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島津忠栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、永吉島津家当主について説明しています。薩州家当主の島津義虎の子については「島津忠栄 (薩州家)」をご覧ください。
 
島津忠栄
時代 江戸時代前期
生誕 慶長2年(1597年)
死没 寛永元年2月17日(1624年 4月4日)
別名 三郎四郎(通称)、中務大輔(受領名)
戒名 貴宗公胤大禅定門
主君 島津家久
薩摩藩永吉領主
氏族 喜入氏島津氏(永吉島津家)
父母 父:喜入忠続、母:伊集院久治の娘
養父:島津豊久
兄弟 忠栄喜入忠高
正室:島津忠仍の娘
養子:久雄
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島津 忠栄(しまづ ただなが)は、江戸時代前期の薩摩藩士で、永吉島津家当主。

生涯

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喜入忠続の嫡男として誕生した。しかし、関ヶ原の戦いにて島津豊久が嗣子の無いまま討ち死にし、慶長9年(1604年)にその跡目を継ぐように命じられた豊久実弟の忠仍も病身を理由に相続を辞退したことから、忠栄が忠仍の娘婿、同時に島津豊久の養子扱いとして永吉島津家を相続することとなった。

寛永元年(1624年)に早世した。享年28。跡目は当主・家久の9男である久雄が養子として継いだ。

また、忠栄の妻も、忠栄の死から9日後の2月26日に早世している(享年28。法名「香春妙薫大姉」)。

参考文献

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  • 本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)
丸に十字紋 永吉島津家第3代当主(1604年 - 1624年)島津十文字紋
宗家

忠久 ????-1227 | 忠時 1227-1265 | 久経 1265-1284 | 忠宗 1284-1318 | 貞久 1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂

総州家

師久 1363-1376 | 伊久 1376-1404 | 守久 1404-???? | 久世 ????-1417 | 久林 1417-1430 | 断絶

奥州家

氏久 1363-1387 | 元久 1387-1411 | 久豊 1411-1425 | 忠国 1425-1470 | 立久 1470-1474 | 忠昌 1474-1508 | 忠治 1508-1515 | 忠隆 1515-1519 | 勝久 1519-1526 | 貴久 1526-1566 | 義久 1566-1587 | 義弘 1587-1602 | 家久 1602-1638 | 光久 1638-1687 | 綱貴 1687-1704 | 吉貴 1704-1721 | 継豊 1721-1746 | 宗信 1746-1749 | 重年 1749-1755 | 重豪 1755-1787 | 斉宣 1787-1809 | 斉興 1809-1851 | 斉彬 1851-1858 | 忠義 1858-1897 | 忠重 1897-1968 | 忠秀 1968-1996 | 修久 1996-現在

分家・支流

越前家
播磨家
伊作家

久長 1281-1317 | 宗久 1317-1354 | 親忠 1354-1371 | 久義 1371-1422 | 勝久 1422-1433 | 教久 1433-1442 | 犬安丸 1442-1458 | 久逸 1458-???? | 善久 ????-1494 | 忠良 1494-1526 | 相州家相続

薩州家

用久 ????-1459 | 国久 1459-1498 | 成久 1498-???? | 忠興 ????-1525 | 実久 1525-1553 | 義虎 1553-1585 | 忠辰 1585-1595 | 断絶

相州家
垂水家
豊州家
玉里家

久光 1871-1887 | 忠済 1888-1915 | 忠承 1915-1990 | 忠広 1990-現在

加治木家
佐土原家

忠興 1610-1637 | 久雄 1637-1663 | 忠高 1663-1676 | 久寿 1676-1690 | 惟久 1690-1723 | 忠雅 1723-1753 | 久柄 1753-1785 | 忠持 1785-1816 | 忠徹 1816-1839 | 忠寛 1839-1896 | 忠亮 1896-1909 | 忠麿 1909-1926 | 久範 1926-1944 | 忠韶 1944-1973 | 忠範 1973-現在

重富家
和泉家→
今和泉家
宮之城家
永吉家
日置家
北郷氏
都城家
佐多氏
知覧家

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