある。
ちなみに奇数代の藩主の廟所は萩市内の黄檗宗寺院東光寺にあり、秀就の父輝元の廟所は萩市の天樹院跡にある。
文化財
[編集 ]重要文化財(国指定)
[編集 ]- 本堂 - 入母屋造、桟瓦葺きの方丈形式の仏堂。延享4年(1747年)の火災後、寛延3年(1750年)頃までに再建された。鐘楼門、庫裏、書院も同じ頃の建築である。
- 鐘楼門 - 江戸時代中期(1750年)の建立。三間一戸二階二重門、入母屋造、桟瓦葺。平成14年(2002年)5月23日指定。
- 庫裏 - 江戸時代中期(1750年)頃の建立。桁行18.1m、梁間18.0m、一重、切妻造、妻入、南面・西面下屋付、東面庇・南面渡廊下及び便所・北面庇・西面便所各附属、本瓦及び桟瓦葺、東面突出部 桁行4.0m、梁間4.0m、入母屋造。平成14年(2002年)5月23日指定。
- 書院 - 江戸時代中期(1750年)頃の建立。桁行21.9m、梁間22.7m、一重、丁字形東面入母屋造、西面寄棟造、北面切妻造、西面北端便所附属、南面東端廊下附属、桟瓦葺。平成14年(2002年)5月23日指定。
- 経蔵 - 江戸時代後期(1755年)の建立。土蔵造、正面6.2m、側面6.2m、一重、宝形蔵、向拝一間、桟瓦葺、八角輪蔵付、北面及び西面張出し附属。平成14年(2002年)5月23日指定。
- 木造赤童子立像 - 南北朝時代の作品。明治35年(1902年)7月31日指定。
国の史跡
[編集 ]所在地
[編集 ]- 山口県萩市椿4132
拝観
[編集 ]- 4 - 11月 8 - 17時
- 12 - 3月 8 - 16時30分
拝観料 200円