佐藤寛次
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佐藤 寛次(さとう かんじ、1879年 1月26日 - 1967年 5月31日)は、明治・大正期の農学者、農業教育者。農学博士。専攻は農業経済学。東京農業大学第3代学長。
経歴
[編集 ]米沢中学(現山形県立米沢興譲館高等学校)入学の年、富農の佐藤文太郎に見込まれて養子となり、近代農業の可能性を感得して農学を志し、1904年、東京帝国大学 農科大学を首席で卒業した。
帝国大学大学院で農業経済学研究のかたわら、全国農事会(帝国農会の前身)で加納久宜幹事長のもとに会誌『中央農事報』の編集に当たり、プラット『英国農業組織論』やピョートル『田園・工場・仕事場』などを紹介した[1] 。
佐藤の本領は教育家であって、東京帝国大学教授となり、定年退職するまで、農学者・横井時敬を継いで農学部附属農業教員養成所主事となった(1938年農学部長在任時には長與又郎総長の辞任後、後任の平賀譲総長就任まで総長事務取扱を務めた)。東大退職後は横井の育て上げた東京農業大学 学長兼理事長として農業教育の発展に尽くした。このほかに、大日本農会会長、帝国農会特別議員、日本農学会会長、農林中央金庫監事なども務めた。
また、『協同組合事典』の監修にも当たった。主著に『改訂信用組合論』『日本産業組合史』などがある。
栄典
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ 『中央農事報』は、1904年1月から「産業組合欄」を設け、1905年11月に大日本産業組合中央会が『産業中央会報』を創刊するまで、産業組合運動の機関誌の役目をつとめた。
- ^ 『官報』第2480号、「叙任及辞令」1935年04月12日。
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東京農業大学学長(第3代:1939年 - 1955年) | |
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育英黌長 | |
東京農学校長 ※(注記)1897-1901大日本農会附属 |
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東京高等農学校長 ※(注記)1901-1908大日本農会附属 | |
(旧制専門学校)東京農業大学長 |
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東京農業大学長 | |
筑波大学学長(東京農業教育専門学校長:1937年 - 1939年) (東京帝国大学農学部附属農業教員養成所主事:1926年 - 1937年) | |
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東京大学総長(東京帝国大学総長事務取扱:1938年) | ||||||||
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