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小島七郎

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小島七郎

小島 七郎(こじま しちろう、1883年(明治16年)2月5日1930年(昭和5年)3月5日)は、衆議院議員(憲政会)、弁護士

経歴

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山口県 吉敷郡 山口町(現在の山口市)出身。1913年(大正元年)、東京帝国大学 法科大学を卒業。ハルビンで西伯利亜新聞社の社長となり、さらに東京通信社の理事を務めた。

牛込区会議員、同議長、東京市会議員を経て、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。その後、東京市会議長に就任した。

その他に関東醸造株式会社取締役、哈爾浜取引所監査役などを務めた。墓所は多磨霊園

栄典

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脚注

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  1. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。 


東京府会議長
府県会規則施行下
府県制施行後
東京市会議長
東京都議会議長
東京都制施行下
地方自治法施行後

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