ザミンストレル
ザミンストレル | |
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ロバート・サングスターの勝負服 | |
欧字表記 | The Minstrel |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1974年 |
死没 | 1990年 9月3日 |
父 | Northern Dancer |
母 | Fleur |
母の父 | Victoria Park |
生国 | カナダの旗 カナダ |
生産者 | E.P.Taylor |
馬主 | Robert E.Sangster |
調教師 | Michael Vincent O'Brien(アイルランド) |
競走成績 | |
生涯成績 | 9戦7勝 |
獲得賞金 | 333,347ポンド |
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ザミンストレル (The Minstrel) とは、カナダで生まれ、アイルランドで調教された競走馬・種牡馬である。1976年から1977年にかけてイギリス・アイルランドで走り、イギリス年度代表馬になるなど活躍した。馬名ミンストレルは吟遊詩人の意。叔父にイギリスクラシック三冠馬で大種牡馬のニジンスキーがいる。
経歴
[編集 ]ノーザンダンサー産駒らしく、15ハンド3インチ(約160センチメートル)とあまり大きくない体格をしていた。ケンタッキー州のキーンランドセレクトセールでロバート・サングスターに20万ドルで競り落とされると、ヴィンセント・オブライエンのもとに預けられる。僚馬にはザミンストレル引退後に活躍するアレッジドもいたが、アレッジドが遅咲きの名馬だったのに対して、ザミンストレルは早く引退したためいちども対戦していない。
2歳時は3戦3勝。デューハーストステークス (G1) などに勝っている。翌春は初戦2000ギニートライアルステークスを勝ち、イギリスとアイルランドの2000ギニーを連戦するも3着と2着。エプソムダービーでは勝負強いところを見せ、ホットグローヴとの叩き合いを制した。続くアイリッシュダービーも1馬身半差で連勝した。古馬との初対戦となるキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでもオレンジベイとの叩き合いを制して優勝している。
このあとはアメリカ合衆国に遠征する計画もあったが、折りしもヨーロッパで馬の感染症が流行、すでに900万ドルのシンジケートが組まれていたため種牡馬入りを優先し、そのまま引退した。
引退後はアメリカのウインドフィールズ牧場で供用された。大種牡馬の多いノーザンダンサー産駒の中ではそれほど目立つ存在ではなかったが、G1馬を多数輩出し種牡馬としても成功した。1990年 9月3日、蹄葉炎により安楽死。遺体はオーバーブルック牧場に埋葬されている。
競走成績
[編集 ]- 1976年(3戦3勝)
- デューハーストステークス (G1) 、ラークスパーステークス (G3)
- 1977年(6戦4勝)イギリス年度代表馬
- エプソムダービー (G1) 、アイリッシュダービー (G1) 、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス (G1) 、2000ギニートライアルステークス (G3)
おもな産駒
[編集 ]- オープニングヴァース (Opening Verse) - ブリーダーズカップ・マイル
- メロディスト (Melodist) - アイリッシュオークス、イタリアオークス
- ミュージカルブリス (Musical Bliss) - イギリス1000ギニー
- レミグラン (L'Emigrant) - プール・デッセ・デ・プーラン、リュパン賞
- パレスミュージック (*Palace Music) - チャンピオンステークス、シガーの父
- シルヴァーヴォイス (*Silver Voice) - マンハッタンハンデキャップ
- シルヴァーフリング (Silver Fling) - アベイ・ド・ロンシャン賞
血統表
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ a b "血統情報:5代血統表|The Minstrel(CAN)". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月16日閲覧。
- ^ a b c "The Minstrelの血統表 | 競走馬データ". netkeiba.com . 株式会社ネットドリーマーズ. 2022年8月16日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
第01回(1951年) イギリスの旗 シュプリームコート 第26回(1976年) イギリスの旗 ポウニーズ 第51回(2001年) アイルランドの旗 ガリレオ |