キャプテントゥーレ
キャプテントゥーレ | |||
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2008年4月20日 中山競馬場 | |||
欧字表記 | Captain Thule | ||
品種 | サラブレッド | ||
性別 | 牡 | ||
毛色 | 芦毛 | ||
生誕 | 2005年 4月5日(19歳) | ||
登録日 | 2007年 6月7日 | ||
抹消日 | 2011年10月20日 | ||
父 | アグネスタキオン | ||
母 | エアトゥーレ | ||
母の父 | トニービン | ||
生国 | 日本の旗 日本(北海道 千歳市) | ||
生産者 | 社台ファーム | ||
馬主 | (有)社台レースホース | ||
調教師 | 森秀行(栗東) | ||
調教助手 |
牧浦充徳 →徳江涼[1] | ||
競走成績 | |||
生涯成績 | 20戦5勝 | ||
獲得賞金 | 3億8097万2000円 | ||
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キャプテントゥーレ (Captain Thule) は、日本の競走馬(父内国産馬)である。2008年の皐月賞優勝馬。馬名の由来は大叔父(祖母の弟)のスキーキャプテンと母のエアトゥーレの一部を足したもの。2009年2月までの担当調教助手は牧浦充徳(現・調教師)。
デビュー前
[編集 ]社台レースホースにおいて総額5000万円で募集された。
戦績
[編集 ]2歳
[編集 ]6月7日付で日本中央競馬会 (JRA) に競走馬登録された。7月8日に阪神競馬場で行われた2歳新馬戦で、祖母や母にも騎乗経験のある武豊が騎乗してデビュー。栗東の坂路で51.5秒など2歳離れした好時計を連発していたため単勝1.8倍の1番人気に支持されるが、8着という結果に終わった。なおこの競走には当競走の勝ち馬であり後に宝塚記念を勝ったアーネストリーに加え、後にGI2勝を挙げるトールポピーが2着、後にシンザン記念を勝ったドリームシグナルが3着と、GI・JpnI馬3頭・重賞馬4頭を輩出する競走となった。7月29日に小倉競馬場で行われた2歳未勝利戦でも1番人気に支持され、デビュー2戦目で初勝利を挙げる。その後短期放牧に出され帰厩後新潟2歳ステークスに向かう予定だったが、馬インフルエンザによる移動制限により帰厩が遅れ回避することになった。9月6日に帰厩し、9月16日に行われた野路菊ステークスに出走。単勝1番人気に支持されるが、レースでは後方から追い込み3着という結果だった。続く重賞初挑戦となったデイリー杯2歳ステークスでは、追い切りで49.8秒という2歳馬ながら栗東坂路で50秒切る強烈なタイムを出していたが周りは低評価。調教駆けするタイプとみられていたが、当時騎乗停止中だった武の代役で川田将雅が騎乗し先行策でレースを制し重賞初勝利を挙げた。次走は全日本2歳優駿にも登録を行ったが初のJpnI挑戦となる朝日杯フューチュリティステークスに出走。しかしスタートで後手を踏み逃げるゴスホークケンを捕らえることができず、さらに直線坂前でモタつき追い比べでレッツゴーキリシマを交わせず3着に敗れた。このあと全日本2歳優駿を回避しグリーンウッドへ放牧に出された。
3歳
[編集 ]放牧から戻った後、2008年の初戦として出走した弥生賞は4着となった。続く4月20日に行われた皐月賞ではスタート直後にハナに立つと、昼過ぎまで降っていた雨でやや緩んだ馬場を生かした鞍上・川田の好騎乗でスローペースに抑えそのままゴールまで逃げ切り初のJpnI勝利を飾った。この勝利は川田にとってもJpnI初勝利となった[2] 。
次走は東京優駿の予定だったが次走に備えて栗東トレーニングセンターへ帰厩する準備をしていた所、歩様に異変が見られたため遠征滞在先の中山競馬場の診療所にて4月22日に検査を受けた。その結果、左第3手根骨の骨折が判明[3] 、約1年間の休養を強いられることとなり、父アグネスタキオン同様、皐月賞勝利後の故障で東京優駿を断念することとなった。
4歳
[編集 ]2009年 8月9日の関屋記念において、1年4ヶ月ぶりに復帰しスマイルジャックの4着に入り、久々のレースながら地力を示していた。9月12日の第60回朝日チャレンジカップに出走し、最後の直線で3歳馬ブレイクランアウトとの叩き合いを制し、皐月賞以来、1年5ヶ月ぶりの勝利を飾った。そして、11月1日の天皇賞(秋)では2番手でレースを進めるも直線で失速してしまい12着と大敗した。続く11月22日のマイルチャンピオンシップでは好スタートから道中2番手で追走したが、直線で馬場の外へよれてしまい4着に敗れた。
5歳
[編集 ]2010年 1月24日のアメリカジョッキークラブカップに1番人気で出走。道中3番手でレースを進めたが、直線で失速し11着と大敗した。3ヶ月間隔を挟んだ4月17日のマイラーズカップでは好位集団から馬群を割って伸びてくるも3着だった。6月6日の安田記念ではリーチザクラウン・トライアンフマーチに次ぐ3番人気で出走、レースでは4番手で追走するも直線で伸びあぐねてしまいショウワモダンの7着に敗れた。秋は9月11日の朝日チャレンジカップから始動し、逃げ切りでこのレースを連覇した。10月31日の天皇賞(秋)では3番手追走も直線で失速し13着と大敗した。
6歳
[編集 ]2011年 2月27日の中山記念ではヴィクトワールピサの2着と逃げ粘った。4月3日の大阪杯では速い流れでレースを引っ張ったがヒルノダムールの5着。金鯱賞は平均ペースで逃げ、直線で粘りを図ったがルーラーシップにかわされて2着となった。7月10日の七夕賞は1番人気に支持され、レースでは2番手に控えたが直線半ばで失速し12着に大敗。10月20日付けで現役を引退[4] 。社台スタリオンステーションにて種牡馬になる事が発表された[4] 。
引退後
[編集 ]競走馬引退後は2012年より種牡馬となり、社台スタリオンステーションで繋養される[5] 。
2016年シーズンはレックススタッドで種牡馬生活を送るも[6] 、同年の種付けシーズンを最後に種牡馬を引退、生まれ故郷である社台ファームで余生を送る[7] 。
主な産駒
[編集 ]競走成績
[編集 ]血統表
[編集 ]- 母エアトゥーレは阪神牝馬ステークス (GII) 優勝。
- 半姉アルティマトゥーレ(父フジキセキ)はセントウルステークス (GII) 、シルクロードステークス (GIII) 優勝。
- 半弟クランモンタナ(父ディープインパクトは小倉記念(GIII)優勝。
- 半弟シルヴァーソニック(父オルフェーヴルはステイヤーズステークス(GII)、レッドシーターフハンデキャップ(サウジアラビアG3)優勝。
- 祖母スキーパラダイスはムーラン・ド・ロンシャン賞(フランスG1)、京王杯スプリングカップ (GII) 優勝。
- スキーパラダイスの半弟スキーキャプテン(父ストームバード)はきさらぎ賞 (GIII) 優勝。
- 曾祖母スキーゴーグルはエイコーンステークス(アメリカG1)優勝。
脚注
[編集 ]- ^ "夢追い続ける!元地方騎手の調教助手がJRA騎手試験挑戦". サンケイスポーツ. https://race.sanspo.com/keiba/news/20160930/etc16093005000001-n1.html 2022年5月21日閲覧。
- ^ "川田キャプテントゥーレ逃走V/皐月賞". スポーツニッポン . (2008年4月20日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/04/20/kiji/K20080420Z00000320.html 2022年2月4日閲覧。
- ^ "皐月賞馬キャプテントゥーレの骨折判明". 日刊スポーツ . (2008年4月22日). https://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20080422-351227.html 2022年2月4日閲覧。
- ^ a b "キャプテントゥーレが引退 08年皐月賞馬". 日本経済新聞 . (2011年10月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKE0275_Q1A021C1000000/ 2022年2月4日閲覧。
- ^ "【風のたより】キャプテントゥーレ". サンケイスポーツ . (2017年4月13日). https://race.sanspo.com/sspkeiba/column/004/20170413/17041311460001-n1.html 2022年2月4日閲覧。
- ^ "キャプテントゥーレがレックススタッドに移動 | 馬産地ニュース". 競走馬のふるさと案内所 (2015年12月2日). 2016年12月17日閲覧。
- ^ "キャプテントゥーレが移動 | 馬産地ニュース". 競走馬のふるさと案内所 (2016年12月16日). 2016年12月17日閲覧。
- ^ "クロスケ". JBISサーチ. 2018年8月17日閲覧。
- ^ a b c "血統情報:5代血統表|キャプテントゥーレ". JBISサーチ. 2017年8月29日閲覧。
- ^ "キャプテントゥーレ - Captain Thule - 競走馬データベース". 競馬ラボ. 2023年4月9日閲覧。
- ^ "キャプテントゥーレの血統表". netkeiba.com. 2017年8月29日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- キャプテントゥーレ - 競走馬のふるさと案内所