ラジャババ
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ラジャババ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1968年 4月5日 |
死没 | 2002年 10月9日(34歳没) |
父 | Bold ruler |
母 | Missy Baba |
母の父 | My Babu |
生国 | アメリカ |
生産者 | Michael Grace Phipps |
馬主 | Michael Grace Phipps |
調教師 | Del W. Carroll |
競走成績 | |
生涯成績 | 41戦7勝 |
獲得賞金 | $123,287 |
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ラジャババ(欧字名:Raja Baba、1968年 4月5日 – 2002年 10月9日)[1] は、アメリカ合衆国で生産された競走馬、種牡馬。1980年度の北米リーディングサイアー。
デビューまで
[編集 ]オグデン・フィップスの息子であるマイケルが生産し、所有していたラジャババはリーディングサイアーに8度なったボールドルーラーを父に持ち、母父に1948年のイギリス2000ギニーステークス優勝馬のマイバブーを持っていた。
競走馬時代
[編集 ]3歳時にはフランシススコットキーステークスに勝利した翌週にはデラウェアバレーステークスを勝利。
4歳時には自身の父の名前を冠したボールドルーラーパースを勝利した以外にもフェニックスステークスやJRAステークス、ギャリソンステークスに2位入着を果たしている。
種牡馬時代
[編集 ]競走馬としての引退直前の1972年にラジャババはウィリアム・ファリシュに売られ、更にそこから生産者のワーナー・ジョーンズに転売された。ケンタッキー州のゴーシェン近くにあるジョーンズの牧場に繋養される事になったラジャババは一株1万ドルで36株のシンジケートが結成された。産駒が活躍し始めた1976年にはリーディングジュベナイルサイアーになり、4年後の1980年には北米リーディングサイアーとなった。
ラジャババの産駒には62頭のステークス勝者と2頭の年度代表馬がいる。1985年には産駒であるSummer Moodがソヴリン賞の最優秀短距離馬を受賞し、1987年にはサカウイスタがBCディスタフを勝利した後、その年のエクリプス賞の最優秀3歳牝馬賞を受賞した。サカウイスタはその後、チリとオーストラリアでリーディングサイアーとなるHussonetの母となる。
上記以外にも1988年のBCジュベナイル優勝馬のIs It Trueや、日本に輸出されアグネスフローラなどを生み出したロイヤルスキーもいる。
1987年の種付けシーズン終了後に引退し、功労馬となる。2002年にエルミタージュ牧場にて衰弱状態となっていたため安楽死となり、同地内にある墓所に葬られた[1] 。
血統表
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出典
[編集 ]- ^ a b "Leading Sire Raja Baba Euthanized at 34". www.bloodhorse.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b "血統情報:5代血統表". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b "5代血統表". netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2023年1月4日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post