フエアーウイン
フエアーウイン | |||
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品種 | サラブレッド | ||
性別 | 牡 | ||
毛色 | 栗毛 | ||
生誕 | 1959年 4月10日 | ||
死没 | 1973年(14歳没・旧15歳) | ||
父 | ゲイタイム | ||
母 | フェアハネー | ||
母の父 | フェアウェイ | ||
生国 | 日本の旗 日本(青森県 七戸町) | ||
生産者 | 濱中牧場 | ||
馬主 | 溝本儀三男 | ||
調教師 | 松山吉三郎(東京) | ||
競走成績 | |||
タイトル | 啓衆社賞最優秀4歳牡馬(1962年) | ||
生涯成績 | 20戦8勝 | ||
獲得賞金 | 1498万6650円 | ||
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フエアーウインは日本の競走馬。1962年の第29回東京優駿(日本ダービー)に優勝した。同年の啓衆社賞最優秀4歳牡馬。
経歴
[編集 ]1961年9月3日に東京でデビュー。2戦目をレコードタイムで勝ち上がると、以後は一般オープン競走を勝ち進み、4歳クラシック初戦の皐月賞までに8戦5勝2着2回という成績を収める。
皐月賞では、重賞未出走馬ながら4番人気に支持されるも、ヤマノオーの11着と大敗。このため次走の東京優駿ではやや人気を落とし、6番人気となった。レースは、最後の直線でコレヒサ、ヤマノオー、フエアーウインの競り合いとなったが、フエアーウインが3/4馬身差抜け出し勝利を収めた。2着はダービー史上初の同着となった。
その後は菊花賞を11着、有馬記念が17着と大敗。翌年はオープン競走でを2勝を挙げたものの、八大競走へは出走せず、10月のオープン戦7着を最後に競走馬を引退した。その後は種牡馬となったが、産駒に目立った活躍馬はおらず、フエアーウインの血を引く馬は現存しない。
生産地の青森県 七戸町にある道の駅しちのへに、同じ青森県産のダービー馬ヒカルメイジと共に立像が建てられている。
主な産駒
[編集 ]- マンセイ(ミョウジントップ〈京成杯2着、朝日杯3歳ステークス3着〉の祖母)
全成績
[編集 ]血統表
[編集 ]父ゲイタイムは1952年のダービーステークス2着。青森で繋養され、本馬の他に二冠馬 メイズイなど数々の活躍馬を輩出した。母はイギリスの名馬Honeyway(チャンピオンステークスなど)の全妹。1953年に競走馬資源不足解消のためにイギリスから輸入された19頭の繁殖牝馬の内の1頭であり、この牝馬群からはヒカルメイジの母イサベリーンに続くダービー優勝馬の母となった。翌年の優勝馬メイズイの母チルウインドも同様の牝馬である。
脚注
[編集 ]外部リンク
[編集 ](旧)最優秀4歳牡馬 |
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最優秀3歳牡馬 |
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東京優駿(日本ダービー)勝ち馬 | |
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1930年代 | |
1940年代 | |
1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |
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