安芸津港
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安芸津港 | |
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安芸津港 | |
所在地 | |
国 | 日本の旗 日本 |
所在地 | 広島県 東広島市 安芸津町三津 |
座標 | 北緯34度19分0.7秒 東経132度49分5.6秒 / 北緯34.316861度 東経132.818222度 / 34.316861; 132.818222 座標: 北緯34度19分0.7秒 東経132度49分5.6秒 / 北緯34.316861度 東経132.818222度 / 34.316861; 132.818222 |
詳細 | |
開港 | 1951年 |
管理者 | 東広島市 |
種類 | 地方港湾 |
この表について
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安芸津港(あきつこう)は、広島県 東広島市 安芸津町三津にある港湾。港湾管理者は東広島市。地方港湾 [1] 。
歴史
[編集 ]風早の浦
[編集 ]古代8世紀頃、大和朝廷が畿内と大宰府を結ぶ海路を整備し、瀬戸内海に幾つか港が出来た[2] 。その際にこの地には「風早の浦」という港が整備された[3] 。この港の名が書かれたものに、万葉集の中に遣新羅使の中にいた一人が読んだ歌がある。
わが故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり — 読人しらず、[3]
沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 嘆きの霧に 飽かましものを — 読人しらず、[3]
立ち込める風速の浦の霧を別れを嘆く妻の発するため息と重ねあわせ、その溜息の霧を身にまといたいという、作者の妻への思いを詠んだ歌である[3] 。祝詞山神社にはこの歌碑が建立されている[4] 。
現在、安芸津町風早やJR呉線風早駅など地名として残っている。その裏山にあたる保野山では毎年秋期に「万葉火」が焚かれる[5] 。
安芸津港
[編集 ]1951年に三津港として港湾指定を受け、1952年から広島県が管理者となり、2009年 4月1日から東広島市が管理権限を譲り受けた[1] [6] 。
2023年度から東広島市によるリニューアル工事が本格化し、緊急補修に着手するほか、バリアフリー化なども図られる[7] 。
航路
[編集 ]アクセス
[編集 ]- JR呉線 安芸津駅から約200メートル(広駅方面 / 三原駅方面 観光列車etSETOraも停車)
- 芸陽バス[8] 安芸津駅 バス停 安芸津-西条線(JR山陽新幹線 東広島駅・JR山陽本線 西条駅・近畿大学方面)
- 東広島市コミュニティバス 安芸津 海風バス[9] 安芸津駅 バス停
- 国道185号(呉市方面 / 竹原市・三原市方面)
- 広島県道32号安芸津下三永線(東広島呉自動車道 下三永福本IC、山陽新幹線 東広島駅、国道2号 西条バイパス方面)
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b 港湾管理者一覧表(平成23年4月1日現在) (PDF) - 国土交通省港湾局
- ^ "瀬戸内海の歴史". 瀬戸内海・海の路ネットワーク推進協議会. 2015年10月31日閲覧。
- ^ a b c d "万葉神事語辞典". 國學院大學. 2015年10月31日閲覧。
- ^ "歌碑と万葉陶壁(祝詞山八幡神社)". 東広島市. 2015年10月31日閲覧。
- ^ "風早の浦". ひろしま文化大百科. 2015年10月31日閲覧。
- ^ 『安芸津港 施設補修へ』中国新聞 2011年7月5日朝刊 26ページ(紙面)
"老朽の安芸津港、市が補修へ". 中国新聞 (2011年7月5日). 2011年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月5日閲覧。 - ^ 老朽化した安芸津港桟橋リニューアル本格化へ 東広島市、災害で陸路不通時に海上輸送担える港に 中国新聞、2023年7月7日
- ^ 路線のご案内 芸陽バス株式会社
- ^ 東広島市コミュニティバス 安芸津 海風バス 東広島市
関連項目
[編集 ]外部リンク
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