浅茅野駅
浅茅野駅 | |
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あさじの Asajino | |
◄飛行場前 (3.9* km) (6.2 km) 猿払 ► | |
所在地 | 北海道 宗谷郡 猿払村字浅茅野 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 76.7 km(音威子府起点) |
電報略号 | チノ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1919年(大正8年)11月1日 [1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日 [1] |
備考 |
天北線廃線に伴い廃駅 *キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった) |
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浅茅野駅(あさじのえき)は、北海道(宗谷支庁)宗谷郡 猿払村字浅茅野にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はチノ。事務管理コードは▲さんかく121910[3] 。
歴史
[編集 ]- 1919年(大正8年)11月1日:鉄道院宗谷本線の浜頓別駅 - 当駅間延伸開通に伴い、開業[4] 。一般駅 [1] 。
- 1920年(大正9年)11月1日:当駅 - 鬼志別駅間の延伸開通に伴い、中間駅となる[4] 。
- 1930年(昭和5年)4月1日:音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から分割し路線名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる[4] 。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日:路線名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる[4] 。
- 1973年(昭和48年)9月17日:業務委託化[5] [6] 。
- 1982年(昭和57年)6月1日:貨物・荷物の取り扱いを廃止し[7] 、交換設備を撤去。同時に無人駅化[8] 。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[4] 。
- 1989年(平成元年)5月1日:天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[4] 。
駅名の由来
[編集 ]1973年に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では「この付近には泥炭地が多く、たけの低いカヤが生えているので[9] 」名付けたとしている。
駅構造
[編集 ]廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[2] 。かつては、2面2線の相対式ホームを有する列車交換が可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も側線として残っていた[2] 。そのほか本線の南稚内方から分岐し駅舎北側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、また本線の音威子府方から分岐した分岐器が撤去され、途中に車止めの置かれた行き止まりの側線を1線有していた[2] 。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。木造板張りの駅舎であった[2] 。
利用状況
[編集 ]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 60 | [10] | ||
1981年(昭和56年) | (26.0) | [2] | 1日当たりの乗降客数は52人 |
駅周辺
[編集 ]- 北海道道732号上猿払浅茅野線
- 国道238号(オホーツクライン)[11]
- 浅茅野郵便局 - 旧駅舎の前に位置した[2] 。
- 浅茅野小学校
- 猿払川 - 駅から北に約1km。川を渡るプレートガーダー橋がそのままサイクリングロードに転用されている[12] 。
- 瓢箪沼 - 駅から南に約2km[2] 。
- カムイト沼
- モケウニ沼
- 宗谷バス 天北宗谷岬線「浅茅野」停留所
駅跡
[編集 ]周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている[12] 。
2001年(平成13年)時点では、交流センターの裏手にホームだけ残存していた[12] 。2010年(平成22年)時点でも同様であった[13] 。
また、駅名標の枠から取り外された駅名表示部分は、鬼志別駅跡に建築された「鬼志別バスターミナル」1階の天北線の資料展示室に保存・展示されている[14] 。
隣の駅
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、906頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c d e f g h i 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、189頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236 。https://doi.org/10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、14-17頁。
- ^ 「12駅の無人化など 天北線 興浜北線 17日から合理化実施」『北海道新聞』1973年9月14日、夕刊。
- ^ 高浜博隆『国鉄駅名全百科』 36巻、鉄道友の会東京支部(56.4訂補版)、小学館〈コロタン文庫〉、1981年10月、22頁。
- ^ "日本国有鉄道公示第51号". 官報 . (1982年5月31日)
- ^ "「通報」●くろまる天北線下頓別駅ほか1駅の駅員無配置について(旅客局)". 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1982年5月31日)
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、187頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、894頁。doi:10.11501/12065814 。https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 。
- ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。
- ^ a b c 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2001年7月、40-42頁。ISBN 978-4533039072。
- ^ 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、18頁。ISBN 978-4533078583。
- ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、249-250頁。ISBN 978-4894536128。