コンテンツにスキップ
Wikipedia

小野義一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月)
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています ご存知の方は加筆をお願いします。(2020年5月)
小野義一

小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵 官僚政治家大蔵次官衆議院議員東京市 助役

経歴

[編集 ]

高知県出身。小野義為の長男として生まれる。高知一中東京府立四中を経て、1898年7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年7月、東京帝国大学 法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎上杉慎吉馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった[1]

1906年11月、煙草専売局 事務官に就任。以後、樺太民政署事務官兼大蔵書記官、大蔵省参事官専売局製造部調査課長、同官房調査課長、大蔵省大臣官房会計課長、兼大蔵大臣 秘書官、兼日本興業銀行監理官、大阪税関長、神戸税関長、大蔵省銀行局長、同理財局長などを歴任し、1924年1月に退官。

1924年5月、第15回衆議院議員総選挙に高知県第五区から出馬し当選。同年6月、大蔵次官に政治任用され、同年8月まで在任した。1928年1月、東京市助役に就任し、1929年2月まで在任。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で高知県第二区に翼賛政治体制協議会推薦(旧立憲民政党)で出馬し当選。のち、日本進歩党に所属し、衆議院議員を通算二期務めた。戦後1947年公職追放となった。

その他、鉄道会議議員、拓殖大学 教授を務めた。

栄典

[編集 ]

親族

[編集 ]

脚注

[編集 ]
  1. ^ 『馬場鍈一伝』(青木信光編、故馬場鍈一氏記念会、1945年) P31
  2. ^ 『官報』第7159号・付録「叙任及辞令」1907年5月14日。
  3. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  4. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。

参考文献

[編集 ]
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年、p50-51。
大蔵次官
大蔵総務長官
大蔵次官
大蔵事務次官
財務事務次官
1949年6月1日、大蔵次官から大蔵事務次官に改称。2001年1月6日、大蔵事務次官から財務事務次官に改称。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /