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音威子府駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
音威子府駅
駅舎(2020年8月)
おといねっぷ
Otoineppu
W60 咲来 (4.6 km)
(6.3 km) 筬島 W62
地図
所在地 北海道 中川郡 音威子府村字音威子府509番地
駅番号 しろまるW61
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 しかく宗谷本線
キロ程 129.3 km(旭川起点)
電報略号 オト
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員
-統計年度-
54人/日
-2018年-
開業年月日 1912年(大正元年)11月5日 [1]
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口
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音威子府駅
おといねっぷ
Otoineppu
(5.4 km) 上音威子府
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 0.0 km(音威子府起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1914年(大正3年)11月7日 [2]
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日 [2]
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音威子府駅(おといねっぷえき)は、北海道 中川郡 音威子府村字音威子府にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。電報略号オト事務管理コードさんかく121830[3] [4] 駅番号W61特急 「宗谷」「サロベツ」含む全列車が停車する。

概要

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音威子府村の代表駅。かつては天北線が分岐する交通の要衝であり、現在も特急宗谷」「サロベツ」を含めた全定期列車が停車し、中頓別浜頓別猿払枝幸などの周辺市町村とを結ぶ路線バス都市間バスとの乗換駅ともなっている。

JRの特急列車の停車駅の中では、最も人口の少ない自治体に位置する。

歴史

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1977年の音威子府駅と周囲約1 km範囲の状況。左上の左方向が本線稚内方面、上方に向かうのが天北線中頓別方面。天北線はまだ現役である。機関車庫と転車台は既に取り払われ、2箇所に新たな車両整備用の車庫がある。駅舎横の稚内側にストックヤードと引込み線。駅裏の名寄側に石油タンクと引込み線が見える。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  • 1912年(大正元年)11月5日:鉄道院宗谷線恩根内駅 - 当駅間開業にともない開業[1] [5] [6] 一般駅
  • 1914年(大正3年)11月7日:宗谷線(→宗谷本線→北見線→天北線)当駅 - 小頓別駅間延伸開業[2] [6]
  • 1919年(大正8年)11月1日:名寄機関庫音威子府分庫設置[7]
  • 1921年(大正10年)
    • x月x日:跨線橋設置[8]
    • 10月5日:名寄機関庫音威子府分庫が廃止され、音威子府機関庫として設置[7]
  • 1922年(大正11年)11月8日:天塩線(→天塩南線→天塩線→宗谷本線)当駅 - 誉平駅間開業[6] [9]
  • 1926年(大正15年)7月30日:音威子府職員駐泊所を設置[7]
  • 1930年(昭和5年)5月16日:音威子府機関庫が廃止され、名寄機関庫音威子府分庫が設置(再設置)される[7]
  • 1946年(昭和21年)8月1日:名寄検車区音威子府派出所を音威子府支区に改組[7]
  • 1947年(昭和22年) 11月:名寄鉄道公安所音威子府駐在所を設置[10]
  • 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
  • 1952年(昭和27年):跨線橋を現在のものに架け替え[11]
  • 1954年(昭和29年):構内連動装置を機械連動装置から電気連動装置(第2種継電丙)に交換[12]
  • 1962年(昭和37年):公衆電報取扱業務を廃止[7]
  • 1968年(昭和43年)10月1日:音威子府保線支区を設置[7]
  • 1970年(昭和45年)10月:チップ工場完成、チップサイロ用専用線敷設[8]
  • 1971年(昭和46年)11月1日:シェル石油油槽所専用線開業(専用線使用開始は12月1日 [8] )[7]
  • 1978年(昭和53年)6月30日:名寄機関区音威子府支区廃止。
  • 1979年(昭和54年)8月11日:同日4時8分に当駅構内に進入した下り普通貨物第375列車(DE10 1709牽引、現車24両)が分岐器(制限35km/h)での速度超過により前から5両目以降14両目までの10両が脱線(一部横転)し、構内上下本線・副本線全てを支障し、一部軌道を破壊(死傷者なし)。同日17時49分までに本線2番線のみが復旧し、翌々日13日0時45分に本線3番線が復旧、17時に全車両を撤去し復旧作業終了[13]
  • 1980年(昭和55年)9月6日:駅前に村内にアトリエを構える彫刻家、砂澤ビッキによる高さ15 m のモニュメント(ヤチダモ材のトーテムポール)、「オトイネップタワー」を設置[14] [15]
  • 1984年(昭和59年)
    • 2月1日:貨物・荷物扱い廃止[1] [16] 。また、駅裏のシェル石油油槽所が、当駅貨物取扱廃止とともに閉鎖される。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1] [2]
  • 1989年(平成元年)5月1日:天北線廃止[2] (宗谷バス天北線、のちの天北宗谷岬線に転換)[6]
  • 1990年(平成2年)
    • 5月1日:現駅舎「音威子府交通ターミナル」落成、駅舎内に宗谷バス窓口と「天北線資料室」を設置[17] 。ホーム上に所在した構内のそば店「常盤軒」(後述)も駅舎内に移転。
    • 11月13日:宗谷北線運輸営業所発足に伴い営業務のほかに保線・電気・営林の職場を傘下に統合[18]
  • 2016年(平成28年)4月1日:当駅所属の工務社員を廃止し、名寄保線所の所属(音威子府保線管理室)となる。
  • 2020年(令和2年)2月:新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) による影響を受け、「常盤軒」が長期休業に入る[新聞 1]
  • 2021年(令和3年)2月8日:休業中であった「常盤軒」店主が前日死去したことに伴い、同日付で「常盤軒」閉店[新聞 1] [新聞 2]
  • 2022年(令和4年)3月12日:同日より出札窓口が日・祝日休業となる[19]
  • 2023年(令和5年)9月30日:同日での宗谷バス天北宗谷岬線廃止(音威子府 - 浜頓別間デマンドバス化)に伴い、同日の営業をもって駅舎内の宗谷バス窓口閉鎖[20]

駅名の由来

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所在地区名より。なお、開通当時「音威子府」は一市街の名称であり、現在の音威子府村が成立した際の村名は常盤村であったが、1963年(昭和38年)に音威子府村に改称している。

駅構造

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単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、あわせて2面3線を持つ地上駅である。1番線は有効長が短く、普通列車のみ使用する。ホーム間の移動は跨線橋を使う。

社員(駅員)配置駅、みどりの窓口設置(営業:08:15 - 16:10 日・祝日休業[19] )。自動券売機はなく、近距離切符入場券もみどりの窓口での購入となる。

駅舎は、天北線廃止後、音威子府村の予算によって木造駅舎から現在の交通ターミナル駅舎に改築された。駅本屋の隣には名寄保線所音威子府保線管理室(旧・音威子府駅工務)の事務所もある。

かつては夜間滞泊が設定されていたが、現在は名寄駅に留置されている。

駅舎はバス待合所を兼ねており、「交通ターミナル」と称している[21] 。旧天北線 代替バスを運行する宗谷バス出札所があった[21] 2023年(令和5年)9月30日限りで代替バスが廃止となり、同時に窓口も閉鎖された[22] 。このほか、音威子府村地域バス(咲来天塩川温泉方面)が発着している。また、天北線関連資料が展示されている「天北線資料室」が併設されている[21]

のりば

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番線 路線 方向 行先 備考
1 しかく宗谷本線 下り 稚内方面 普通列車
上り 名寄旭川方面
2 下り 稚内方面 特急列車・普通列車
3 上り 名寄・旭川方面

利用状況

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昭和40年代後半ごろは1日あたり300人前後の乗車人員があったが[23] 、人口の減少や天北線廃止等の影響で長らく減少傾向にある。

乗車人員の推移は以下の通り。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで1日平均乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

乗車人員推移
年度 乗車人員(人) 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1954年(昭和29年) 94,041 258 [24]
1958年(昭和33年) 114,928 315
1963年(昭和38年) 126,508 347
1964年(昭和39年) 136,937 375
1971年(昭和46年) 344 [25]
1972年(昭和47年) 328
1973年(昭和48年) 298
1974年(昭和49年) 278
1975年(昭和50年) 261
1976年(昭和51年) 263
1977年(昭和52年) 242
1978年(昭和53年) 213 [26]
1997年(平成09年) 160 [23]
2000年(平成12年) 140
2002年(平成14年) 110 [25]
2003年(平成15年) 100
2004年(平成16年) 91
2005年(平成17年) 70
2006年(平成18年) 70 [23]
2009年(平成21年) 60
2012年(平成24年) 52
2013年(平成25年) 53
2014年(平成26年) 45
2015年(平成27年) 40 「10名以上」 [23] [JR北 1]
2016年(平成28年) 34 42.2 [23] [JR北 2]
2017年(平成29年) 37.4 [JR北 3]
2018年(平成30年) 33.4 [JR北 4]
2019年(令和元年) 26.2 [JR北 5]
2020年(令和02年) 22.4 [JR北 6]
2021年(令和03年) 19.8 [JR北 7]
2022年(令和04年) 18.0 [JR北 8]
2023年(令和05年) 15.8 [JR北 9]

駅周辺

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駅前
道の駅おといねっぷ

音威子府村市街地。商店街・住宅地がある。

常盤軒そば店

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音威子府そばと店舗。
音威子府駅駅そば

当駅の駅そば「常盤軒」は蒸気機関車が宗谷本線を走行していた古くから旅行者の間で知られていたもので、「音威子府そば」として村の名産品となっていた。ここでは土産用そば(生、乾麺)、そばつゆも販売していた。

1990年の駅舎改築前はホーム上にあった[6] が、駅舎改築に合わせて駅舎内に移転した。立ち食い店ではあるがすぐ隣にベンチがあるので、どんぶりを持ったままにはなるが座って食べることも可能だった。かつては駅弁や名物「バター饅頭」なども販売していた[27] 。 2004年(平成16年)に放送された列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜でも紹介された。

2018年(平成30年)8月17日より、店主夫婦の高齢などを理由に休業していたが、2019年(平成31年)4月25日より営業を再開した。

2019年(平成31年)4月時点での営業時間は10:30 - 14:00(ただし、売り切れの際は閉店)、定休日は水曜日だった。

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) による影響を受け、2020年2月から長期休業していた[新聞 1] が、2021年2月7日に闘病中だった店主が亡くなったため、翌2月8日をもって正式に閉店した[新聞 1] [新聞 2]

常盤軒のそばは村内に営業所・工場を有する畠山製麺(1926年開業)が製造していた[新聞 1] [28] ソバの実を甘皮ごと引いて製麺した真っ黒で風味の強い独特のそばであり[新聞 1] 、そばつゆも昆布と煮干しを使ったそばの強い風味に負けない濃い味のものとなっていた[新聞 1] [6] [29]

常盤軒は2021年2月に閉店したが[28] 、その後も村内には「音威子府そば」を販売する店が2021年2月時点で3店舗あった[新聞 1]

しかし、常盤軒にそばを卸していた畠山製麺では社長が1人で製造にあたっていたが高齢となったため、2022年8月末で「音威子府そば」の製造を終了し廃業することになった[28] 。なお、音威子府そばについては、畠山製麺廃業後の2023年1月に千葉県 茂原市の「音威子府食堂」と東京都 新宿区の「音威子府TOKYO」が新たに音威子府産の原料を使った独特の黒色のそばを新たに開発した[30]

バス路線

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隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
しかく宗谷本線
しかく普通
咲来駅 (W60) - 音威子府駅 (W61) - 筬島駅 (W62)

かつて存在した路線

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
天北線
音威子府駅 - 上音威子府駅

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 石野 1998, p. 900.
  2. ^ a b c d e 石野 1998, p. 904.
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236 https://doi.org/10.11501/1873236 2023年1月15日閲覧 
  4. ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
  5. ^ "鉄道院告示 第36号". 官報 (大蔵省 印刷局) (75). (1912年10月30日). NDLJP:2952172 . https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952172/2 . 
  6. ^ a b c d e f 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、9,14-17頁。 
  7. ^ a b c d e f g h 鉄道百年記念 旭鉄略年表(1972年)』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1972年、6-7, 9, 11, 17, 32, 43, 52頁。doi:10.11501/12061017 https://dl.ndl.go.jp/pid/12061017/  
  8. ^ a b c 音威子府村史 昭和51年12月発行。
  9. ^ 『官報』 1922年11月03日 鉄道省告示第154号(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『新名寄市史』(2) (2000), p. 432.
  11. ^ "あわや...高さ5.8メートル陸橋から"窓ガラス" 落下 JR北海道「原因不明」けが人なし". 北海道ニュースUHB (2021年3月2日). 2021年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月11日閲覧。
  12. ^ 橋本, 悦太郎「音威子府駅の第二種継電丙連動装置新設工事」『信号保安』第10巻第6号、信号保安協会、1955年6月、188-190頁、doi:10.11501/2369631ISSN 0286-3006 
  13. ^ 内山, 哲雄「事故復旧体験記」『車両と電気』第30巻第11号、車両電気協会、1979年11月、29-32頁、doi:10.11501/2322951 
  14. ^ 過疎地域問題調査会(編)「過疎地域の文化的歴史的所産等の保存と活用に関する調査研究」『地方振興対策調査報告書』、過疎地域問題調査会、1985年3月、151-152頁、doi:10.11501/12039002 
  15. ^ 原子, 修『北海道野外彫刻ガイド』北海道新聞社、1985‐04、162頁。doi:10.11501/12715766 
  16. ^ 『新名寄市史』(2) (2000), p. 441.
  17. ^ "天北線バス運行の経緯". 猿払村. 2022年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
  18. ^ 『新名寄市史』(2) (2000), p. 447.
  19. ^ a b "JR音威子府駅窓口の日曜祝日定休日化". www.vill.otoineppu.hokkaido.jp. 音威子府村. 2022年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月10日閲覧。
  20. ^ "中頓別・音威子府ターミナル窓口営業終了のお知らせ". 宗谷バス (2023年9月15日). 2023年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月16日閲覧。
  21. ^ a b c 『鉄道ジャーナル』通巻654号 p.30
  22. ^ 「浜頓別-音威子府が終了 天北線代替バス 窓口スタッフ「寂しい」」『北海道新聞北海道新聞社、2023年10月5日、朝刊/旭B、15面。
  23. ^ a b c d e 特集「鉄道の街」音威子府 鉄道、必要ですか?」(PDF)『広報おといねっぷ』第514巻、音威子府村役場、2017年7月、1 - 6頁、 オリジナルの2021年3月11日時点におけるアーカイブ。 
  24. ^ 音威子府村史 昭和51年12月発行 P498
  25. ^ a b 音威子府村史編纂委員会 編『音威子府村史 上巻本編』音威子府村、2007年7月31日、673, 677頁。 
  26. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、888頁。doi:10.11501/12065814 https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814  
  27. ^ "駅そばの名店も相次ぎ消滅 数減らす「駅ナカ&駅前フード」 乗客減で薄利多売に逆風". 乗りものニュース (2021年3月11日). 2021年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月11日閲覧。
  28. ^ a b c "音威子府の黒そば、8月に製造終了 地元の畠山製麺、社長高齢で廃業". 北海道新聞. 2022年4月18日閲覧。[リンク切れ ]
  29. ^ "宗谷本線人気の駅そば〈常盤軒〉生産北限の地でいただくまっ黒なそば! おでかけコロカル北海道・道北編 北海道中川郡音威子府村". Webマガジン コロカル . マガジンハウス. 2021年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月11日閲覧。
  30. ^ 昨夏製造終了した村名物「音威子府そば」、関東で復活 色とコシ、風味も再現 北海道新聞(2023年5月19日)

JR北海道

[編集 ]
  1. ^ "極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)" (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
  2. ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年12月8日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
  3. ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年7月2日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
  4. ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) . 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
  5. ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区) . 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
  6. ^ "駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく". 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  7. ^ "駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく". 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
  8. ^ "駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく". 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
  9. ^ "宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)〜2026(令和8)年度)" (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。

新聞記事

[編集 ]
  1. ^ a b c d e f g h "北海道・音威子府の名物駅そば 店主が亡くなり閉店". 朝日新聞. (2021年2月9日). オリジナルの2021年2月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210209113310/https://www.asahi.com/articles/ASP295JX8P29IIPE002.html 2021年2月9日閲覧。 
  2. ^ a b "音威子府「駅そば」閉店 店主・西野さん亡くなる". 北海道新聞. (2021年2月9日). オリジナルの2021年2月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/qVb4F 2021年2月9日閲覧。 

参考文献

[編集 ]
  • 名寄市史編さん委員会 編『新名寄市史』 2巻、名寄市、2000‐11。 
  • 武田元秀、山井美希(写真)「最北端最後の砦 孤高の一本道」『鉄道ジャーナル』第55巻第4号(通巻654号)、成美堂出版、2020年4月1日、24-33頁、ISSN 0288-2337 
  • 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6 

関連項目

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ウィキメディア・コモンズには、音威子府駅 に関連するカテゴリがあります。

外部リンク

[編集 ]
*(削除) 打消線 (削除ここまで)は廃駅
*(削除) 打消線 (削除ここまで)は廃止前に廃駅

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