ムトト
ムトト | |
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アフメド・ビン・ラシッド・アル・マクトゥームの勝負服 | |
欧字表記 | Mtoto |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1983年 |
死没 | 2011年 ??月??日(28歳没) |
父 | Busted |
母 | Amazer |
母の父 | Mincio |
生国 | イギリスの旗 イギリス |
生産者 | John L. Moore |
馬主 | Ahmed Al Maktoum |
調教師 | Alec Stewart(イギリス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 17戦8勝[1] |
獲得賞金 |
600,626ポンド +2,400,000フラン |
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ムトト (Mtoto) はイギリスで競走生活を送った競走馬、および種牡馬。古馬になってからイギリスの中距離路線で活躍し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝やエクリプスステークス連覇などの戦績を残した。馬名はスワヒリ語に由来し、単数形の「子供」を意味する言葉である。
経歴
[編集 ]2歳時の1985年より競走馬としてデビューしているが、2歳時は1戦のみで終わり、また3歳になってヘイドックパーク競馬場の未勝利戦で初勝利を挙げているが、そのほかの競走ではぱっとした成績ではなかった。
しかし4歳となった1987年から、その成績はどんどんと好転した。まず5月にその年の初戦である、サンダウンパーク競馬場のブリガディアジェラードステークス (G3) に出走、ここで優勝して初の重賞勝ちを収めた。翌戦プリンスオブウェールズステークス(当時G2)も勝ち、さらにG1エクリプスステークスでも優勝し、戴冠とともに3連勝を飾った。続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスは重馬場を嫌って出走回避[2] 。この年フランスの凱旋門賞にも遠征しているが、トランポリーノの4着に敗れている。
5歳シーズンは1988年5月の準重賞から始動して1位に入線したが、出走全馬がコースを間違えていたことでレースが無効(不成立)となる[1] 。しかしプリンスオブウェールズステークスとエクリプスステークスではそれぞれ連覇を飾り、さらにキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでもスローペースのなか追い込み [3] が決まり、連勝記録を伸ばした。そのあとセレクトステークス (G3) を勝ってから挑んだ同年の凱旋門賞では、直線で内に閉じ込められるロスがあり[4] 優勝したトニービンにクビ差届かず2着に終わったが、同年はこれ以外負けなしという内容の濃い成績を残した。それが評価され、イギリスの競馬雑誌『ペースメイカー・インターナショナル』主催の表彰において欧州年度代表馬の座に加え、古馬部門と中距離部門のタイトルも獲得した[1] 。
ムトトは5歳シーズンを最後に競走生活を引退し、以後はアストンアプソープスタッドに繋養される種牡馬となった[1] 。初年度の種付け料は18000ポンドであった。
現代の流行からはかけ離れた血統背景を持つが、英ダービー優勝馬シャーミット(Shaamit 1993年生、牡馬)やアスコットゴールドカップ優勝馬セレリック(Celeric 1992年生、せん馬)など、おもに中長距離で活躍馬を出した。しかし、牡馬で唯一のG1勝ち馬であるシャーミットはG1勝ち馬を1頭出すにとどまり、それ以外の後継種牡馬もこれといった産駒を出せず、父系は勢力を失いつつある。
おもな産駒
[編集 ]- シャーミット(英語: Shaamit )(イギリスダービー)
- セレリック(アスコットゴールドカップ)
- シリアスアティテュード(チェヴァリーパークステークス、ニアークティックステークス)
競走成績
[編集 ]出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 着順 | 騎手 | 着差 | 1着(2着)馬 |
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1985年08月07日 | ヨーク | ファミリーリゾートS | 芝7f | 3着 | ― | 3馬身 | Queen's Soldier | |
1986年05月08日 | サンダウン | 未勝利S | 芝10f | 2着 | ― | ― | ― | |
1986年06月06日 | ヘイドック | 未勝利S | 芝10.5f | 1着 | M.ロバーツ [6] | 2馬身 | (Top Range) | |
1986年06月17日 | アスコット | キングエドワード7世S | G3 | 芝12f | 5着 | ― | ― | Bonhomie |
1986年07月17日 | ヨーク | コンウェイS | 芝11f110y | 2着 | ― | 1馬身 | Magic Slipper | |
1986年08月20日 | ヨーク | アンディキャップH | 芝9f | 2着 | ― | 2馬身 | My Generation | |
1986年09月27日 | アスコット | クイーンエリザベス2世S | G1 | 芝8f | 4着 | ― | 5馬身 | Sure Blade |
1987年05月26日 | サンダウン | ブリガディアジェラードS | G3 | 芝10f | 1着 | M.ロバーツ | 2 1/2馬身 | (Allez Milord) |
1987年06月16日 | アスコット | プリンスオブウェールズS | G2 | 芝10f | 1着 | M.ロバーツ | 2 1/2馬身 | (Amerigo Vespucci) |
1987年07月04日 | サンダウン | エクリプスS | G1 | 芝10f | 1着 | M.ロバーツ | 3/4馬身 | (Reference Point) |
1987年10月04日 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 芝2,400m | 4着 | M.ロバーツ | 5馬身 | Trempolino |
1987年10月17日 | ニューマーケット | 英チャンピオンS | G1 | 芝10f | 8着 | ― | ― | Triptych |
1988年05月18日 | グッドウッド | フェスティバルS | 芝10f | 無効 | M.ロバーツ | 1馬身 | (Media Starguest) | |
1988年06月14日 | アスコット | プリンスオブウェールズS | G2 | 芝10f | 1着 | M.ロバーツ | クビ | (Broken Hearted) |
1988年07月02日 | サンダウン | エクリプスS | G1 | 芝10f | 1着 | M.ロバーツ | クビ | (Shady Heights) |
1988年07月23日 | アスコット | キングジョージ | G1 | 芝12f | 1着 | M.ロバーツ | 2馬身 | (Unfuwain) |
1988年09月09日 | グッドウッド | セレクトS | G3 | 芝10f | 1着 | M.ロバーツ | 2 1/2馬身 | (Hibernian Gold) |
1988年10月02日 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 芝2,400m | 2着 | M.ロバーツ | クビ | Tony Bin |
血統表
[編集 ]
脚注
[編集 ]- ^ a b c d 日本中央競馬会『優駿』1989年2月号、pp.121-122
- ^ 『優駿』1987年9月号、p.125
- ^ 『優駿』1988年9月号、p.125
- ^ 『優駿』1988年11月号、pp.114-115
- ^ James Burn (2011年5月24日). "Historic dual Eclipse winner Mtoto dies at 28" (英語). RACING POST.com. 2011年5月29日閲覧。
- ^ "King George road trip" (英語). RACING POST (2009年7月20日). 2011年5月29日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
第01回(1951年) イギリスの旗 シュプリームコート 第26回(1976年) イギリスの旗 ポウニーズ 第51回(2001年) アイルランドの旗 ガリレオ |
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