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佳子内親王 (後三条天皇皇女)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、後三条天皇第三皇女について説明しています。秋篠宮文仁親王第2女子については「佳子内親王」をご覧ください。
佳子内親王
続柄 後三条天皇第三皇女

全名 佳子(かし/よしこ)
称号 富小路斎院
身位 三品・内親王
出生 天喜5年(1057年)
死去 大治5年7月25日(1130年 8月30日)(享年74)
父親 後三条天皇
母親 藤原茂子
役職 賀茂斎院
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佳子内親王(かし/よしこないしんのう、天喜5年(1057年) - 大治5年7月25日(1130年 8月30日))は、平安時代後期の皇女、賀茂斎院後三条天皇の第3皇女で、母は滋野井御息所藤原茂子(藤原能信養女)。同母兄に白河天皇富小路斎院と呼ばれた。

生涯

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治暦4年(1068年)、父の後三条天皇の即位に伴い、8月14日に姉妹と共に内親王宣下を受ける。翌延久元年(1069年)6月に三品に叙され、同年10月賀茂斎院に卜定された。同年11月別封200戸を賜る。延久4年(1072年)7月病によって退下した。大治5年(1130年)7月25日、74歳で死去。

大雲寺に参籠し、境内の霊泉により精神病を治癒したと伝えられている。

参考文献

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外部リンク

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内親王(飛鳥時代 - 江戸時代)
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。
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