【知られざる戦国武将の真実】(62) 伊達正宗――"服は身を助ける"、伊達者の元祖が実践

20190628 08
"伊達者"の語源となったとの説もある伊達政宗。実際、相当のおしゃれさんだったようで、そのファッショナブルぶりは、歴史の背景と相俟って、逸話に残っている。例えば1590年、豊臣秀吉が北条氏の居城である小田原城を攻略しようとした時のこと。伊達政宗は北条氏と同盟を結んでいた為、どちらに付くか迷っていた。結局、だいぶ経ってから優勢とみた秀吉サイドに付くのだが、これでは「時間をかけて大勢をみていた」と言われてもしょうがない。そこで政宗は秀吉との謁見を申し出るのだが、何とその恰好が全身白尽くめ。所謂白装束で、つまりは「決断が遅れてすみませんでした。いつでも死ぬ覚悟はできております」というアピールだった。これをみて、秀吉もお咎めなしとした。何せ秀吉自身、生来のパフォーマンス好きだったからである。なお、この時、政宗が引き連れていたのは僅か200名余りの手勢。「攻撃する気もないですよ」とここで示したわけだ。更に1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵の出陣式の際には、伊達勢は紫紺地に金の日の丸が描かれた幟30本を掲げ、足軽隊は金のとんがり笠を被り、朱鞘の太刀と銀箔の柄頭の脇差を腰に。騎馬武者の鎧は全て黒だが、その兜の前立ては金色の半月で統一。馬飾りは虎・豹・熊の毛皮と孔雀の羽で作られた豪華版。政宗自身は熊毛の陣羽織姿だったとか。まさに馬子にも衣装状態だが、実はこれにも狙いが。派手好きな秀吉に気に入られ、手元に置いてもらうことで、出兵組から外れようとしたのだ。事実、1回目こそ出兵したが、2回目の朝鮮出兵時には京都の居残り組となった。伊達者の元祖は、細心の注意を払う策士であった。 (フリーライター 瑞佐富郎)


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テーマ : 歴史雑学
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  • 2019年06月28日(06:29:39) :
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