ここ数年、ワンヘルス(One health)という言葉を聞くことが増えました。人の健康を守るためには動物や環境にも目を配って取り組む必要があるという概念です。地球上には人間以外の多くの生物がさまざまな環境の中で生きており、人間の都合だけで地球環境を破壊することで危険を生じる可能性があります。化学物質による環境汚染や気候温暖化による環境変化はわかりやすい例です。しかし、薬剤耐性(AMR)対策でワンヘルスとは一体どのようなことを指しているのか想像がつきにくいかもしれません。
薬剤耐性(AMR)とワンヘルス(One health)
抗菌薬は人間だけではなく畜産業、水産業、農業など幅広い分野で用いられています。なかでも畜産業では、感染症の治療のみならず発育促進の目的で飼料に抗菌薬を混ぜて用いられてきました。国別にみると世界的に重要な食肉生産国である中国、米国、ブラジルでの使用量がもっとも多く、日本や欧州諸国でも多くの抗菌薬が畜産で用いられています(1)。多くの国で畜産での抗菌薬使用量は人の医療での使用量よりも多いことが知られています。
動物に抗菌薬を投与すれば薬剤耐性菌が発生することは多くの事例で確認されてきました。オランダの畜産業関係者にブタ由来MRSAが広がった報告(2)は、動物から人間への薬剤耐性菌伝播が明らかになった事例のひとつです。この事例では畜産業従事者や獣医、さらにその家族にMRSAが伝播していることが判明し、食肉を通じた伝播も確認されています。
家畜に生じた薬剤耐性菌が食肉を通じて人の感染症の原因となることは、大腸菌感染症の検討でも示されています(3)。また、多剤耐性グラム陰性桿菌感染症の治療薬として重要なコリスチンの耐性遺伝子(mcr-1)を保有する腸内細菌科細菌の広がりが問題となっており(4)、これは主に中国において家畜にコリスチンを投与してきたことが原因と考えられています。
動物に投与された抗菌薬は食肉に残存することがあります。そのため出荷前には一定期間抗菌薬投与を禁止するなどの方法がとられています。しかし、食肉から抗菌薬成分が検出されることよりも細菌が検出されることの方がずっと多く、薬剤耐性菌対策の視点からは残存抗菌薬よりも耐性菌そのものの方が重要な問題と言えます。
これらを通じ、畜産業における抗菌薬使用や動物由来の薬剤耐性菌が人間社会に影響を及ぼしていることがわかってきました。ヨーロッパ諸国を中心に家畜に対する抗菌薬使用の制限が進むなど、世界的に対策が進められています。
薬剤耐性菌や抗菌薬によって環境が汚染されることがあります。たとえば動物の排泄物に薬剤耐性菌が含まれていると、耐性菌による水系汚染や農産物の汚染につながる可能性があります。野菜を汚染すれば食卓にのぼり、環境由来の薬剤耐性菌がヒトに定着してしまうかもしれません。日本の都市河川の中下流でヒトに由来した薬剤耐性大腸菌が検出されたとの報告(5)や、同じく河川水から一部の抗菌薬が検出されたとの報告(6)もあり、環境における薬剤耐性菌や抗菌薬の広がりが指摘されています(7)。また、東南アジア、南アジア諸国への旅行者がしばしば多剤耐性菌を保菌して帰国するとの報告が複数あります。これも多剤耐性菌による環境の汚染が背景にあると考えられています。
他にも、愛玩動物(ペット)、養殖業、農業など、広い分野で抗菌薬が使用されており、薬剤耐性菌検出の報告も増えてきています。まだ研究が進んでいない分野も多く、幅広い取り組みを通じて薬剤耐性菌対策を進めていく必要があります。このように薬剤耐性菌対策はまさにワンヘルスの観点から取り組むべき課題なのです。
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