ウルク古拙文字
ウルク古拙文字 | |
---|---|
類型: | 未解読文字 |
言語: | 不明 |
時期: | 紀元前3200年頃 |
親の文字体系: |
(先文字時代)
|
子の文字体系: | シュメール文字 |
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。 | |
テンプレートを表示 |
ウルク古拙文字(ウルクこせつもじ)、ウルク文字(ウルクもじ)は、紀元前4千年紀のウルクで使われていたと考えられている文字。ジェムデト・ナスル (英語版)遺跡で出土した粘土板の文字と類似しているため、この文字と合わせて原シュメール文字ともいう。
ウルク古拙文字は、メソポタミア全土に広がり楔形文字の原型となった[1] 。
歴史
[編集 ]トークンとブッラ
[編集 ]トークンとは、原文字を含む文字の誕生以前に、メソポタミアで使われていた粘土製の計算具で、球形、円錐形など様々な形のものがあった。また、模様がついているものもあり、前者をプレイン・トークン、後者をコンプレックス・トークンという。
このトークンを保管するために、ブッラが作られた。ブッラは粘土で作られた球で、トークンを中に入れて保管することができる。しかし、中身を見るためにはブッラを叩き割らないといけなかった。それを解決すべく、トークンは粘土板に押し付けて使う印章のようなものになった。しかし、コンプレックス・トークンには細かい模様があり、十分に押捺痕が残せなかったため、トークンの模様を先を尖らせた葦ペンで粘土板に書いた。これがウルク古拙文字になっていった[2] 。
楔形文字
[編集 ]ウルク古拙文字は、少しずつ簡略化されていった。ウルク古拙文字は、その後90度回転した状態で楔のような、楔形文字に変化していった[3] 。
研究
[編集 ]発見
[編集 ]ウルク遺跡の発掘は1927年以降、ドイツ調査団によって行われた。神殿遺跡を地下深く掘ったところ、ウルク第4層から小型の粘土板が多数出土した。これらには人間の頭、手、足、ヒツジなどの動物、魚、数字を表す文字記号などが刻まれており、神殿奉納品の記録文書と考えられている。その後も粘土板の出土は続き、現在では、4000個ほどの粘土板が出土している。
解読
[編集 ]ウルクで発見された粘土板の文面は短く、ほとんどは単語の羅列にすぎないため、使用言語や解読は現在の段階ではきわめて困難である。文字記号の配列から見ると、シュメール語に近いとも考えられるが、ジェムデト・ナスルの粘土板では例外的なものも見られ、原エラム語を使用言語としたものではないかとの推測もある[4] 。
約1000種類の文字が発見されているが、そのほとんどは解読されていない[5] 。
特徴
[編集 ]絵文字としての性格が強い文字で、尖筆によって書かれた細い線で構成される[6] 。
脚注
[編集 ]関連項目
[編集 ]この項目は、言語学に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。