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ポール・チェンバース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・チェンバース
Paul Chambers
基本情報
出生名 Paul Laurence Dunbar Chambers Jr.
生誕 (1935年04月22日) 1935年 4月22日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 ピッツバーグ
死没 (1969年01月04日) 1969年 1月4日(33歳没)
ジャンル ジャズモダン・ジャズビバップハードバップ
職業 ベーシスト作曲家
担当楽器 ダブルベース
活動期間 1954年 - 1969年
レーベル ブルーノートプレスティッジヴァーヴリヴァーサイド
共同作業者 マイルス・デイヴィス・クインテット
ケニー・ドーハム・カルテット

ポール・チェンバース(Paul Chambers1935年 4月22日 - 1969年 1月4日)は、1950年代から1960年代にかけて活躍した、ジャズベーシスト

来歴

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アメリカ合衆国 ピッツバーグ生まれ、デトロイト育ち。10代からデトロイトで演奏していたが、最初はベースではなくチューバなどの管楽器を学んでいた。

1954年に単身ニューヨークへ行き、ジョージ・ウォーリントンのバンドに加入。その後、マイルス・デイヴィスのレギュラー・バンドに移る。1962年のバンドの解散後は、ウィントン・ケリーと約3年間活動し、その後はフリーとなる。

その他、ジョン・コルトレーンソニー・ロリンズバド・パウエルキャノンボール・アダレイといったジャズ・ジャイアンツをはじめとして、レッド・ガーランドドナルド・バードフレディ・ハバードジャッキー・マクリーンなど多くのミュージシャンとレコーディングを行っており、マイルス・デイヴィス・バンドの後輩ベーシースト、ロン・カーターと並んでサイドマンとしての活躍が名高い。自身のリーダー作も『ベース・オン・トップ』など数作をブルーノート・レコードに残している。

大量の飲酒や麻薬の常習者であったチェンバースは、1969年に肺結核で死去した。

サイドマンとして数々の共演をこなしたチェンバースであったが、マイルス・デイヴィスに始まるモード・ムーヴメントやオーネット・コールマンやジョン・コルトレーンのフリー・ジャズにはあまり興味を示さず、モダン・ジャズの本流とも言うべきオーソドックスなスタイルを生涯変えなかった。

プレイスタイル

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チェンバースのプレースタイルは、管楽器経験に根ざすとも言われるメロディックなベースラインに特徴がある。とかく、アルコ(弓弾き)やピチカートによるアドリブソロに注目が集まりがちであるが、4ビートのベースラインの評価も高い。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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→詳細は「en:Paul Chambers discography」を参照
  • 『チェンバース・ミュージック』 - Chambers' Music (1956年、Jazz: West)
  • 『ウィムス・オブ・チェンバース』 - Whims Of Chambers (1957年、Blue Note)
  • 『ベース・オン・トップ』 - Bass on Top (1957年、Blue Note)
  • 『ポール・チェンバース・クインテット』 - Paul Chambers Quintet (1958年、Blue Note)
  • 『ウィ・スリー』 - We Three (1959年、New Jazz) (注記)with ロイ・ヘインズフィニアス・ニューボーン
  • 『ゴー』 - Go (1959年、Vee-Jay)
  • 『ファースト・ベースマン』 - 1st Bassman (1960年、Vee-Jay)
  • Westlake Bounce The Music Of John Graas (2004年) (注記)1957年録音

参考

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この記事は英語版からの翻訳・転写を含みます(初稿:2005年5月6日 (金) 12:57)

外部リンク

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