ウェストオーストラリアン (競走馬)
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ウェストオーストラリアン | |
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ハリー・ホール作(1853年) | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1850年 4月24日 |
死没 | 1870年 5月2日 |
父 | メルボルン |
母 | モウリナ |
生国 | イギリス |
生産者 | ジョン・ボウ |
馬主 | ジョン・ボウ |
調教師 | ジョン・スコット |
競走成績 | |
生涯成績 | 11戦10勝 |
獲得賞金 | 71,597ドル以上(換算) |
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ウェストオーストラリアン(West Australian、1850年 - 1870年)とは、イギリスの競走馬である。19世紀中ごろに活躍し、1853年に史上初となるイギリスクラシック 三冠を達成した。ほかアスコットゴールドカップなどに勝利した。種牡馬としては失敗に終わったが直系子孫は残っている。
生涯
[編集 ]デビュー戦のクリテリオンステークスこそスピードザプロウの2着に敗れたが、次走グラスゴーステークスではスピードザプロウを破り雪辱した。ウェストオーストラリアンは抜群の勝負強さを持った馬で、特に馬体を合わせたときの勝負強さは目を見張るものがあった。そのため接戦が多かったが、2戦目以降一度も負けなかった。
3歳時は2000ギニー、エプソムダービー、セントレジャーステークスとも接戦ながら確実に勝利し、イギリスクラシック三冠を達成した。3歳時はこの3競走以外には単走しか出走していない。4歳時には当時古馬路線の最高峰であったアスコットゴールドカップもやはりハナ差で制し、2戦目からの10連勝で引退した。
引退後は種牡馬となったが、1歳上にストックウェルがいたこともあり成功はできなかった。代表産駒はオークスに勝ったサマーサイドである。他に不敗のバーカルダインを出したソロン、アメリカに輸出され種牡馬として成功したオーストラリアン等を輩出した。ソロンの直系子孫にハリーオン、オーストラリアンの直系子孫にマンノウォーがいる。
競走成績
[編集 ]- 1852年(2戦1勝)
- グラスゴーステークス
- 1853年(5戦5勝)
- エプソムダービー、セントレジャーステークス、2000ギニー
- 1854年(4戦4勝)
- アスコットゴールドカップ、アスコットトリエニアルステークス
主な産駒
[編集 ]- サマーサイド(オークス)
- オーストラリアン(プロデュースステークス)
- ソロン(バーカルダイン、アービトレーターの父)
- ジョヌプレミア(ディアヌ賞)
- ザウィザード(2000ギニー)
- ルイブラス(バーデン大賞)
血統表
[編集 ] Houghton Lass
Clinkerina
Clinker
Pewett
父の母
Cervantes Mare1825 鹿毛 Cervantes Don Quixote
Evelina
Golumpus Mare
Golumpus
Paynator Mare
Selim Mare
Banter
Master Henry
Boadicea
Gibside Fairy
Hermes
Vicissitude F-No.7-a
外部リンク
[編集 ]クラシック三冠 | |
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牝馬三冠 | |
変則三冠 |