アナトリア象形文字
| アナトリア象形文字 ルウィ象形文字 ヒッタイト象形文字 | |
|---|---|
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カルケミシュのヤリリとカマニ | |
| 類型: | 表語文字 |
| Unicode範囲: | 最終提案 |
| ISO 15924 コード: | Hluw |
| 注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。 | |
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アナトリア象形文字(アナトリアしょうけいもじ、Anatolian hieroglyphs)とは、アナトリア中部に起源を持つ、約500文字から構成された表語文字である。かつてはヒッタイト象形文字と呼ぶのが普通であったものの、この文字で表される言語がルウィ語であってヒッタイト語ではないことが明らかになったため、ルウィ象形文字(Luwian hieroglyphs)という用語も英語の出版物で用いられる。さらにフルリ語 [1] を書き表すためにも用いられていたことから、最終的には使用地域名[1] を冠して呼ばれるようになった。類型的にエジプトのヒエログリフに類似しているが、ヒエログリフに由来するわけではないし、エジプトにおけるヒエログリフと同等の神聖な役割を果たしたかどうかはわかっていない。ヒッタイト楔形文字との明白な関連性も存在しない[2] [3] [4] 。
歴史
[編集 ]アナトリア象形文字は紀元前2千年紀から紀元前1千年紀初頭にかけて、アナトリアと今のシリアで見つかっている。最初期の例は個人の印章だが、名前、役職、および吉祥の記号のみから構成され、これらが特定の言語を表記したものかどうか、はっきりしない。実際のテクストは石刻の記念碑として見つかるが、鉛板の上に書かれた文章もいくつか残る。
ルウィ語を記していることが確かな最古の碑文は後期青銅器時代(紀元前約14-13世紀)のものである。その後2世紀ほどにわたって資料のほとんどない時期が続くが、アナトリア象形文字は初期鉄器時代(紀元前約10-8世紀)に復活する。紀元前7世紀はじめに、すでに700年[1] の歴史をもつルウィ象形文字は、競合するアルファベット [1] によって淘汰されていき、忘却された。
言語
[編集 ]現存するアナトリア象形文字で記されている言語は、そのほとんどが[5] ルウィ語であるが[6] 、文字の持ついくつかの特徴は、この文字がもともとヒッタイト語とルウィ語の2言語の環境で発達したことを示唆する。たとえば、手を「取る・つかむ」形をした文字が /ta/ という音価を持つが、これはヒッタイト語の単語 ta-/da- 「取る」に対応する。それに対してルウィ語で同じ意味をもつ同系語は la- である[7] 。
たまにアナトリア象形文字でほかの言語について記したものがある。たとえば、フルリ語の神名や、ウラルトゥ語の語彙など( á - ḫá+ra - ku で aqarqi、 tu - ru - za で ṭerusi を表す。どちらも計量単位)。
類型
[編集 ]エジプトのヒエログリフと同様、文字は表語的または表音的である。すなわち、語または音を示す。表音文字の数は限られている。その大部分は CV の形の1音節を表すが、2音節を表す文字も少数ある。多くの文字では母音が a なのか i なのかに関してあいまいである。いくつかの文字についてはどちらかに決まっているものの、多くは流動的である。
ひとつの語は表語的に書かれることも、表音的に書かれることも、混在して書かれる(表語文字によって表される音の一部を表音文字で補完する)こともあり、限定符が先に置かれることもある。この特徴は、表音文字が子音のみでなく音節文字であるということを除けばエジプトのヒエログリフと同じである。
ルウィ象形文字は行ごとに左横書きと右横書きが入れかわる。この方式はギリシア人によってブーストロペードン(牛耕式)と呼ばれている。
一部の学者はファイストスの円盤やクレタ聖刻文字とアナトリア象形文字の関連性を検討しているが、現在のところ、この点に関する意見の一致は存在しない。
解読
[編集 ]アナトリア象形文字は、19世紀にヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトやリチャード・フランシス・バートンらの探検家がシリアのハマトの壁に書かれた絵文字的な碑文について記述して以来、西洋人の注目を引いた。同じ文字がボアズキョイでも記録され、アーチボルド・セイスはこれらがヒッタイトに起源を持つと仮定した[9] 。
1915年までに楔形文字のルウィ語と、翻字・出版された充分な量のアナトリア象形文字を使って、言語学者たちは文字を読む実際の作業を開始した[9] 。
1930年代に、イグナス・ゲルブ、ピエロ・メリッジ、エミール・フォラー、ベドジフ・フロズニーらによって文字は部分的に解読された。言語がルウィ語であることは、1973年にジョン・デービッド・ホーキンズ、アンナ・モルプルゴ・デービス、ギュンター・ノイマンが従来の音価推定のいくつかの誤りを修正し、とくに記号 *376 と *377 の読みを i, ī から zi, za に改めたことによって確定した[10] 。
翻字
[編集 ]表語文字は慣用としてラテン語で大文字によって翻字される(例:「足」を意味する文字は PES とする)。音節文字はラテン文字に翻字されるが、同音の字は楔形文字の翻字方式と同様の方式で区別する。例:/ta/ を表す6種類の異なる文字は ta=ta1, tá=ta2, tà=ta3, ta4, ta5, ta6 と翻字される[11] 。近年、これらの同音字について再検討が行われ、新しい音価推定が行われるようになった。たとえば、tà は実際には /da/ を表すと考えられるようになり[12] 、á は実際には /ʔa/ (/a/と異なる)であり、インド・ヨーロッパ祖語の *h1にあたると考えられるようになった[13] 。
Unicode
[編集 ]アナトリア象形文字は2015年6月のUnicode 8.0 で追加された。
アナトリア象形文字のUnicodeブロックは U+14400 - U+1467F である。
脚注
[編集 ]- ^ a b c d 「図説 古代文字入門」大城道則編集、髙橋秀樹著、pp.27-32
- ^ Payne, A. (2004). Hieroglyphic Luwian. Wiesbaden: Harrassowitz. p. 1. ISBN 3-447-05026-8
- ^ Melchert, H. Craig (2004). "Luvian". In Woodard, Roger D. (ed.). The Cambridge Encyclopedia of the World's Ancient Languages. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 0-521-56256-2.
- ^ Melchert, H. Craig (1996). "Anatolian Hieroglyphs". In Daniels, Peter T.; Bright, William. The World's Writing Systems. New York and Oxford: Oxford University Press. ISBN 0-19-507993-0
- ^ アナトリア象形文字でフルリ語を記したテクストについては:Hawkins, J.D. (2003). "Scripts and Texts". In Melchert, H.C.. The Luwians. Brill. p. 141 鉄器時代の異なる言語からの借用語については:Giusfredi, F. (2012). "Note sui prestiti accadici e urartei in luvio-geroglifico di età del Ferro". In P. Cotticelli Kurras et al.. Interferenze linguistiche e contatti culturali in Anatolia tra II e I millennio a.C. Studi in onore di Onofrio Carruba in occasione del suo 80° compleanno. pp. 153-171
- ^ Plöchl, R. (2003) (ドイツ語). Einführung ins Hieroglyphen-Luwische. Dresden: Verlag der TU Dresden. p. 12. ISBN 3-86005-351-5
- ^ Yakubovich, I. (2008). "Hittite-Luvian Bilingualism and the Origin of Anatolian Hieroglyphs". Acta Linguistica Petropolitana 4 (1): 9–36. https://www.academia.edu/464165/Hittite-Luvian_Bilingualism_and_the_Development_of_Anatolian_Hieroglyphs .
- ^ かつて、プルタルコスのアントニウス伝に登場する上キリキア王の名によって「タルコンデーモス(Ταρκόνδημος)印章」と呼ばれていたが、正しくない。関根正雄・高津春繁『古代文字の解読』岩波書店、1964年、155-156頁および180-180頁
- ^ a b Pope, Maurice (1999). The Story of Decipherment: From Egyptian Hieroglyphs to Mayan Script (rev. ed.). New York: Thames & Hudson. ISBN 0-500-28105-X
- ^ 吉田和彦「象形文字ルウィ語解読の歴史と現状」『ユーラシア古語文献の文献学的研究ニューズレター』第6巻、2004年、2-6頁。
- ^ "Luwian Hieroglyphics". 2006年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月4日閲覧。
- ^ Rieken, E. (2008): "Die Zeichen <ta>, <tá> und <tà> in den hieroglyphen-luwischen Inschriften der Nachgroßreichszeit." In: Archi, A.; Francia, R. (eds.): VI Congresso Internazionale die Ittitilogia, Roma, 5.-9. Settembre 2005. Roma: CNR, 637-647.
- ^ Simon, Zsolt (2013). "Once again on the Hieroglyphic Luwian sign *19 〈á〉". Indogermanische Forschungen 118: 1–22. http://www.degruyter.com/view/j/indo.2013.118.issue-2013/indo.2013.118.2013.1/indo.2013.118.2013.1.xml .
- ^ Official Anatolian Hieroglyphs, Unicode, Inc, https://www.unicode.org/charts/PDF/U14400.pdf Official
外部リンク
[編集 ]- Luwian Hieroglyphics, Indo-European Database, オリジナルの2006年7月12日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20060712164406/http://indoeuro.bizland.com/project/script/luwia.html
- Signlist , http://www.hethport.uni-wuerzburg.de/luwglyph/Signlist.pdf
- Luwian, AncientScripts.com, http://www.ancientscripts.com/luwian.html
- Isabelle Klock-Fontanille, The invention of Luwian hieroglyphic script , http://www.caeno.org/origins/papers/KlockFontanille_LuvianHieroglyphs.pdf
- 『ヒッタイト象形文字(ルウィ象形文字)』地球ことば村・世界の文字、2016年。http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_middleeast_23.html 。
- Google Noto Fonts - 「Noto Sans Anatolian Hieroglyphs」が対応。