【東畑開人の週刊臨床心理学】(32) ツイッターポエム、詠み人知らず



20201225 07
早くも年末。2020年は勿論、新型コロナウイルスの一年であったわけだが、忘れてはならないのは相次ぐジャニーズ退所である。2ヵ月に1人くらいのペースで大物アイドルが退所してしまうので、徐々に感覚が麻痺しつつあるにせよ、その度に日本列島に大激震が走った一年であった。その間、私は『ツイッター』を検索し続けていた。何が起きたのかについてはテレビや週刊誌、ウェブニュースが伝えてくれる。だけど、私が求めていたのは生々しいファクトではない。そんなものはトゥーマッチである。探していたのはポエムだ。そう、ツイッターにはファンたちのポエムが満ち溢れていたのである。例えば、こんな感じ。「山PのPは、PeaceのP。世界を平和にするために、山Pは旅立つ。背中を押したい。私のPeaceを世界のみんなにおすそわけ。全然さみしくない。嘘。超超さみしい。だけど、Peaceって広がれば広がるほど、一人一人のPeaceも増えるもんね。だから、絶対押しまくるね、そのワールド級のドデカイ背中」。因みに、他人様のツイートを勝手に転載するわけにはいかないから、このポエムの作者は私である((注記)本物はもっと出来が良い)。心の乙女な部分を総動員して書いてみたら、大変気持ちがよかった。愛する誰かに向けて、真っ直ぐな言葉を贈る。こんなに素晴らしいことはない。だからこのまま、捏造ポエムだけで連載1回分を埋め尽くしたい欲望に駆られているのだが、言いたいことは別にある。

小学校の授業以来、詩を作ろうだなんて思ったことない人が大半の筈なのに、ツイッターには詠み人知らずのポエムが溢れている。何故だろう? 好きなアイドルが去っていく時、何故人は詩を生み出してしまうのか? 「痛いの痛いの飛んでいけ〜」というおまじないの言葉がある。例えば、転んで膝小僧を血塗れにした子供が泣いている時。親が呪文を唱えると、"痛いの"がお姉ちゃんのところに飛んでいって、代わりに「痛い痛い」と言ってくれる。すると、子供は泣き止んで、ケラケラと笑う。こういう心の働きを、心理学では"投影"と呼ぶ。自分の心の中にあった筈のものを、誰かの心の中へと投げ込むことで解決する方法だ。そんなもの子供騙しだと思われるかもしれないが、大人だって結構同じことをやっている。株価が暴落するんじゃないかと不安な時、「これから絶対に大恐慌がやって来る」と周りに言って回ると、ちょっと気持ちが落ち着く。「不安よ不安よ飛んでいけ〜」だ。自分で自分の心を抱えておくのがしんどい時、私たちは誰かに暫し肩代わりしてもらうのである。投影は大変面白い心の働きなのだけど、今回の関心はまた別のところにある。実は、このおまじないに癒しの力があるのは、投影だけではなく、もう一つ別の理由があると思うのだ。血塗れの生々しい膝小僧に打ちのめされている子供に「ご自身の苦痛を姉に投影しなさい」と心理学的に言ったとしても、全然ダメな筈だ。これは言葉が通じないせいでもあるし、心理学が無粋なせいでもあるが、何よりリズムとメロディーがイケていないからだ。傷や苦痛は綺麗なものに包まれることで癒される。この心の作用を、クリストファー・ボラスという精神分析家が"変形"と呼んでいる。例えば、何か不快なことがあった赤ちゃんが、ギャンギャンと耳障りな声で泣く。これを母親が抱っこしてあやす。トントンとリズムよく背中を叩き、心地よいメロディーの子守唄を口遊む。そうやって綺麗なものに包まれると、赤ちゃんはキャッキャッと笑い始める。ここにある"ギャ"から"キャ"への響きの変化こそが変形である。濁音の醜さが、澄んだ清音へと濾過されているのだ。綺麗なものに包まれることで、綺麗になる。それは、血塗れの膝小僧に可愛い絆創膏を貼るのと似ている。醜い生傷は余計に心を痛め付けるから、綺麗なもので覆ってしまう。そうやって暫し傷のことを忘れるうちに、生傷は瘡蓋になり、そして薄皮が再生する。壊れた形が修復されていくのだ。痛いの痛いの飛んでいけ〜。それは痛みを誰かに飛ばしているだけではない。そのリズムとメロディーによって、血塗れになった心をふんわりと包み込んでいるのである。愛するアイドルが去っていく時に、ポエムが生まれる。それは喪失によって心に刻まれた生傷を、綺麗な言葉で何とか包み込もうとする心の作用だ。

20201225 08
アイドルに限らない。百人一首もそうだし、ラップもそうだ。大昔から今に至るまで、人は何かを喪失したり、或いは屈辱を与えられたりして傷付いた時、その痛みを和らげる為に詩を詠んできた。詩だけじゃない。新しい洋服を着ると気分がいいし、化粧をしたり髭を剃ったりするとシャンとする。部屋を片付けると気持ちが晴れるし、格好をつけることが心を支える。私も今、こうやって文章を推敲することに癒されている。形を整えると、私たちの心は整う。たかが形、されど形なのだ。表面だけ整えることは、世間ではその場凌ぎと思われがちだけど、実際のところ私たちは表面的なことに癒される。それは心にも皮膚があるからだと思う。深刻に傷付いた時、心の皮膚が破壊されてしまうから、心は形を失くす。気持ちは言葉という形にならなくなり、自分がどう振る舞っていいかわからなくなる。人間の形を保っていられなくなる。この形を回復する為に、綺麗なものが役に立つ。誤魔化しでも、仮初めでもいい。可愛い絆創膏で十分だ。剥き出しの生傷を晒して生きるのは辛いから、ポエムや新品の洋服で心を包み込む。そうやって、心に皮膚が再生してくるのを待つ。ツイッターポエムとは、そういう心の営みだと思うのだ。形になっていない思いに、形を与える。ポエムという絆創膏を貼ることで、傷付きが本当の意味で形を回復するのを待つ。そうなって初めて、「本当は山Pにいかないでほしかった」と言葉になるかもしれない。だけどそれまでは、生々しいファクトより綺麗なポエムでいい。それが束の間、心を守る。詩にはそういう力があると思うのだ。


東畑開人(とうはた・かいと) 臨床心理学者・十文字学園女子大学准教授・『白金高輪カウンセリングルーム』主宰。1983年、東京都生まれ。京都大学教育学部卒。京都大学大学院教育学研究科修士課程修了、同大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。著書に『野の医者は笑う 心の治療とは何か』(誠信書房)、『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)等。


キャプチャ 2020年12月24日号掲載

テーマ : メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体

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