コンテンツにスキップ
Wikipedia

仁粋大妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、実在の人物について説明しています。この人物を主人公としたテレビドラマについては「インス大妃」をご覧ください。
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"仁粋大妃" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2013年1月)
仁粋大妃
인수대비
朝鮮大妃
自身の陵墓である敬陵

称号 仁粋徽粛明懿昭恵王后(諡号)
出生 正統2年9月8日(1437年 10月7日)
李氏朝鮮 漢陽
死去 弘治17年4月27日( (1504年05月11日) 1504年 5月11日(66歳没))
李氏朝鮮
配偶者 懿敬世子
子女 月山大君
成宗
明淑公主
父親 韓確
母親 南陽洪氏
テンプレートを表示
仁粋大妃
各種表記
ハングル: 인수대비
漢字: 仁粹大妃
発音: インステビ
日本語読み: にんすいたいひ
テンプレートを表示

仁粋大妃(にんすいたいひ/インステビ、正統2年9月8日(1437年 10月7日) - 弘治17年4月27日(1504年 5月11日)、昭恵王后(しょうけいおうこう/ソヘワンフ、朝鮮語: 소혜왕후))は、李氏朝鮮第9代国王成宗の生母。本貫清州韓氏諡号仁粋徽粛明懿昭恵王后(にんすいきしゅくめいいしょうけいおうこう、朝鮮語: 인수휘숙명의소혜왕후)。従兄は韓致亨(かん ちきょう/ハン・チヒョン、1434年 - 1502年)。朝鮮史における稀有の女傑、もしくは鉄の女として知られる。

生涯

[編集 ]

清州韓氏の名士、韓確(かん かく、ハン・ファク、한확1403年 - 1456年、後に西原府院君襄節公)の末娘として漢城府に生まれた。

2人の叔母が永楽帝の側室、康恵荘淑麗妃韓氏(1388年? - 1424年)と宣徳帝の女官、恭慎夫人韓氏(1410年 - 1483年)であった。また、姉(桂陽君夫人韓氏生年不詳 - 1480年?)が世宗の2番目の庶子の桂陽君(けいようくん、ケヤングン、1427年 - 1464年)と結婚するなど、清州韓氏の一族は両国の王室と婚姻関係を結んでいた。 父の韓確も明との交渉を専門に担当した当時の外交官として、明からの寵愛を土台に出世街道を走った。

韓氏は幼少の頃から文才に優れ、朝鮮第4代国王世宗の孫であった桃源君に嫁いで2男1女をもうけ、舅の首陽大君(桃源君の父)が甥にあたる端宗から王位を奪って即位(世祖)し、夫が王世子(懿敬世子)になるのに伴い、景泰6年(1455年)に世子嬪になった。しかしその後、父の韓確と夫の懿敬世子が急病で立続けに逝去するとすぐに貞嬪(後に粋嬪)という名前を受け、宮廷を離れて生活することになった。

しかし、世祖の次男で懿敬世子の弟に当たる睿宗が即位後1年余りで薨去すると、睿宗の王子が幼少であったため、韓氏は韓明澮ら一部の世祖時代の勲旧派の家臣と手を組んで、次男の乽山君を王位に就かせた。成宗即位後、亡夫の懿敬世子が追尊を受け徳宗と称せられたのに伴い、成化7年(成宗2年、1471年)1月18日に韓氏も昭恵王后と追尊され、成化11年(成宗6年、1475年)2月27日には仁粋大妃となり、権力を掌握した。更に弘治7年(1494年)12月29日に成宗の第一王子・燕山君が即位すると大王大妃に昇格した。仁粋大妃は梵語、漢語、国語の三字体で婦女子の礼儀作法を教えるために『内訓』(ないくん、ネフン、내훈)を編纂し、これは後世貴重な研究資料となった。また仏教に帰依し信仰にも篤かった。

成宗の2番目の王妃であった尹氏と対立すると、仁粋大妃は嫉妬深いことを理由に尹氏を廃位させ死に追いやった。これが後に仁粋大妃の孫にして廃妃尹氏の王子、燕山君による大規模粛清事件(甲子士禍)を引き起こす原因となり、彼女自身も晩年は孫の燕山君と対立を深めて権力の座から追われる身となり、甲子士禍の発生した弘治17年(1504年(燕山君10年))5月に燕山君からの苛烈な虐待を受け、その数日後に数え年の68歳で薨去した。

仁粋大妃が葬られた敬陵(高陽市)

家族

[編集 ]
  • 父:靖難佐翼功臣 左議政 西原府院君 襄節公 韓確(1400年-1456年)
  • 母:南陽府夫人 南陽洪氏
  • 夫:懿敬世子

登場作品

[編集 ]

テレビドラマ

[編集 ]

映画

[編集 ]

出典・脚注

[編集 ]
  • 『王妃たちの朝鮮王朝』尹貞蘭・著、金容権・訳 日本評論社 2010年
先代
朝鮮王妃
在位:1471年 - 1475年(追尊) 次代
先代
貞熹王后 朝鮮大妃
在位:1475年 - 1494年(追尊) 次代
貞顕王后
太極旗 朝鮮王妃朝鮮国章
朝鮮
王妃
追尊王后
王大妃
大王大妃
大韓帝国
皇后
追尊皇后
皇太后
王妃一覧大妃・大王大妃一覧
太祖朝
  • 領門下府事趙浚(1395年2月1日-8.21)
定宗朝
  • 門下左政丞沈徳符(1399年12月1日-1400年3月14日)
  • 王世子靖安大君李芳遠(1400年3月14日-11.13)
太宗朝
  • 王世子李禔(1412年2月29日-1413年1月9日)
  • 領議政府事成石璘(1413年1月9日-2.15)
  • 王世子李祹(1418年7月1日-7.8)
  • 領議政府事韓尚敬(1418年7月8日-7.20)
世宗朝
  • 上王李芳遠(1418年9月9日-1422年5月10日)
  • 領議政府事柳廷顕(1422年5月10日-6.8)
  • 領議政府事黄喜(1432年2月29日-1433年5月7日)
  • 王世子李珦(1442年5月15日-1450年3月30日)
文宗朝
  • 領議政府事河演(1450年10月5日-1451年7月13日)
  • 敬寧君李裶(1451年7月13日-7.20)
  • 諴寧君李䄄(1451年7月20日-7.28)
  • 領議政府事皇甫仁(1452年2月29日-5.14)
端宗朝
  • 領議政府事皇甫仁(1452年5月14日-6.6)
  • 左議政府事金宗瑞(1452年6月6日-1453年10月10日)
  • 領議政府事・首陽大君李瑈(1453年10月10日-1455年6月30日)
世祖朝
  • 領議政府事姜孟卿(1460年2月15日-2.29)
  • 右議政康純(1467年9月25日-9.28)
  • 領議政崔恒(1467年9月28日-10.8)
睿宗朝
  • 龜城君李浚(1468年9月26日-1469年1月23日)
  • 領議政韓明澮(1469年1月23日-2.20)
成宗朝
燕山君朝
中宗朝
  • 左議政朴元宗(1506年9月24日-1507年1月8日)
  • 領議政柳洵(1507年1月8日-1509年9月27日)
  • 領議政朴元宗(1509年9月27日-1510年3月6日)
  • 領議政金寿童(1510年3月6日-1512年7月7日)
  • 領議政柳順汀(1512年10月7日-12.20)
  • 領議政成希顔(1513年4月2日-7.27)
  • 王世子李峼(1543年3月24日-1544年11月28日)
仁宗朝
明宗朝
宣祖朝
光海君朝
  • 王世子李祬(1619年11月8日-1620年1月8日)
  • 領議政朴承宗(1620年1月8日-2.29)
仁祖朝
  • 興安君李瑅(1624年2月18日-2.21)
  • 領議政李元翼(1624年2月21日-4.21)
  • 領議政金自点(1646年12月1日-1647年3月1日)
  • 王世子李淏(1647年3月1日-1649年6月17日)
孝宗朝
  • 領議政鄭太和(1653年5月22日-1654年9月6日)
顕宗朝
  • 領議政鄭太和(1659年6月28日-1660年2月29日)
粛宗朝
  • 領議政許積(1674年8月18日-10.23)
  • 左議政睦来善(1689年2月9日-2.16)
  • 領議政権大運(1689年2月16日-2.23)
  • 王世子李昀(1717年3月2日-1720年6月8日)
景宗朝
  • 領議政趙泰耉(1721年12月22日-1722年3月24日)
  • 王世子李昑(1717年3月2日-1720年6月8日)
英祖朝
  • 密豊君李坦(1728年4月8日-4.25)
  • 領議政李光佐(1728年4月25日-6.18)
  • 王世子李愃(1749年9月8日-1762年5月12日)
  • 領議政申晩(1762年5月12日-8.21)
  • 王世孫李祘(1775年2月8日-1776年3月5日)
正祖朝
  • 都承旨洪国栄(1776年3月5日-1779年9月26日)
  • 領議政金尚喆(1779年9月26日-9.29)
  • 領議政徐命善(1779年9月29日-1780年1月2日)
純祖朝
憲宗朝
哲宗朝
高宗朝
  • 神貞大妃豊壌趙氏(1863年12月8日-1864年1月13日)
  • 領議政金左根(1864年1月12日-1.16)
  • 興宣大院君李昰応(1864年1月16日-1866年2月13日)
  • 領議政趙斗淳(1866年2月13日-3.26)
  • 興宣大院君李昰応(1866年3月26日-4.13)
  • 領議政李景在(1866年4月13日-1867年5月18日)
  • 領議政金炳学(1867年5月18日-1869年4月11日)
  • 領議政鄭元容(1869年4月11日-4.21)
  • 興宣大院君李昰応(1869年4月21日-1872年11月16日)
  • 領議政李裕元(1873年11月16日-12.3)
  • 興寅君李最応(1881年9月28日-1882年1月13日)
  • 領議政洪淳穆(1882年8月29日-1883年6月7日)
  • 完興君李載冕(1883年6月7日-6.18)
  • 領議政金炳国(1884年5月25日-10.2)
  • 領議政沈舜沢(1884年10月21日-1885年1月9日)
  • 總理大臣金弘集(1894年6月25日-7.19)
  • 永宣君李埈鎔(1894年7月19日-7.27)
  • 王世子李坧(1894年8月28日-9.8)
  • 内部大臣朴定陽(1895年8月20日-10.8)
  • 興宣大院君李昰応(1895年10月8日-10.11)
  • 総理大臣金弘集(1895年10月11日-1896年2月11日)
  • 王世子李坧(1896年7月25日-12.2)
  • 総理大臣尹容善(1901年12月19日-1902年1月23日)
  • 総理大臣李根命(1895年10月11日-1896年2月11日)
  • 皇太子李坧(1906年1月1日-1.8)
  • 皇太子李坧(1906年2月1日-3.21)
  • 皇太子李坧(1906年10月12日-10.20)
  • 皇太子李坧(1907年1月19日-7.19)
純宗朝

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /