ウォーレリック
ウォーレリック | |
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欧字表記 | War Relic |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1938年 |
死没 | 1963年 |
父 | Man o'War |
母 | Friar's Carse |
母の父 | Friar Rock |
生国 | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 |
生産者 | Samuel D. Riddle |
馬主 | Glen Riddle Farm |
調教師 |
George Conway Walter A. Carter |
競走成績 | |
生涯成績 | 20戦9勝 (9-4-2-5) |
獲得賞金 | 89,495ドル |
勝ち鞍 |
Governor's Handicap (1941) |
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ウォーレリック(War Relic) はアメリカ合衆国生まれのサラブレッド(競走馬および種牡馬)である。
マンノウォー産駒の中で最も成功した種牡馬であるといわれており、産駒のレリックやインテントから父マンノウォーの系統を広げた。
出生
[編集 ]ウォーレリックは父マンノウォーの馬主であったサミュエル・ドイル・リドルの自家生産馬で、母フライアーズカースは1925年の米2歳牝馬チャンピオン、その父フライアーロックは1916年のベルモントステークス優勝馬でその年の年度代表馬であった。
ウォーレリックは当初ジョージ・コンウェイの下で調教されたが、1939年6月20日に彼が亡くなると、その後はウォルター・A・カーターの下で調教された。
競走成績
[編集 ]3歳となった1941年にはいくつかの大レースに優勝した。特にナラガンセットスペシャルでは三冠馬ワーラウェイを、マサチューセッツハンデキャップでは古馬を破っている。
引退後
[編集 ]引退後は種牡馬として活躍し、1948年生まれのBattlefieldは1950年の2歳チャンピオンに輝き、 インテント (Intent)やMissileも2歳戦で活躍した。
産駒のうちレリックはフランスに渡り、Buisson Ardent(シルバーシャーク(Silver Shark)の父)とヴェンチア(Venture VII)の兄弟、Texana、Relance (Relkoなどの母)、カロ(Caro)の母父となるEl Relicarioなどを輩出し、インテントもIntentionallyなどを輩出し種牡馬として成功したことで、それぞれレリック系、インテント系と呼ばれるサイアーラインを発展させている。
ウォーレリックの系統は近年でもTiznow、Colonel John、Well Armed、Bertrandoらの活躍馬を輩出しており、父マンノウォーの血を伝えている。
ウォーレリックは1963年に25歳で亡くなり、ケンタッキー州 レキシントン近郊のファラウェイファームに埋葬されたが、その亡骸は同父の三冠馬ウォーアドミラルや父マンノウォーとともにケンタッキーホースパークに移されている。
血統表
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